第53話 唐突な規格外の収穫
ハンナ男爵がドレイク村を去り、ヒルダ伯爵の元へと旅立ってから、早いものでおよそ二週間が経過していた。
その間、村は表面的には穏やかな時間が流れているように見えたが、その実は相変わらず、いや、以前にも増して激動の日々を送っていた。
もっとも、その変化の激しさと「異常さ」に、この村の主である悠だけは全く気づいていないのだが。
「いやあ、本当にいい収穫日和だなぁ。これだけ天気がいいと、いっそのこと収穫祭でもやりたくなるよ。……まあ、そんな暇はなさそうだけどね」
ぽかぽかと温かい陽気が降り注ぐ中、悠は腰に手を当てて、目の前に広がる光景を見上げながら、のんきにそんな言葉を漏らしていた。
悠の視線の先にあるのは、見渡す限りに広がる大麦の畑である。
風が吹くたびに、黄金色の穂がさらさらと擦れ合う音を立てて波打っている。その光景自体は非常に美しい田園風景そのものなのだが、問題はその大麦が植えられてから、わずか「二週間」しか経っていないという点だった。
それを「異世界だからそうなんだ」で片づけているのが悠なのである。
「ねえ、ジーク君。ちょっといいかしら?」
黄金の波の隙間から、大麦の茎を器用に刈り取っていた絢乃が、額の汗を拭いながら隣で作業していたジークに声をかけた。
「はい、ヒナゲシ様。何でしょうか?」
ジークは手慣れた手つきで大麦を束ねながら顔を上げる。
「大麦って、種を蒔いてから実際に収穫できるようになるまで、普通はどれくらいかかるものなの?」
「ええと……」
ジークは少し困ったように眉根を寄せ、記憶を辿るように空を見上げた。
「私の経験から言うと、確か秋に蒔いて春に収穫するか、春に蒔いて遅い夏に収穫するかですから……大体、半年はかかったはずですが」
「……よね。やっぱり半年よね」
絢乃は目の前でたわわに実っている大麦の穂をじっと見つめ、それから深いため息をついた。
「なのに、どうしてこれが二週間でこうなっているのかしら……」
二人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべるしかなかった。
現在、ドレイク村はまさに村人総出で収穫作業の真っ只中にあった。
畑の作物だけではない。畑の周囲や、かつてはまばらだった低木林のエリアは、日に日に木々が天に向かって枝葉を伸ばし、今や見上げるような巨木の森と化していた。毎日が劇的な変化の連続であり、村の景観は目まぐるしく変わり続けている。
「本当に……。あの時、鳥や虫の被害で作物が全滅して困っていた村の住人たちを受け入れていなかったら、今頃どうなっていたか分からないわね」
ふっと影を落とすように、収穫した作物の入った籠を抱えた茉莉が二人の元へと歩み寄ってきた。
「本当にそうね。これだけの量を私たちだけで刈り取るなんて、どう考えても不可能だったわ」
絢乃が同意するように頷く。
そのおかげ、と言って良いのかは分からないが、受け入れた避難民たちを迎え入れたことで、ドレイク村の村民は一気に元の三倍にまで膨れ上がっていた。
その新しく加わった村人たちの中には、ありがたいことに巫女様や僧侶の方々も含まれていた。そして、その方々の子供や若いお弟子さんたちが、ドレイク村に建立されていた神社や、新しく建立された寺の管理を引き受けてくれることになったのだ。
ちなみに、その寺というのは、悠の日本のイメージにあるような静かに経を唱えるだけの寺ではなく、『墓を管理する修験僧』の集まりのようなものだった。
そのため、そこにいる僧侶たちは皆、無駄のない筋肉に覆われた屈強な肉体を誇っている。
なんでも、昔は寺の周囲に人が住むことがなく、野生の動物や魔獣から寺と墓を守るために、身を鍛えて強くなる必要があったらしい。一種の武闘派集団である。
神社の方も似たような成り立ちで、神聖な自然領域を守るための武芸を嗜んでいるのだという。
さらに、新しく加わった村人の話によると、教会も存在するとのことだった。
(神社に寺、そして教会か……。それぞれの役割分担や、お互いの関係はどうなっているんだろう?)
悠は非常に興味を惹かれており、近いうちにそれぞれを管理している代表者に話を聞いてみようと心に決めていた。
そんなことを悠がのんびりと考えていると、背後から音もなく現れたルフが、深刻な表情で声をかけてきた。
「悠様。少々よろしいでしょうか」
「ん? どうしたんだ、ルフ?」
「非常に申し上げにくいのですが……悠様は今後、収穫する物を選別された方がよろしいかと思います。このままでは、すべての作物を保管する場所がございません」
「えっ? 倉庫ならまだ空いてるだろ?」
「いいえ」
ルフは首を横に振り、頭痛をこらえるように額に手を当てた。
「すでに、ドレイク邸ににある九つの巨大倉庫はすべて天井まで物資で満杯です。急遽外に建てた臨時の仮設倉庫も、文字通りすし詰め状態でして……これもいつまで持ち堪えられるか、限界は近いです」
「う、嘘だろ……」
悠は頬を引き攣らせた。
「そうは言ってもなぁ。このスキル、オンオフができないんだよな……」
悠は自分のステータスに刻まれた採集百般のスキルを思い浮かべ、小さく溜息をついた。
悠の持つ『制作』や『採集』、『狩猟』といった生産・生活系のパッシブスキルは、自らの意思で効果を止めたり、手加減したりといったオンオフが一切効かない仕様になっているようだった。
(そもそもこの世界のスキルって、手加減とかオンオフができるやつの方が珍しいのかな? そのあたりの検証もできていないから何とも言えないけど……)
とにかく、悠が収穫もとい採集したものは容赦なく倍になってしまうのだ。その後の仕事量も倍になることになる。
今回これほどまでに異常な大豊作が引き起こされた原因は、村の近くに発生した「ダンジョン」が原因であることに違いはないだろう。……それしか心当たりがない。
ダンジョンが発生して以降、その周囲一帯に満ちる大地のエネルギーみたいなのが活性化したのか、周囲の植物が異常なほどの高速で成長するようになってしまったのだ。
雑草を刈るだけでも午前中に刈った場所が次の日には元に戻っているほどで、草刈り作業だけでも大変な重労働だった。
さらに、収穫時期を少しずつずらして段階的に植えていたはずの作物が、その成長ブーストによって全て同時に、完璧な実りを迎えてしまった。これが今回の「うれしい悲鳴」の全貌であった。
なお、すべての元凶であるダンジョン自体は、現在、村の防衛拠点でもある砦の内部に、隠されるような形で建物が建てられている。
アントラー町から派遣されてくる騎士たちが、ダンジョンの見回りのためにドレイク村を頻繁に訪れるようになったため、彼らを野宿させるわけにもいかないと、悠が一念発起して砦を建設したのだ。騎士がいない頃を見計らって速攻で建てているので問題ない。
すべては精霊様のおかげという事にしておく。
騎士たちが快適に寝泊まりでき、なおかつ内部で訓練も行えるほどの立派な砦に仕上げたため、派遣されてきた騎士たちは「こんなに素晴らしい駐屯地は見たことがない!」と涙を流さんばかりに喜んでくれていた。
……何度も言うが俺は建ててないからね? 精霊様のおかげです。
ついでに村全体の上下水道を整備しておくのも忘れない。これはあとからやるとなると、とてつもない労力がかかるからだ。家の建設は、建築班に頼んである。
「とにかく、悠」
いつの間にか悠のすぐ後ろに立っていた茉莉が、ジト目を向けながら腕を組んだ。
「貴方はもう、絶対に畑仕事には手を出さないで頂戴。余計に収穫物が増えるだけだわ。それよりも、大工たちを率いて新しい倉庫の増設に回って」
「分かった、分かったよ。……でもさ、倉庫をいくら増やしても、これだけの量を自分たちだけで消費するのは絶対に無理だよね。それならいっそのこと、近隣の村の人たちも呼んじゃうのはどうかな? あと、見回りに来てくれている騎士の方々も」
悠はポンと手を叩き、名案を思いついたように言った。
「みんなに収穫を手伝ってもらって、その代わりとして、収穫した作物のいくらかを持ち帰ってもらうんだ。それなら倉庫の節約にもなるし、みんなも喜ぶでしょ?」
悠の提案に、絢乃が「その手があったか」と納得したように微笑んだ。
「……良いんじゃないかしら? どうせ全部取っても私たちだけじゃ消費しきれないし、かといって別の大きな町へ売りに行こうにも、今の私たちにはそれだけの輸送手段や人員が足りないものね」
茉莉も少し考えた後、小さく息を吐いて表情を和らげた。
「そうね。それなら今すぐ人を呼びに行かせましょう。手伝ってくれた人たちには、自分が収穫した分の作物はすべてタダで差し上げることにしましょう。せっかく大地の恵みとして実った食べ物を、倉庫で腐らせて粗末にするわけにはいかないわ」
こうして、ドレイク村からの呼びかけは瞬く間に広まるのであった。
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