第52話 猫伯爵ヒルダへダンジョンの報告とお土産と
場所をヒルダ伯爵の執務室へと移し、私たちは対面式の重厚な革張りソファに腰を下ろした。
ヒルダ伯爵は組んだ脚の上に肘を置き、冷徹な視線を私たちに向けた。
「それで、ダンジョンですって? 今どうなっているの?」
私は姿勢を正し、淀みなく答えた。
「まず、今のところ、これといった害は報告されていません。私たちも騎士や兵士を率いて向かいましたが、中から魔物が溢れ出てくるといったこともないです」
「そう……。最悪の事態は免れているようね。でも、ダンジョンが生まれたとなれば、いつ中から出てくるか分からない。だから、ただ手をこまねいているわけにはいかないわ」
私は小さく頷き、懐から布に包まれたものを取り出した。
「ええ。それで、これをお姉ちゃんに見ていただきたくて」
テーブルの上に、そっと包みを広げる。
そこにあったのは、ドレイク村の悠から手渡された、奇妙な『黄色い石』だった。陽の光を浴びて、内部で淡い光が循環しているかのように見える不思議な石だ。
「これは……?」
「ダンジョン内の動物から取れたものだそうです」
その瞬間、部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を覚えた。
ヒルダ伯爵の瞳が細められ、静かな、しかし有無を言わせぬ圧力が室内に満ちていく。
「……私の聞き間違いかしら。あの魔獣より強い魔物が出るというダンジョンに、あなたたちが乗り込んで倒しただけでなく、剥ぎ取って持って帰ってきた……と、そう聞こえたのだけど? ……お姉ちゃん、怒っちゃおうかしら?」
「いや、違うんだ! 私たちが中に入ったんじゃない!」
私は慌てて両手を振って否定した。
「……じゃあ、誰が入ったというの?」
「そこの、粘土採掘場で働いていたとある鉱夫であり村長が、ダンジョンの生成に巻き込まれて入ってしまったらしいんだ。で、その村長が戻ってきたときに、これを渡されたんだ」
私の説明を聞き、ヒルダは細く白い指先で黄色い石を一つ摘み上げた。
光にかざし、様々な角度から観察する。その表情は、極めて真剣だった。
「ふぅん……。ただの石なわけないわね。北の大地に生息する魔獣からは『魔核』が取れるらしいけれど、この石も、それと同等か、あるいはそれ以上の価値があると思っていい、か。……この石について、何か分かっていることはある?」
「いえ、まだ何もわかっていなくて……」
「そう。じゃあ、こちらで調べてみるわ。いくつか買い取らせてもらうけれど……価値が分からないのよね。そうね、猫十匹でどうかしら? こちらで何か分かって売れ次第、分け前をさらに渡す形でいいわね?」
「猫をくれるの!? やった!」
私は思わずソファから身を乗り出した。
「これで倉庫の食料が食べられずに済む! あいつらには本当に頭を悩ませていたんだ!」
領主として恥ずかしいほど素直に喜ぶ私に、クリスがすかさず冷ややかな視線を浴びせ、私の服の裾を強く引っ張った。
「ハンナ男爵、それ以外にも大事なことが……」
「あっ……そうだった。お姉ちゃん、実は」
私はコホンと咳払いをして姿勢を正した。
悠たちと話し合ったことを、ヒルダへ詳細に伝える。
悠に男爵位を与えてはどうかということ。そして、商人たちの組織『クリスタナ商人ギルド』を立ち上げたいという要望。
ヒルダは私の話を静かに聞き終えると、机の上に並べられた悠からの「上納品」に視線を落とした。
そこには、完璧な形状に焼き上げられた、見事な『赤いレンガ』。
しなやかで頑丈極まりない、極上の『革製品』。
そして、辺境ではお目にかかれないほど精緻に鋳造された『青銅の武器や防具』が並んでいた。
ヒルダは青銅の武具を手に取り、その刃先を親指の腹でそっとなぞる。
「いいわ。男爵位を与えましょう。あと『クリスタナ商人ギルド』の立ち上げも許可します」
「えっ、いいの!?」
あまりにもあっさりと承諾されたため、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……ごほん。あ、ありがとうございます」
私とクリスは、一礼した。
「いいも何も、そんな優秀な人材、うちの陣営に引き入れない手はないでしょう?」
ヒルダは冷淡にそう言うと、手にした青銅の武具をテーブルに戻し、私たちの目を真っ直ぐに見据えた。
「ただし、その方たちに言っておきなさい? 技術力は隠すこと。さもなくば……消されるわ」
その言葉は、冷酷なまでの現実を帯びていた。
「この辺境でこれほど高度な金属加工や建築技術、さらには革のなめし技術があるとなれば、中央の貴族や大商会が黙っていないわ。技術を奪おうとするか、それが無理なら、存在ごと消し去ろうとする。それに技術者が不審死するといった、きな臭い事件も起こっているもの。……今の彼らに、それを防ぐ力はないでしょう?」
「は、はい……」
姉上の警告はもっともだった。
「男爵位の授与に当たって、鉄の『採掘権』『加工権』『流通権』を与えるとして、猫を一匹与えましょう。兵役に関しては、まだ無しでいいわ。子供しかいないようだしね」
ヒルダ伯爵はそこまで一気に語ると、顎に手を当てて少し考え込んだ。
「『クリスタナ商人ギルド』のギルド長は悠男爵にさせましょう。貴女たちは自分の領で手一杯でしょう? 彼らは商会という組織を立ち上げるぐらいには余裕があるのだし。ギルド長もやってもらいましょう……。そうなると、村だと不便ね。ドレイク村の統治権を正式に与えて、男爵街ドレイク=ドレイク町とすることにしましょうか」
それを聞いた瞬間、私の肩がガクッと落とされた。
「あ、私の領民が……貴重な税収源が……」
シクシクと泣く私を、ヒルダは冷ややかな目で見下ろした。
「そもそも、七年も税収が取れないのだから、ないも一緒よ。それなら、独立させる。ただ、あの子爵に税を納めさせるのは気に入らないから、三年は納税しなくていいことにするわ。開拓地であることを加味しても、それぐらいなら問題ないでしょ。嫌がらせはこちらで止めるように言っておくけど、完全ではないわ。気をつけなさい」
「分かりました……」
「ダンジョンはそのままにするしかないわね。避難させようにも、どこも受け入れる余裕がないわ。上には報告するけど、大したことは言われないだろうから……まあ、期待しないで頂戴」
後日、牛侯爵から『現状維持に努めること』との命令が正式に下るのだった。
◇◇◇
それから三日後。
ヒルダお抱えの研究員に『黄色い石』を研究させたところ、それが何であるかがついに判明した。
薄暗い極秘の研究室で、その偏屈な研究員は目の下に深いクマを作りながらも、興奮で体を震わせていた。
「……これは、奇跡です! この石には『経験値』が入っています!」
「経験値……!?」
私とクリスは顔を見合わせた。
「そうです! そしてその利用方法は極めて単純。物理的に砕くだけです。砕くと、そのすぐ近くにいる人に経験値が入り、一瞬にしてレベルアップするのです!」
「なんだって……!?」
私の背中に冷たい汗が流れた。
この世界において、レベルを上げるためには命がけで動物を狩るか、さらに強い魔獣を狩るしかない。それが、この石を砕くだけで安全に、かつ即座に強くなれるというのだ。
ヒルダの表情が、かつてないほど険しくなった。
「……この発見は、画期的であるとともに、極めて危険だわ」
もしこの石の存在が公になれば、金を持つ者だけが最強の軍勢を作り出せるようになる。あるいは、領主同士がこの石を求めて、ダンジョン争奪の大戦争を引き起こすだろう。
「この情報は、ここにいる三人(ヒルダ、ハンナ、クリス)と、この研究員だけで秘匿することにするわ。決して外部に漏らしてはならない」
ヒルダの重い言葉に、研究員は恐怖に青ざめて頷き、私たちも深く同意した。
「それと同時に、ダンジョンの厳重な封鎖も決定するわ。一般の立ち入りを禁止し、情報が漏れないよう徹底的に管理しなさい」
こうして、国を揺るがす「経験値が入っている石」の発見は、私たちの手によって歴史の闇へと秘匿され、ダンジョンは厚い封鎖の壁の向こうに閉ざされることになったのだった。
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