第45話 ジークが大変だった
絢乃は困ったように微笑み、人差し指を顎に当てた。
「ふふ、ロマンね。なら、こうしましょう。まずは『討獣協会』という組織を設立して、その管理下に『狩人ギルド』を作るの。これなら、動物や魔獣の駆除といった、村全体の利益に直結する仕事として依頼を出せるし、報酬も村の予算から安定して支払えるわ」
「それだといけるのか!」
身を乗り出して答える。協会の意味は分からないが、ギルドができるのなら、なんだっていい。……ギルドってなんだ?
「ええ。そして、それが上手くいったら、次は生産者や職人を守るための『職人協会』を作って、その下に『織師ギルド』や『鍛冶師ギルド』を組織していく。どうかしら?」
「最高だよ! そういう組織があれば、職人たちの技術向上にも繋がるし、やりがいも出る。あやちゃんも茉莉も、本当にありがとう!」
俺が嬉しそうに言うと、絢乃は満足そうに頷いた。
「でも、これは村がもっと大きくなって、交易相手や他の街との繋がりができてからのお話。だから、実現するのはもう少し先になるよ?」
「ああ、わかってる。焦らずに、一歩ずつ進めていこう」
◇◇◇
「さて、悠君」
綾乃が少し表情を引き締め、いたずらな光を瞳に宿した。
「ここで問題です。今話したギルドやレベリング以上に、今すぐに決めなければならない『重要な事』があります。それは何でしょうか?」
「ええっ!? そんな唐突な……」
俺は慌てて頭をフル回転させる。
「ええと……衣食住は足りてる。税金も七年免除だから問題ない。ハンナ様が来た後の話だよな? うーん……隣の領地との境界線をはっきりさせて、土地を正式に入手すること?」
「それも将来的に大切だけど、ブブー、ハズレです。正解はね――『使用人の役職』を決めることだよ?」
「使用人の、役職?」
俺は思わず首を傾げた。
「そういえば、今はジークに執事をお願いして、マリアンにその補佐をやってもらっているだけだな」
「そうなの。でも、今の村には移住してきた人たちを含めて、120人以上の使用人がいるわ。彼ら全員を、ジークとマリアンだけで指図して動かすのは物理的に限界があるの。それに……」
絢乃はジト目を俺に向けた。
「悠君が曖昧なままにしておくと、誰が何を担当しているのか分からなくなって、結局すべての雑務や苦情処理が悠君のところに直接転がり込んでくることになるよ? そんなの嫌でしょう?」
「ひえっ……! それは絶対に勘弁してほしい。書類仕事で一日が潰れるのは御免だ」
「ふふ、だったら今のうちにしっかりとした組織図を作りましょう。使用人の仕事には、これだけの役職があるのよ」
そう言って、綾乃はそばにあった紙に、サラサラと綺麗な文字で役職を書き出していった。
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【上級管理職】
・家令:屋敷全体の運営責任者。予算管理から人事までを統括する。
・執事:男性使用人の長。酒蔵や銀器の管理、給仕、来客対応を統括する。
・家政婦長:女性使用人の長。メイドたちを統括し、屋敷の清潔さを保つ。
・料理長:厨房全体を管理し、日々の献立と調理を統括する。
【主人付き(プライベート・スタッフ)】
・従者:男性主人専用の使用人。着替えや身だしなみ、持ち物の管理を担当する。
・侍女:令嬢や夫人専用の使用人。衣装や髪型、化粧、身の回りの世話をする。
・目付侍女(ハウスキーパー補佐):若くて不慣れなメイドたちを監督・指導するベテラン。
・侍従:主人の側に控え、細かな雑務やメッセージの伝達を担う。
【屋内業務】
・給仕係:食事の配膳や片付け、宴席のサポートを行う。
・台所下働き(スカラリーメイド):厨房での皿洗い、鍋磨き、灰捨て、火起こしなどの重労働。
・洗濯係:衣類やシーツなどの洗濯と修繕を行う。
・掃除係:各部屋の掃除や寝室の整頓を行う。
・子守・乳母(ナース/ナニー):子供たちの世話や教育の補助を行う。
【外回り(アウタースタッフ)】
・御者:馬車の運転や馬の管理を担当する。
・馬丁:厩舎の掃除や馬のエサやり、ブラッシングを担当する。
・庭師:庭園や菜園、果樹園の管理を行う。
・門番:屋敷や村の出入りを監視し、来客を取り次ぐ。
・護衛:屋敷や主人の身辺警備を行う。
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「……と、大体こういった感じだね」
リストを見つめる俺に、絢乃はペンを置きながら言った。
「割り振りや具体的な人選は、私と茉莉で進めておくけれど、悠君から何か個別の要望や希望はある?」
絢乃にそう尋ねられ、悠は少し考えてから、一人の少年の顔を思い浮かべた。
「そうだな……アレスを俺の近くに置いておきたい。アレスは俺の弟子だし、将来的に色々と教えたいこともあるからな。役職で言うなら『従者』になるのかな?」
すると、それまで絢乃の膝の上で目を閉じていた茉莉が、ぴくっと眉を動かした。そして、絢乃がふっと妖しい笑みを浮かべ、俺をじっと見つめる。
「あら……? 悠君の身の回りのお世話や、お着替えの手伝いなら、私とまーちゃん、ルフちゃんで完璧にこなせますけれど? 男の子の手を借りる必要なんて、どこにあるのかしら?」
「えっ、いや、そういう意味じゃなくて……」
絢乃の背後に、どことなく黒いオーラが見える気がする。膝の上の茉莉も、薄目をあけて「そうよ、悠のお着替えは私たちがするわ」と無言の圧力をかけてきている。ルフも「お世話は私がします」と言いたげだ。
「あ、アレスはまだ子供だし、見習いとして! 主人の側に仕えて礼儀作法や村の運営を学ぶ『見習い従者』みたいなポジションでどうかなと……! 俺の身の回りの世話は、もちろん二人に任せるから!」
俺が慌てて両手を振って弁明すると、絢乃は「ふふ、冗談よ」と鈴を転がすような声で笑った。
「でも、アレス君を悠君の側に置くのは賛成。あの子は筋が良いし、悠君の弟子としての自覚も持たせたいものね。その方針で役職を割り振っておくわ」
「たすかった……」
冷や汗を拭いながら、俺は手元の大吟醸を飲み干した。こうして、深夜の作戦会議は和やかに、そして着実に村の未来の骨組みを作っていったのだった。
◇◇◇
深夜。
リビングでの話し合いを終え、それぞれが眠りにつき、ドレイク邸が完全な静寂に支配された頃。
村の遥か上空、いや、この世界の概念的な境界線において。
――バキバキバキバキッ!
凍りつくような冷たい音が、暗黒の虚空に響き渡った。
目に見えない世界の防壁――この地を外敵から守るための『結界』に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、新たな「穴」が穿たれたのだ。
その亀裂の向こうから、冷たい虚無の風が吹き込んでくる。
『大変だ』
『大変だ、大変だぁ』
『また穴が増えちゃったよ』
『うわぁ、本当だ。今度はあっちの方だね』
暗闇の中、姿の見えない小さな光の粒たちが、ざわざわと騒ぎ始める。
精霊たちだ。
彼らは結界の破損という重大な事態に直面しているにもかかわらず、その声には悲壮感など微塵もなかった。
『でも、悠なら大丈夫かな?』
『うん、悠ならきっと何とかしちゃうよ』
『大丈夫な気がする!』
『大丈夫、大丈夫!』
『頑張れ、悠!』
のんきな声で互いに頷き合う精霊たち。彼らにとって、結界の破損すらもどこか他人事のようだった。なぜなら、彼らには絶対的な信頼を寄せる「お供え物をくれる人神」がいるからだ。
『……ねえ、それよりお酒欲しい』
『おもちも食べたいなぁ。あのもちもちしたやつ』
『お腹すいちゃった』
『ねえ、これ、悠にお礼として置いておこうよ』
『そうだね、お礼をあげたら、また美味しいものくれるかも!』
『これお礼! 悠、受け取ってね!』
精霊たちは嬉しそうに飛び回りながら、不思議な光の残滓を、結界の裂け目の真下――ドレイク村の神社の社殿へと落としていくのだった。
世界の境界に刻まれた新たな綻び。
それが、ドレイク村にどのような未来をもたらすのか。
領主が訪れるまで、残り、あと3日。
最後までお読みいただきありがとうございます。




