第44話 地下室の夜会
一日の喧騒が嘘のように消え去り、ドレイク邸が深い静寂に包まれる頃。俺は各寝殿から繋がる、誰にも知られていない秘密の地下室にいた。
「ふうー! さっぱりした」
広い浴場から上がり、水滴を軽く拭ってから、バスローブ代わりにクローゼットから取り出した特製の浴衣に袖を通す。帯を軽く結び、濡れた髪をタオルで拭きながら脱衣所を出ると、心地よい暖かさに満ちた洗面所へと入った。
その隣に併設されたマッサージルームからは、仕切りのカーテン越しに、何とも言えない声が漏れ聞こえてくる。
「んぅ……あ、そこ、すごくいぃ……。絢乃、もうちょっと右……」
茉莉の、とろけそうな、そして少し甘えたような声だ。
日中の開墾作業や『龍学舎』の立ち上げ準備で、彼女も相当身体が凝っていたのだろう。絢乃の慣れた手つきでツボを押され、完全に骨抜きにされているようだ。カーテンの向こうの妖艶な光景を想像してしまいそうになり、俺は小さく首を振ってリビングへと向かった。
「悠様、今日もお疲れさまでした」
リビングのソファに腰掛けようとしたその時、柔らかい声が俺を迎えてくれた。
振り返ると、そこには天使のルフが、綺麗に磨かれたガラスの徳利とお猪口を乗せた盆を両手で持って立っていた。徳利の表面には、冷やされていることを示す細かな水滴が美しく光っている。
「ありがとう、ルフもお疲れ様」
受け取ったお猪口には、透き通った『純米大吟醸』が注がれていた。一口含むと、フルーティーな香りが鼻腔を抜け、上品な甘みが喉を滑り落ちていく。昼間の労働で火照った身体に、冷たい酒が染み渡る。
「ルフも、一緒にケーキを食べようか」
冷蔵室から、生クリームと真っ赤ないちごが乗ったショートケーキを二皿取り出すと、ルフはぱっと目を輝かせた。
「はい! いただきます!」
ソファの隣にちょこんと腰掛けたルフは、フォークを丁寧に持ち、崩さないように小さくケーキを切り取って口に運んだ。
「……おいしいです。このふわふわした生地と、甘いクリームは、いつ食べても夢のようです」
本当に幸せそうに頬を緩めるルフを見ていると、こちらまで心が和んでくる。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。まだまだたくさんあるから、いつでも言ってな」
「はい!」
茉莉と絢乃がマッサージを終えてやってくるまでの間、俺とルフは、今日あった出来事を話し合う。子供たちの様子や、新しく建てた『龍学舎』のレイアウトについて、たわいのない話で大いに盛り上がった。
◇◇◇
やがて、パタパタとスリッパの音がして、マッサージルームから茉莉と絢乃がリビングへと姿を現した。
茉莉はマッサージの効果で血行が良くなったのか、白い頬をぽっと桜色に染め、どこか眠たげな目をしている。一方の絢乃は、湯上がりでありながらも相変わらず凛とした美しさを保ち、大人の色香を漂わせていた。
二人は俺の対面のソファへと腰を下ろす。茉莉はすっかり緊張が解けたのか、絢乃の太ももに頭を乗せて、そのままコロンと膝枕の体勢に入った。絢乃は手慣れた様子で、茉莉の柔らかな髪を優しくなでている。
「ぷはぁ、美味い……」
俺は再び大吟醸を煽りつつ、二人に問いかけた。
「ところでさ、領主のハンナ様がこの村にやってくるまで、あと3日だっけ? まだやっておくべきことってあるかな?」
その言葉に、絢乃が茉莉の髪をなでる手を止めず、ふふっと小さく笑った。
「悠君? やることはたくさんあるよ? むしろ、時間が足りないくらい」
「えっ、マジで? 衣食住も整ったし、結構順調だと思ってたんだけど」
「甘いよ、悠君。今一番やったほうが良いのは、動物を狩って行う『レベリング』。レベルが上がれば、それだけできることがうんと増えるわ。例えば、家畜を育てる畜産業や、もっと広い場所を開墾できるようになるでしょ?」
絢乃は指を一本ずつ折り曲げながら説明を続ける。
「それに、レベルが上がれば、村人たちの生産性や作業効率も底上げされるの。そうすれば、1日に出来る作業量が格段に増える。今は採掘こそ十分な量が確保できているけれど、鍛冶職人がまだ少なくてね。道具の生産量が追いいついていないのよ。だから農具や武器も不足気味。それに……」
絢乃は視線を少し落とし、真剣な眼差しになった。
「長い目で見るなら、木材を確保するための『林業』も本格的に始めたいの。でも、そのためには森の奥へ入る必要がある。そこには獰猛な魔獣がいるから、木を伐り出す人たちを守るために、魔獣を討伐できるだけの強さが絶対に必要になるわ。そうなると、少数精鋭の騎士……ううん、悠君の好みなら『武士』と呼ぶべきかしら? そういった防衛や治安維持を担う役職を作る必要があるの」
「武士か……いいな」
「ってな感じで、やることは山積み。全然暇じゃないんだよ?」
いたずらっぽく笑う絢乃の膝の上で、茉莉がうとうとしながら「うぅん……」と声を漏らした。
俺は少し考え込み、前々から気になっていた疑問を口にしてみた。
「そういえばさ、この世界って『冒険者ギルド』みたいなものはないんだよな。俺たちの村に、そういうギルドを作ってみるのはどう思う?」
「……んぅ、それは、やめといたほうがいいわよ~……」
膝枕されていた茉莉が、目を瞑ったままふらふらと上半身を起こそうとする。しかし、すかさず絢乃が「いいのよ、まーちゃんはおねんねしてて大丈夫だからね」と優しく頭を抑えると、茉莉は「むにゃ……」と素直にまた絢乃の膝の上へと収まった。その様子がなんとも可愛らしい。
代わりに、絢乃が苦笑しながら俺の問いに答えた。
「まーちゃんが言ったとおり、冒険者ギルドの設立は今は避けた方がいいわね。悠君、冒険者は確かに個人としては実入りが良いかもしれないけれど、それを組織として『経営』するのは極めて難しいのよ? だって考えてみて。冒険者が持ち込んでくる素材などの『供給』が常に不安定。そして、それを買い取る側の『需要』も不安定。そんなリスクの高い事業が、立ち上げたばかりのこの村で長く成り立つと思う?」
「う……言われてみれば、確かに成り立たないな。でも、異世界といえば冒険者ギルドっていう、ロマンがさ……」
俺が肩を落とすのだった。俺の異世界ファンタジーが遠のいていく……。
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