第34話 歴史の講義
頬をなでる川風が、微かに濡れた草の青い香りを運んできた。
ゆっくりと意識が覚醒していく中、俺の頭の下にある、驚くほど柔らかく、そして温かい感触に気がついた。
「あら、悠様。お目覚めですか?」
上から降ってきたのは、鈴の音を転がしたようなルフの愛らしい声だった。
薄目を開けると、彼女の端整な顔がすぐ近くにあった。美しい金髪が太陽の光で輝き、彼女の体から漂う甘い香りが鼻腔を満たす。ルフは恥ずかしそうに頬を朱に染めながらも、嬉しそうに私の頭を優しく撫でてくれた。
「……うん。おはよう、ルフ。あまりの心地よさに、つい本格的に寝てしまいそうだったよ」
「ふふ、いくらでも寝ていて構わないのですよ? 私の太ももは、悠様のためにいつでも開放されていますから!」
胸を張って無邪気に笑うルフの姿が眩しい。私を癒やすために差し出してくれた彼女の膝枕は、心のもやもやも一瞬で吹き飛ばしてくれる極上の特効薬だった。
私が名残惜しさを感じつつもゆっくりと体を起こした時、川原の茂みをかき分けて、二人の若者が近づいてくるのが見えた。ドレイク家の執事であるジークと、その相棒のアレスだ、マリアンもその後ろに続いている。
「村長様、こちらにいらっしゃいましたか」
「あ、ジーク、アレス、マリアンも、どうしたんだい?」
「はい、本日の訓練の予定についてご相談がありまして……」
ジークは背筋を伸ばし、真面目な顔で一礼した。その隣で、少し緊張した面持ちのアレスもペコリと頭を下げる。
彼らはこれからの村の防衛や開発を支えてくれる貴重な若者たちだ。私はふと、彼らの現在の能力がどの程度なのか気になり、うっかりいつもの感覚でスキルを発動してしまった。
「『鑑定』」
声に出して呟いた瞬間、目の前にステータスウインドウが浮かび上がった。
その光景を見たジークが、突如として顔色を劇的に変えた。
「――っ!? 村長様、今、何とおっしゃいましたか!? それにその水色の紙は……」
ジークは信じられないものを見たという風に目を見開き、ガタガタと肩を震わせた。彼は素早い動作で周囲を見渡し、近くに他の村人がいないことを確認すると、もの凄い剣幕で私の肩を掴んで声を潜めた。
「村長様! 今のスキルは……まさか『鑑定』ですか!? 相手の情報を直接読み取るという、あの……!」
「え? あ, うん。そうだけど……」
「ダメです! 絶対に、人前でそれを使ってはいけません! 見せるどころか、口にするのも厳禁です!」
「え、そんなにヤバいものなのか?」
ジークの必死な様子に、私は思わず気圧された。隣にいるアレスも、ジークの尋常ではない怯え方にゴクリと唾を呑み込んでいる。
「ヤバいどころの話ではありません! その『鑑定』スキルは、かつてこの地を支配していた『イグゾムリア王国』の王家だけの固有の能力とされる伝説の秘術ですよ! もし現王国のウィルダム国王の耳にそんな力を持つ者の存在が入れば、間違いなく国家への反逆者、あるいは前王家の生き残りとして、一族郎党すべて消されます!」
「消される……!?」
ジークの口から飛び出した「消される」という単語に、私は背筋が凍るような冷たさを感じた。
この世界の権力闘争や王家の執念は、現代日本の比ではない。ジークの忠告は決して大袈裟なものではないのだろう。私は深く頷き、額の冷や汗を拭った。
「わかった……。絶対に人前では使わないし、この秘密はすぐに茉莉や絢乃たちにも共有して、徹底的に隠し通すことにするよ。教えてくれてありがとう、ジーク」
「いえ、村長様の身の安全が第一ですから……。しかし、まさか本当に『鑑定』が存在したとは……」
ジークは一つ大きなため息をつき、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
せっかくの機会だ。私はジークに、この世界の「ステータス」や「歴史」について、もっと詳しく教えてもらうことにした。ルフも興味津々な様子で、私たちの会話に耳を傾けている。
膝枕はやめるつもりはない。
「なあ、ジーク。そもそもステータスって、この世界の人々にとってはどういう認識なんだ?」
「そうですね……。見た目の筋肉や体格とは別に、不可視の『指標としての身体能力』が存在する、というのは学者の間でも有名な説です。それを測る術は一般にはありませんが、ステータスを向上させる方法は二つあるとされています」
ジークは人差し指を立てて説明を始めた。
「一つは、魔獣などの強敵を討伐し、自身の『レベル』を上げること。そしてもう一つは、王国の誇る『魔導具伯爵家』が開発した魔導具を装備することです」
「魔導具伯爵家?」
「はい。その一族が作り出す魔導具は、身につけるだけで身体能力が底上げされると言われています。しかしそれは副次的な機能に過ぎません。本質は、魔力を持たない人間族であっても、道具を通じて魔法を発動できるという点にあります。この魔導具の恩恵があったからこそ、我が人間族の王国は、数多の魔獣や帝国の脅威に侵略されることなく、今日まで存続できたと言われています」
ふむ、技術による軍事力の底上げが国の基盤になっているわけか。
「それにしても、前王国の『イグゾムリア王国』っていうのは、どんな国だったんだ?」
「イグゾムリア王国ですか……」
ジークの目が、どこか冷ややかな、しかし歴史への熱を帯びたものに変わった。
「今から約五十年前に滅びた前王朝です。一言で言えば、あまりにも消極的で惰弱な王家でした。人族の侵略に対し、彼らは戦うことを放棄し、領土を割譲して逃げることばかりを繰り返していたのです。民を見捨て、自分たちの保身だけを優先する王家に、当時の人々は絶望していました」
ジークは拳を握りしめ、語気を強める。
「それを打ち破ったのが、現国王であるウィルダム陛下です。陛下は人族の干渉を断固として拒絶し、人間族だけの強固な国家を築き上げるべく立ち上がりました。そして、前王家の一族郎党をことごとく討伐し、新たな王朝を開いたのです。まさに人間族の英傑と言えます!」
ジークの言葉は熱を帯びていく。まるで教科書を暗記しているかのように、現王の功績を並べ立てた。
「ウィルダム陛下は能力主義を徹底されました。魔道具の開発はもちろん、鶏や牛、豚、羊といった動物の家畜化に成功した一族には、その功績を称えて侯爵や伯爵などの爵位を与えたのです。前王家では貴族の身分は固定され、平民がどれだけ努力しても報われない身分差別が深刻でしたが、現陛下は『子爵以上の階級にある者には、新たに貴族位を授与する権限が与えられる』という英断を下されました。これにより、誰もが努力次第で這い上がれるという希望を持てるようになったのです!」
熱狂的に語るジークを見ながら、私はふと、冷めた疑問を抱いてしまった。
(……なんか凄そうに聞こえるけど、王家自体は何も画期的な技術を開発してなくないか?)
家畜化にしても魔道具にしても、実際に開発したのは市井の優秀な人々だ。王家はそれを横取りし、爵位という「紙切れ一枚」の報酬で手懐けただけに思える。しかも、たった五十年ほどの間にこれだけの功績が連発するはずがない。前王家が長い歴史の中でコツコツと積み上げてきた技術や研究遺産を、現王家が急速に消費し、自分たちの手柄として見せびらかしているだけではないのだろうか。
(もし、これで国の中枢にスパイが入り込まれていたら、完膚なきまでに滅ぼされてしまうんじゃ……。ちゃんとスパイ対策はしているんだろうな? 頼むから「している」と言ってくれ……)
建国五十年の新興王国が抱える脆さに思いを馳せ、私は内心で深い不安を覚えるのだった。
「ちなみに前王家は何年ぐらい続いたんだ?」
「500年ぐらいだったと記憶しています」
「長っ!」
◇◇◇
ジークの熱い歴史講義を終えた後、私たちは現実的な村の開発へと意識を切り替えた。
現在、村にはレンガを焼くための焼成窯があるが、今後の需要を考えると圧倒的に規模が足りない。
「レンガだけでなく、煮炊きに使う土器や壺、さらには外部に売ることを考えると、もっと大量の粘土が必要になるね」
私は腕を組み、村の地図を思い浮かべながら言った。
「堀を掘ったときに出る余分な土を運ぶのも手だけど、やはり安定して質の良い粘土を採掘できる場所を確保したい。新しい『粘土採掘場』を作ろう」
「ですが悠様、この近くで良質な粘土が採れる場所など、心当たりがありませんが……」
ジークの疑問に対し、私は不敵に微笑んだ。
「大丈夫、ちょっと調べてみるよ」
私は人目のつかない寝殿の寝床へと移動した。ルフに付き添ってもらい、彼女のアドバイスを受けながら、初めて固有スキル『神眼』を使ってみることにしたのだ。
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