第33話 妻たちの様子
会議が終わった後も、なんとなく胸の奥にモヤモヤとしたものが残っていた。
茉莉があまりにも優秀で、ジークもこの世界の知識をしっかりと持っている。それに比べて、俺は現代の知識を少し小出しにするだけで、実質的な交渉や計画の立案にはほとんど貢献できていないのではないか。そんな自己嫌悪が俺を支配していた。
俺は気分の落ち込みを癒やすため、そして愛しいもう一人の妻の顔を見るために、村の畑へと足を向けた。
畑では、青々と茂る葉の間で、麦わら帽子をかぶり、作務衣を着た綾乃が土をいじっていた。彼女の周囲には、耕されたばかりの土の芳醇な匂いと、生命力に満ちた緑の香りが漂っている。
「あら、悠君。どうしたの?」
私の足音に気づいた綾乃が、顔を上げてふわりと微笑んだ。しかし、私の顔を見るなり、その穏やかな眉を少しだけ心配そうに寄せる。
「ちょっと落ち込んでるね。どうしたの?よしよし」
綾乃は手についた土を素早く払うと、私の元へと歩み寄り、子供をあやすように優しく私の頭を撫でてくれた。彼女の手のひらは柔らかく、そして温かい。その温もりが頭頂部から染み込んでくるようで、凝り固まっていた心が少しずつほぐれていくのが分かった。
「……俺って、みんなの役に立ってるのかなって。茉莉は商売の計画を完璧に立てられるし、ジークはこの世界のことをよく知ってる。俺はただ、種を出すだけで……」
「何を言おうとしたのかな? 悠君?」
綾乃は私の言葉を途中で遮り、頭を撫でる手を止めて、私の目をじっと見つめてきた。その微笑みは優しいが、有無を言わせない迫力があった。
「何も言おうとしていません!」
「よろしい。……そんな悲しいことは言わないの」
綾乃は再び私の頭を優しく撫で始めた。
「あのね、悠君。悠君がいるから、私たちはこんなにのんきに、それでいて毎日を楽しく生活できているんだよ? 自分に自信を持って……とは言わないけれど。でも、悠君がいてくれて嬉しいっていうのは、私たちが心から思っていることなの。まさか、その私たちの気持ちを否定したりはしないよね?」
「……ううん。否定しないよ」
綾乃の真っ直ぐな言葉が、じんわりと胸に染み渡る。私は少し照れくさくなり、おどけるように言った。
「そうだね。俺のおかげで、みんな楽しく過ごせてるんだよね!」
「ふふ、ぜーったい、心の中ではそう思っていない顔だね」
綾乃は俺の強がりをすぐに見抜き、クスクスと鈴を転がすような声で笑った。その笑顔を見ているだけで、自分の悩みがひどくちっぽけなものに思えてくるから不思議だ。
「ありがとう、あやちゃん。少し楽になったよ」
「どういたしまして。いつでも甘えに来てね」
彼女の温かい視線に見送られながら、私は畑を後にした。
◇◇◇
次に私が向かったのは、村の近くを流れる川の釣り場だった。
そこでは、私のもう一人の妻であるルフが、村の子供たちの扱いに四苦八苦している姿があった。
「コラ! そっちは流れが急だから行ってはダメだと言ったでしょう! 戻ってきなさい!」
ルフが声を張り上げるが、子供たちは「はーい!」と元気よく返事をするだけで、ちっとも言うことを聞く気配がない。川の浅瀬できらきらと光る水しぶきを上げながら、楽しそうに走り回っている。
「はぁ……。なぜあっちに行ってはいけないと言ったのに、皆あっちに行ってしまうのでしょうか……」
駆け寄ってきたルフは、肩で息をしながら、くたびれた様子で私の前に立ち止まった。
「それが子供たちなんだよ。行ってはいけないと言われたら、余計に行きたくなってしまうものなんだ」
「そういうものなのですか? うう、人間の子供というのは理解が難しいです。私には子供時代というものがありませんから……。生まれた時からこの姿でしたし」
ルフはため息をつきながら、自身の耳に飾られた美しいイヤリングにそっと手を当てた。
「そのイヤリング、とても似合ってるね。ルフの綺麗な髪によく映えてる」
私がそう言うと、ルフは一瞬で表情を輝かせ、嬉しそうに頬を染めた。
「そうですか!? ふふん、実はこれ、先輩の天……ごほん!私の先輩からいただいた大切な物なんですよ」
危うく「先輩の天使」と言いそうになったのを慌てて誤魔化すルフが微笑ましい。彼女がつけているそのイヤリングは、彼女の背中にあるはずの天使の翼といった天使の特徴を隠すための不思議なアイテムなのだ。鑑定しても情報が出てこないのを知った時は驚いた。
「天使の翼などを隠してくれる、とってもすごいアイテムなのです」
ルフは周囲に聞こえないよう、小さな声でこっそりと私に教えてくれた。
結局天使と言ってしまっているが、気づかなかったことにしよう。
「それは良かったね。大事にしないとね」
「……?悠様、何かいつもと違いますね?」
ルフは私の短い返答と、どことなく元気のない様子に気づき、私の顔をじっと覗き込んできた。
「まさか……偽物ですか!?本物の悠様はどこへ行ったのです!」
ルフはわざとらしく大袈裟に驚いてみせ、私の顔を両手で挟み込んできた。彼女の突拍子もない行動と、柔らかい手のひらの感触に、私は思わず吹き出してしまう。
「あはは、本物だよ。偽物なわけないだろう」
「んん? でも、やっぱりいつもとノリが違いますね。……まさか、あの噂に聞く『落ち込む』というやつですか?」
ルフは人差し指を顎に当て、小首をかしげた。
「そういう時は、妻の膝枕が良いと本で読んだことがあります!……あ、私が妻でした!」
自分で言ってからハッと気づいたように胸を張るルフの姿が、あまりにも愛らしくて、私の胸のモヤモヤは完全に霧散していった。
「そんな伝説の治療法みたいなノリで言われると、ちょっと恥ずかしいな。……でも、お言葉に甘えて、遠慮なくさせてもらおうかな」
「はい。遠慮なんていりません」
ルフは川辺の草むらに腰を下ろし、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
私はゆっくりと彼女の隣に横たわり、その膝の上に頭を乗せる。ルフの太ももは驚くほど柔らかく、草の青々とした匂いと、彼女自身の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「やっぱり、いつもと違いますね。いつもの元気な悠様になるまで、そこでずっと膝枕されていなさい」
ルフの、命令でもない優しい言葉。それに逆らう理由など、私には微塵もなかった。
俺は「ありがとう」と小さく呟き、ゆっくりと目を閉じた。
遠くから聞こえる子供たちの無邪気な笑い声。さらさらと流れる川のせせらぎ。頬を撫でていく心地よい風。割れんばかりの陽光を遮る木々の葉擦れ。そして、私の頭を優しく撫でてくれるルフの指先。
(ああ……俺は本当に、みんなに愛されているんだな……)
茉莉の厳しいけれど温かい言葉、綾乃の包み込むような優しさ、そしてルフの天真爛漫な癒やし。三人の妻たちが私を支えてくれている。役に立っているかどうかではなく、ここにいて、みんなと笑い合えていること自体が、私にとって何よりの価値なのだ。
心地よい安心感と、ルフの膝の温もりに包まれながら、私は襲ってくる心地よい眠気に抗うことなく、静かに微睡みの中へと落ちていった。
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