第30話 異世界では気づいたら自然が変わるようです
村を歩いていると、遠くからバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「村長様! 村長様ーーっ!」
走ってきたのは、村の子供たちだった。顔を真っ赤にし、息を荒くしている。
「どうした? 森から動物でも出たか?」
悠が身構えると、先頭の男の子が首を大きく横に振った。
「ち、違う! 穴に! あの大きな穴に水が溜まってるの!」
「へ……? 穴?」
悠は子供たちに引っ張られるようにして、村の防衛用に掘った巨大な堀へと向かった。
辿り着いた悠は、目の前の光景に唖然とした。
昨日までは土が剥き出しだった巨大な堀に、透き通った水が湛えられているのだ。
水位は、堀の縁からちょうど二メートルほど下のところでぴたりと安定していた。
「おいおい、嘘だろ……?」
悠は堀の構造を思い出す。
堀の内側と外側には、あらかじめ掘った土を二メートルほど盛土してあった。そのため、実際の堀の深さは十二メートル近くある。その深大な溝が、完全に水で満たされているのだ。
「地下水でも湧き出たのか?いや、掘ってた時に水が漏れたり濁ったりしていないし……」
「ちょっと堀の周囲を見てくる。みんなは危ないから離れてるんだぞ」
悠は首を傾げながら、堀の周囲を北側に向かって走って行った。
そして、森の境界に近い堀の北端に達した時、悠は信じられないものを見た。
「何だこれ……川が流れてきてる?」
なんと、北の山側から堀に向かって、真新しい川が自然と繋がり、水を注ぎ込んでいたのだ。
さらに堀の南東側を確認すると、そこからは悠が釣りに行った本流の川に向かって、川がまっすぐに伸びて連結されていた。
「雨は降ってないはずだし、こんな工事、やってないぞ……。勝手に川のルートが変わって堀に繋がったのか?」
いくらなんでも自然現象にしては都合が良すぎる。
しかし、青く澄んだ水面を覗き込むと、そこには小さな魚たちが群れをなして気持ち良さそうに泳いでいた。
「まあ……これでわざわざ遠くの川まで行かなくても、堀の周りで釣りができるな。ルフの仕事も楽になるし……よしとするか!」
悠は考えるのをやめ、笑顔で「結果オーライ」と呟きながら、作戦会議のために東対へと引き返した。
◇◇◇
東対の一角にある、日当たりの良い小さな部屋。
悠はジークフリートとマリアンをそこに連れていき、特産品開発のための作戦会議を開いた。
「よし、特産品を話し合う前に……まずはこの世界の『人族』について、俺に詳しく教えてくれないか?」
悠が尋ねると、ジークフリートとマリアンは顔を見合わせ、引き締まった表情で頷いた。
「わかりました。人族の概要についてご説明いたします」
ジークフリートが、静かな、しかしどこか重い口調で語り始めた。
「人族の最大の特徴は、『特徴がないこと』です。エルフのような長寿や魔力、ドワーフのような頑強な肉体はありませんが、あらゆる環境に適合する柔軟な肉体と、魔力や聖力の行使においてオールマイティな適性を持っています」
「ふむ、万能型ってことか」
(エルフとドワーフがいるだと! 異世界最高!)
「はい。ですが、彼らの精神の基盤にあるのは、極端な選民思想です。彼らは『原初至純教』という宗教を信仰しています。人族の純血と優越性を説く教えで、彼らは他種族を特に人間族を『自分たちより劣る、道具や家畜』と見なしています」
マリアンが眉をひそめ、不快感を露わにしながら言葉を継いだ。
「人族にとっての最大の禁忌は、他種族との交配です。そして……自分たちと外見が似通っている『人間族』と同一視されることを、彼らは最大の屈辱としています。もし彼らを『人間族』と呼べば、烈火のごとく激怒し、即座に剣を向けられるでしょう」
「人族と人間族は違うのか……」
(間違えないようにしないとな)
「現在、大陸の大半は、その人族の国家である『神聖アルビオン帝国』とその属領によって支配されているようです。帝国は南西から定期的に軍勢を率いて攻め込んできます。彼らは風人族のエルフや土人族のドワーフだけでなく、火人族のフレアスや水人族のディーネといった人種をも契約聖法で縛り、前線に立たせて侵略してくるのです。その戦いで、大勢の犠牲者が出ています……」
ジークフリートの拳が、みしりと音を立てて握りしめられた。
「……さらに、戦場では人間の見た目をした奴隷を見かけた人もいるようです。敗北して奴隷に落とされた者たちか、あるいは……人間族の中に、帝国へ魂を売った裏切り者がいるのではないかとも言われています」
そこまで語ると、ジークフリートは悔しそうに視線を落とした。その大きな瞳から、堪えきれない大粒の涙がポロポロと零れ落ち、板敷きの床を濡らす。
「俺の、父も……母も……そして兄も……その帝国との戦争で命を落としました。俺たちは、奴らに故郷を一度奪われたのです……!」
少年の背負う過酷な過去と、今なお消えぬ深い悲しみが、部屋の空気を重く沈ませた。
悠は黙ってジークフリートに近づき、その小さな肩をポンと叩いた。
「ジーク。男が泣いていいのは、子供が生まれた時だけだ」
ジークフリートが、涙に濡れた目でハッと悠を見上げた。
「強くなりたいか?」
悠の真っ直ぐな瞳に見つめられ、ジークフリートは袖で涙を乱暴に拭うと、力強く叫んだ。
「ああ! 強くなりたい! そのためなら、俺は何だってやる!」
「俺も! 俺も強くなりたい!」
バタン! と激しい音を立てて扉が開き、アレスが部屋に飛び込んできた。
「うわああああっ!?」
悠は素っ頓狂な声を上げ、飛び上がって心臓を押さえた。
「アレス! ノックをしてから入りなさい! ジークの心臓が口から飛び出したらどうするんだ!」
「いや、びっくりしてたのはにーちゃんの方でしょ」
ジークフリートが涙を引っ込めて、ジト目で悠をツッコんだ。
「黙って! いいから黙って!」
悠は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ふたりとも、喧嘩しちゃだめだよ?」
アレスが不思議そうに小首を傾げた。
「うるさい!」
「にーちゃんと一緒にするな!」
悠とジークフリートの声が部屋に響き渡った。
悠はふぅと息を吐き、アレスに向き直った。
「アレス。強くなりたいっていう気持ちは嬉しいけど、お前はまだ十二歳だ。子供を鍛えるには、さすがに親の許可をもらわないとな」
「えー、お母さんならきっと大丈夫だよ」
「ダメだ。ジーク、マリアン、アレス。ちょっとここで待っててくれ。俺が直接、アレスのお母さんに聞いてくる」
悠は部屋を出て、開墾作業の合間に休憩していたアレスの母親の元へと向かった。
「……というわけで、アレスを俺の弟子として鍛えようと思うんですが、よろしいですか?」
悠が切り出すと、アレスの母親は一瞬呆然とし、次の瞬間には両手を合わせて天を仰いだ。
「まあ……! 村長様直々に、うちのアレスを鍛えてくださるのですか!? ぜひ、ぜひお願いいたします! ああ……あなた、聞いておりますか。あの小さくて病弱だったアレスが、とうとう村長様に目をかけていただけるほどに……。ああ、これで……」
母親の目から涙が溢れ出し、語りが本格的に長くなりそうな気配を察知した悠は、一歩後退した。
「あ、じゃあ許可をもらったということで! 失礼します!」
悠はそっと踵を返し、足早に会議室へと戻った。
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