第26話 龍神族の小さな嘘
その瞬間、悠の額の左右から、二本の純白の角がぬっと突き出た。衣服の下からは、太くしなやかな龍の尾が伸び、首元や手の甲の皮膚の一部が、美しい真珠色に輝く硬質な鱗へと変化していく。
悠の体から自然と漏れ出たのは、人間では到底持ち得ない、圧倒的な上位存在としての強烈なプレッシャーだった。
「ひっ……!」
さっきまで声を荒らげていた男の子が尻もちをつき、周囲の大人たちも恐怖のあまり息を呑んで硬直した。
「ちょっとね、こことは違う別の場所に住んでいたんだけどさ。退屈だったから、こっそり抜け出してこっちの世界に遊びに来ているんだ。だから、俺の正体はみんなだけの内緒にしてほしいな」
悠は人懐っこい笑みを浮かべ、少しおどけた調子で言った。
「な、なんでわざわざ、こっちの世界に来たんですか?」
尻もちをついた男の子が、恐る恐る尋ねる。
「あっちの世界はね、何を食べても味がしなくて、本当に退屈だったんだよ。そしたら、こっちの世界には美味しいものがたくさんあるって聞いてさ。美味しいご飯をたらふく食べるために、来ちゃったわけ」
もちろん嘘だ。日本の食文化以上のものはないと思っている。だからそれを逆手に取った。
「……美味しいものを食べるため、ですか?」
あまりにも緊張感のない、しかし妙に納得できる理由に、難民たちの顔から徐々に恐怖が薄れていった。抱かれていた赤ん坊が、悠の角を見てキャッキャと声を上げて笑い、手を伸ばしてくる。その無邪気な様子に、大人たちの強張った肩の力も抜けていくのが分かった。
悠は満足げに頷くと、能力を使って『人神族』へと姿を戻した。角や尾、鱗がすっと消え、元の平穏な青年の姿に戻る。
「で、どうだい? みんな、畑を耕してみないかい?」
「神様……俺たち、そもそも住む家もないんだぜ?」
男の子が、少し拗ねたような、しかし確かな現実を突きつけてきた。
「ああ、そういえばそこまで説明してなかったね。それと神様と呼ぶのはやめてほしい。実は今、俺たちはね、ここから北にある『ドレイク村』っていう新しい村を作っているんだ。そこで今、開拓民を絶賛募集中なんだよ。税金も、領主の男爵様に交渉して『七年間は完全免除』にしてもらったから、自分たちの食べるものを育てることに専念できる。そうそう、君はなんて名前? 俺は悠=ドレイク。よろしくね」
悠が手を差し伸べると、男の子は驚いたように目を見張った。
「……ジークフリート。本当に、かみ……にーちゃんだけで開拓なんてできてるの? 不安しかないんだけど」
「坊ちゃ……ジークフリート、無礼ですよ」
すっと、さきほど「聖法だ」と叫んだ女性がラインハルトの傍らに寄り添った。その身のこなしにはどこか上品さがあり、単なる親子というよりは、主君とそれに従う侍女のような、強い主従関係を感じさせた。
悠は(何か訳ありなんだろうな)と察したが、それを深く詮索する気はなかった。どんな事情があろうと、畑を耕して一緒に村を作る仲間になれば関係ない。
「あはは、心配はごもっとも。でも大丈夫、俺の村には優秀な妻が三人いるからね。家のことも心配いらないよ。まだ豪華な邸宅とはいかないけど、今のこの泥の上よりは、ずっと温かくて頑丈な家を提供できる。つまり、温かい食事、寝床、畑の仕事……それらすべてが、今すぐ提供できる状態になってるってことさ」
ジークフリートは悠の目をじっと見つめた。嘘や欺瞞がないかを探るような強い視線だったが、悠はただのんびりと笑い返した。
「……嘘は、ついてないみたいだな。それに、人さらいの割には、こんなところで派手な聖法を見せる必要がないし、そもそも服装は…ただの農奴だな」
「まあ、悪いようにはしないよ。特に、君たちみたいな『訳あり』ならなおさら、ね?」
悠が意味深に微笑むと、ラインハルトは観念したように小さく息を吐き、丁寧に頭を下げた。
「分かった。付いていく……いや、行かせてください」
「坊ちゃま……! 頭を上げてください……」
傍らの女性が慌てるが、ラインハルトは首を振る。
「彼のおかげで、アレスもみんなも救われたんだ。それに、このままここにいても死ぬのを待つだけだろ? だったら、このにーちゃんに賭けてみるよ」
「そう来なくっちゃ! 一緒に最高の村を作っていこうぜ!」
悠が親指を立てて笑うと、周囲の難民たちからも次々と声が上がった。
「私たちも……ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん! みんな大歓迎だよ!」
結果として、その場にいた約五十人――正確には四十七人全員が、悠と共に『ドレイク村』へ移住することを決意した。これだけの人数がいれば、いよいよ本格的な「村」らしくなってくる。悠は手応えを感じながら、彼らを率いて町の役所へと向かった。
◇◇◇
「で、君はまた来たと思ったらなんだい? 『今から人攫いします』とでも言いに来たのかい?」
役所へ戻り、手続きをしようと思ったのだが、男爵の執務室に通された。
男爵であるハンナは、頭痛をこらえるように額を押さえながら悠を睨みつけた。
「えっ、ただ移住する村人が決まったので、農奴登録をしに来ただけですよ?」
「いや、言いたいことは分かるわよ? でもね、あなたとさっき別れてから、まだ半日も経っていないのよ? そのわずかな時間で、どうやって四十七人もの住民を説得して、あんな動物が出る危険な北の開拓地に連れて行くって話になるのよ。普通なら、どう考えても人攫いか詐欺だと思うでしょうが」
ハンナの口調は、公務の堅苦しさを忘れたように、すっかり砕けたものになっていた。悠の常識外れの行動力に、彼女の処理能力が追いついていないらしい。
「普通に、『畑耕さない? 衣食住と仕事は保証するよ』って声をかけただけですよ?」
途中で龍神族に変身したことや、謎の光で全員の病気を完治させたことなどは、面倒なので伏せておく。
「それを聞いて素直に付いてくる方がどうかしているわ……。それに、あなたが連れてきたのは、北西地区の領民でしょう? あそこには満足に働ける人間なんていないはずよ。病持ちも多かったはずだし、まともな労働力になるとは思えないのだけれど……」
ハンナは遠い目をしながら溜め息をついた。彼女なりに、領内の弱者を見捨てざるを得ない現状に心を痛めていたのだろう。
「……まあ、その辺は心配ご無用です。それよりハンナ様、水もらえません? のどが渇いちゃって」
話が長くなりそうなので水を所望する。
「自由か!」
ハンナの鋭いツッコミが飛んできたが、彼女はすぐに机の上の呼び鈴を鳴らし、使用人に冷たい水を用意させた。
悠は差し出された水を美味しそうに飲み干し、ぷはぁ、と一息つく。冷たい水が乾いた喉を潤していく。お代わりも所望した。
「それと、今の彼らの体力だと、北の開拓地に着く前に力尽きちゃうと思うんで、道中の食料を少し買って行ってもいいですか?」
「それくらいの手配は、すでにこちらで済ませてあるわよ。安心していいわ」
ハンナは呆れ顔のまま言った。ぶっきらぼうだが、やはり根は優しい女性なのだ。
「ただ、問題は家を建てるための木材ね。いくら開拓支援とはいえ、突発的に四十七人分の家を建てるだけの木材は、今すぐには用意できないわ。うちの備蓄から出せるのは、二十五軒分が限界よ」
「それでも十分すぎます。ありがとうございます」
「……不思議ね。一昨日、開拓地へ行ったばかりで、あなたたちの家すらまだできていないでしょうに。そんな大人数を受け入れて、本当に大丈夫なの?」
「ああ、俺たちの家ですか? もう完璧にできてますよ。倉庫も完成してます」
「早ッ!?」
ハンナが本日一番の驚愕の声を上げ、椅子から身を乗り出した。そりゃそうだ、普通なら……どれぐらいかかるのだろうか?
「旅の途中で、凄腕の職人に色々と教わりまして。こう見えて、俺も結構力がある方なんですよ」
「へえ……まあ、それなら…いい…のかしら」
ハンナが諦めたように肩をすくめたその時、執務室の扉が軽くノックされ、部下の職員が準備の完了を告げた。どうやら、難民たちに配る食料や、移住のための木材の積み込みが終わったらしい。
「じゃあ、また来月、約束通りレンガを売りに来ますね」
悠が立ち上がり、手を振って部屋を出ようとすると、後ろからハンナの真剣な声が追いかけてきた。
「一週間後、私が直接あなたの村へ視察に行くわ」
「え?」
「当然でしょう。これだけの数の町民を送り出しておいて、『はい、さようなら』で済ませられるわけがないわ。彼らが本当に人間らしい生活を送れているか、私の目で確かめさせてもらうわよ」
「それもそうですね。分かりました。一週間後、楽しみにお待ちしてます」
悠は快く頷いた。
役所の前には、二十五軒分の木材と、食料や生活物資を詰め込み三十壺が入る大きな荷車が用意されていた。もらえる支援はすべて貰う。税を払うのだから、これくらいの初期投資は享受して当然の権利なのだ。
泥だらけだった難民たちは、配られたパンを嬉しそうにかじりながら、希望に満ちた目で悠を見つめている。
「じゃあさっそく、俺たちの新しい村に向けて――しゅっぱーつ!」
悠の元気な号令と共に、荷車がギシギシと音を立てて動き出す。
薄暗い曇り空の下、北西の泥濘から抜け出した一行は、遥かなる新天地へと向かって力強く歩み始めたのだった。
後ろの方では
「あれ、一人で運べる荷車じゃないのだけど…」
と聞こえた気がしたが、聞こえなかったふりをした。
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