第23話 心配性な男爵様
「あはははは! あーっ、おかしい! お腹が痛いわ!」
役所の受付に、男爵ハンナの朗らかな笑い声が響き渡った。
先ほど大見得を切って破格の条件をもぎ取ったはずの青年、悠=ドレイクが、バツの悪そうな顔で耳まで真っ赤にし、木簡を抱えたまま立ち往生している。
ハンナはドレスの胸元を手で押さえ、目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、ようやく呼吸を整えた。
「ちょっと、悠。あなた、あれだけ堂々と私と渡り合っておいて、市場の場所も知らなかったの? 本当に面白い男ね」
「いや……面目ないです。町に入るのも一昨日が初めてなもので、看板も何も見当たらなかったものですから」
悠が頭を掻きながら弁明すると、ハンナはくすくすと微笑み、机の上の地図を指し示した。
「いいわ、教えてあげる。ここを出て大通りを右に折れて、そのまま真っ直ぐ進んだ開けた場所よ。一番大きな広場になっているから、嫌でも分かるわ」
「右ですね。ありがとうございます」
悠は礼を言い、これで立ち去ろうとしたが、せっかくの領主との直接対談の機会だ。茉莉のメモに書かれていた「調べることリスト」の項目が頭をよぎる。そして、ごく自然な様子で追加の質問を投げかけた。
「ついでに伺いたいのですが、男爵様。この町で今、一番不足していて、かつ作るのに特別な許可がいらない物って何かありますか? 私たちは開拓地で色々と物作りを始めようとしているので、次の商売の参考にしたいんです」
ハンナはフンと鼻を鳴らし、少し真面目な顔になって椅子の背もたれに体を預けた。
「不足している物? そんなの、ありとあらゆるインフラ資材よ。でも、今すぐ大麦や油に換えたいなら『壺』ね。とにかく良質な壺が足りていないわ」
「壺、ですか?油を入れるやつですか?」
「そうよ。理由は『ため込む輩』がいるからよ。このご時世でしょう? いつ内戦の火の粉が飛んでくるか分からないから、商人や小金持ちどもが油や穀物、貴重品を壺に詰めて床下やら蔵に隠したがるのよ。だから市場に出回る陶器の都合がいつもつかないの。……まあ、壺の作成や販売に特別な許可は要らないわ。勝手に焼いて勝手に売りなさい」
そうか、戦時下の資産避難用としての需要か、と悠は納得した。まさにこの世界の不穏な情勢が、日用品の需給バランスを歪めているのだ。
「勉強になります。……では、このドレイク村という開拓地に対して、領主様としては一番何をしてほしいと思っていますか?」
「何をしてほしいかって? そりゃあ、まずは人間がまともに住めるような状態にしてくれることよ」
ハンナはあっさりとそう言った。
「あのエリアは動物の通り道でもあるし、まともに開拓できた前例がないの。だから、あなたが住居を建てて土地を均し、定住者を増やして防衛の拠点にしてくれるだけで、この領地全体の防壁が外側に一つ増えるのと同じなのよ。最終的にそこから税が上がってくれば言うことなしだけど、まずは生き延びて『村』の体裁を整えることね」
「防衛の拠点ですか。ちなみに、その……盗賊などの危険は、この付近にもよく出るんですか?」
悠が少し警戒を含んだ声で尋ねると、ハンナは不思議そうに彼を見つめ、それから可笑しそうに首を振った。
「盗賊? いないわよ、そんなもの。こんな最果ての寂れた境界線になんて、何をしにくるっていうのよ。襲うべき村もなければ、通る商隊もないのに。盗賊どもが巣食うのは、もっと国の中央部、豊かな街道や交易路がある場所よ。こんな誰も来ない僻地にいるのは、野生の狂暴な動物か、たまに迷い込んでくるはぐれ魔獣くらいのものね」
「そうですか、それは良かったです……」
悠は胸を撫で下ろした。確かに、奪うものがない場所に盗賊は来ない。この不便さこそが、自衛力にまだ不安を残す開拓初期においては、皮肉にも最大の盾になっていたわけだ。
「それで、商売を始めるなら市場に場所を貸してあげるわ。市場で勝手にゴザを敷いて売るのもいいけれど、ちゃんとした区画をレンタルするなら、土地のレンタル料として『市場税』が必要よ。うちは一ヶ月で『油一壺』ね。それと、商売を行うなら『商業税』として、売り上げの一割を役所に納めてもらうわ」
「市場税が月に一壺、商業税が売り上げの一割ですね。分かりました、教えてくれてありがとうございます!」
悠が満面の、一切の邪気のないにこやかな笑みを浮かべてお礼を言うと、ハンナはぴたりと動きを止め、信じられないものを見るような目で悠を凝視した。
その顔には、次第に深い「心配」の念が浮かび上がってくる。
「……あなた、本当に大丈夫? そんな無邪気な顔で『ありがとう』だなんて……。まるで詐欺師にカモられにいく子供のようね。そんな調子じゃ、悪徳商人に農民向けの過酷な借金を押し付けられて、破産するまで気づかないんじゃないかしら」
「え? いや、そんなことは……」
「いいえ、見ていられないわ。いいからそこに座りなさい。この領地でかかる、他の基本的な税についても教えてあげるから、しっかり耳の穴を開けて聞きなさいよ」
どうやら悠の現代的な(良く言えば育ちが良く、悪く言えばこの世界の過酷さに無知な)態度が、ハンナの強烈なお節介焼きの顔を刺激してしまったらしい。
ハンナは腕を組み、広間を歩きながら悠にレクチャーを始めた。
「まず、農民に課される『農地税』。これは土地や作物の種類によっても多少前後するけれど、基本は【収穫量の三割】よ。これを大麦やジャガイモなどの現物で納めてもらう。これは開拓地のあなたたちにはしばらく(七年間)免除されるけれど、普通の農奴はこれで毎年ヒーヒー言っているわ。次に、さっき言った売り上げの一割の『商業税』と、出店用の『市場税』。……それから、商人が領地や境界をまたいで商品を運ぶときにかかる『流通税』。これは持ち込む商品の総価値の一割をその都度徴収するわ」
ハンナはそこで言葉を区切り、人指し指を立てた。
「そして最も身近で、かつよくトラブルになるのが『通行税』よ。これは整備された街道や、大きな橋、町の門を通るたびに支払わなければならない税よ。これも現物の大麦で支払うのが一般的ね。徒歩の人間なら【三桝】。手押し車や荷車を引いているなら【五桝】。そして、馬車なら【十桝】よ」
(だからさっき五桝も取られたのか。固定税なら一気に持って行った方が良いな。大きい手押し車を作ろう)
「馬車は十桝ですか。……へぇ、この町にも馬がいるんですね。いつか乗ってみたいな」
悠が少しのんきに呟くと、ハンナはハァと深い溜め息をついた。
「馬は軍用か、大商人の物資運搬用よ。普通の農奴が乗れるようなものじゃないわ。いい? とにかくこの通行税を誤魔化そうとして、裏の森を強行突破しようとする密輸業者が絶えないの。でも、森には危険な動物がいるし、見つかれば犯罪奴隷行きよ。絶対に妙な真似はしないことね」
「肝に銘じておきます。本当に助かりました、男爵様」
悠が今度は少し引き締まった顔で礼を言うと、ハンナは満足そうに頷いた。
「分かればいいのよ。それにハンナで良いわ。男爵なんて大量にいるもの。早くあの荒れ地を、うちの防壁の一部として役に立つくらいには開発しなさいね」
悠は役所を後にし、手押し車を引きながら、ハンナ様に教えてもらった左の大通りへと向おうとしたところを、ハンナ様に「右って言ったでしょ!」と言われてしまった。外までついてきてくれたのか、ありがたいな。
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