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異世界でも楽しんで生きていこう  作者: 弥人(ヤアド)
第一章 辺境での身分確保と安寧への道
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第16話 豊穣の権能

 朝食の片付けを終え、絢乃は悠から受け取ったばかりの鉄の鍬を、両手でぎゅっと握りしめた。


 ずしりとした重みが、掌に伝わってくる。悠がクラフトゲーで使っていた鍬らしい。素人目にも分かるほど、刃の部分が滑らかに研ぎ澄まされていた。


「じゃあ、まずは畑にする場所を決めましょうか」


 絢乃の言葉に、茉莉とルフが頷く。


「差し出がましいようですが」


 ルフがそっと手を挙げた。


「私の『神眼』を使えば、土地の肥沃度を見極めることができます。少々お待ちください」


 ルフが目を閉じ、意識を集中させる。その涼やかな瞳が、うっすらと金色の光を帯びた。


「……ございました。あちらの、少し荒れた土地です」


 ルフが指し示したのは、以前入植を試みた者たちの痕跡が残る、あの朽ちた畑の跡地だった。


「ふむ、前に誰かが畑にしていた場所だから、土もそれなりに肥えてるってことね」


 茉莉が納得したように頷く。


「よし、じゃあ、あそこにしましょう」


 絢乃の号令のもと、三人は荒れ地へと足を向けた。


◇◇◇


「まずは、土を耕すところからね」


 絢乃が手本を見せるように、鍬を振り下ろす。硬く締まった土が、思っていたよりもあっさりと砕けていく。


「へえ……こんな感じなのね」


 茉莉も見よう見まねで鍬を振るう。彼女の場合は、子供のころ親戚の畑を耕したことがあるので、要領を得るのも早かった。


「あの……私は、どのように」


 ルフだけが、鍬を手に、戸惑ったように立ち尽くしていた。


「ルフ、こう。まずは鍬の根元と中央を持って、軽く持ち上げて深すぎず浅すぎず、表面を耕していく感じよ」


 絢乃が隣に立ち、丁寧に手ほどきをする。


「は、はい……」


 ルフはぎこちない手つきで鍬を振り下ろした。狙いが定まらず、刃先が土の表面を滑ってしまう。


「あっ……」


「大丈夫よ、最初はみんなそうだから」


 絢乃が優しく笑いかけると、ルフは少し安堵したように頷き、再び鍬を構えた。


 何度か繰り返すうちに、少しずつコツを掴んできたのか、ルフの動きが滑らかになっていく。


 やがて、鍬を置いたルフが、そっとしゃがみ込み、掘り返されたばかりの土に、素手でそっと触れた。


「……不思議です」


「どうしたの?」


 絢乃が声をかけると、ルフは土を見つめたまま、静かに口を開いた。


「私は、地球で管理者として、多くの命を見守ってまいりました。ですが、こうして自分の手で土に直接触れる、という行為自体が、初めてなのです」


 ルフの指先が、湿った土の感触を確かめるように、そっと動く。


「不思議と……心が落ち着きます。命が芽吹く前の、この静かな温もりに触れているのだと思うと」


 その言葉には、普段の完璧な秘書然とした態度からは想像もつかない、素朴な感動が滲んでいた。


「ルフ……」


 絢乃はその横顔を見つめながら、そっと微笑んだ。


 仕様として、ただ役目をこなしてきただけの存在。だが、こうして土に触れ、感動する姿は、紛れもなく一人の"心を持った誰か"のものだった。


◇◇◇


 ある程度耕し終えたところで、絢乃は悠から預かった種の袋を取り出した。


「じゃあ、植えていきましょうか。大麦、大豆、ジャガイモ、サツマイモ、ひまわり、ニンニク……」


 絢乃は一粒一粒、丁寧に土へと埋めていく。


 その瞬間だった。


「……え?」


 絢乃が種を埋めたその場所から、ふわりと淡い黄金色の光が立ち上る。


 と同時に、土の中から、小さな芽がにょきりと顔を出した。


「ちょ、ちょっと!?」


 茉莉が驚愕の声を上げる。芽はみるみるうちに茎を伸ばし、葉を広げ、あっという間に──収穫できる状態にまで成長してしまった。


「な、なにこれ……!?」


 絢乃自身も、目の前の光景に呆然としていた。


「絢乃様の『ニグ・シュブニト』の効果かと存じます」


 ルフが冷静に分析する。


「豊穣の権能……季節や環境を無視した、驚異的な成長加速。まさに、これのことでしょう」


「試しに、こっちも」


 絢乃は恐る恐る、耕していない場所にも大豆の種を埋めてみた。


 結果は同じだった。耕していようがいまいが関係なく、絢乃が触れた作物は、瞬く間に成長していく。


「水も、肥料も、全然使ってないのに……」


 絢乃は自分の両手を、まじまじと見つめた。


「これって……」


「相当強力な力ね」


 茉莉が腕を組みながら、真剣な顔で唸る。


「これ、外から誰かが見たら、絶対おかしいって気づかれるわよ」


 その言葉に、絢乃もはっとする。


「そう、よね……」


「決めたわ」


 茉莉がきっぱりと告げる。


「絢乃、あなたは今後、外部の目がある時は、種を植える作業を控えましょう。念のためよ」


「……分かったわ」


 絢乃は少し寂しそうに、けれど納得したように頷いた。


 自分の力で、誰かの生活が楽になるのは嬉しい。だが、それが行き過ぎれば、かえって周囲との歪みを生んでしまうかもしれない。その複雑な思いを、絢乃は静かに胸の内にしまい込んだ。


◇◇◇


 瞬く間に育った作物を、三人で収穫していく。


「わあ……」


 絢乃は収穫したばかりの大豆の鞘を一つ、興味本位で開いてみた。中から現れた瑞々しい大豆を、そのまま一粒口に含んでみる。


「……甘い」


 思わず声が漏れた。青々とした爽やかな風味の中に、ほのかな甘みが広がっていく。


「私も」


 茉莉も大豆を一片手に取り、恐る恐る齧ってみた。


「んっ……甘っ! それに、なんか、旨味がすごい濃い……!」


 目を丸くしながらも、茉莉はもう一口かじっている。


「私もいただいても……?」


 ルフも控えめに大豆を一粒手に取り、口に運んだ。その涼しげな目元が、ふわりと緩む。


「……美味しい、です」


 三人は顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。


 規格外の力で作られた作物だとしても、その味は間違いなく、本物だった。


◇◇◇


 ひとしきり収穫を終えたところで、絢乃はふと違和感に気づいた。


「あれ……なんか、全然疲れてないわね、私たち」


「言われてみれば……」


 茉莉も自分の両腕を見下ろす。あれだけ鍬を振り、しゃがんだり立ったりを繰り返していたはずなのに、汗はかいているものの、筋肉痛の気配すらない。


「ステータスの恩恵、なのでしょうね」


 ルフが淡々と分析する。


「悠様ほどではないにせよ、皆様のステータスも、地球にいた頃とは比べ物にならないほど向上しております」


「便利なんだか、ちょっと怖いんだか……」


 茉莉が苦笑いを浮かべた。


◇◇◇


 さらに検証を進めると、一度収穫を終えた畑には、絢乃の成長加速効果が働かなくなるらしいことが分かった。


「あ、じゃあ、ここなら普通に育てても大丈夫そうね」


 絢乃はさっそく、悠から預かっていた別の種袋を取り出した。


「これなら、育つのが早くて目立ちにくいはずよ。二十日大根と、レタス」


 絢乃は先ほど収穫を終えたばかりの区画に、あえて普通の速度で育つよう、丁寧に種を植えていく。


「私たちも、隣を耕しましょうか」


 茉莉とルフは、追加の区画を鍬で耕し始めた。


「玉ねぎ、キャベツ、タイム、ローズマリー、あとはトウガラシね」


 茉莉が種袋を確認しながら、手際よく植えていく。ルフも先ほどよりずっと様になった手つきで、隣の畝を耕していた。


◇◇◇


 しばらく時間を置き、絢乃の畑からは、二十日大根とレタスが、収穫できるようになっていた。


「……綾乃は収穫だけ手伝ってもらう方針で行きましょうか」


「そんなぁ……農業やりたかったのに」


 絢乃は頬を膨らませながら3人で一緒に収穫し、野菜を悠から『成長スピードが数十倍になるってことは、すぐに収穫できるかもしれない』と言われてもらっていた籠に集めていく。


◇◇◇


 ひと通りの作業を終えたところで、三人はログハウスの中にあるキャンピングトレーラーへと戻った。


「はぁ……さすがに、土だらけね」


 茉莉が自分の手や膝についた土埃を見て、苦笑を漏らす。


「順番にお風呂、使いましょうか」


 絢乃の提案で、三人は順番に汗と土を洗い流していく。


 温かいお湯が肌に染み渡る感覚に、絢乃は小さく息をついた。久しぶりの農作業だったが、不思議と心地よい疲労感──いや、疲労とも呼べないほどの、満ち足りた感覚が全身を包んでいた。


◇◇◇


 身支度を整えた絢乃は、さっそく昼食の準備に取り掛かった。


 ガスコンロに火をつけ、鍋に水を張る。


「今日は、簡単にスープにしましょうか」


 収穫したばかりの野菜を切り分け調味料と共に、鍋へと入れていく。ふつふつと煮え始めたスープからは、優しい香りが立ち上ってきた。


「いい匂いね」


 茉莉が鼻をひくつかせながら、鍋を覗き込む。


「もう少しで完成よ」


 絢乃が味見をしようと、木のスプーンを手に取ったその時。


「ただいまー!」


 勢いよく扉が開き、悠が姿を現した。その両手には、大きな麻袋が抱えられている。


「悠くん、おかえりなさい」


「見て見て、川で魚獲ってきた! 三十匹くらいあるよ」


 悠が得意げに袋を掲げてみせる。中を覗くと、綺麗な状態のまま仕留められた魚が、ぎっしりと詰まっていた。


「ちょうどよかったわ。このスープに、入れましょう」


 絢乃が笑顔で答えると、悠も嬉しそうに頷いた。


「よし、じゃあ捌くの手伝うよ」


 賑やかな声がキャンピングカーの中に響き渡る。


 窓の外では、午後の柔らかな光が、耕したばかりの畑を静かに照らしていた。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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