第14話 種蒔き前の小さな乾杯
朝日が、キャンピングトレーラーの小さな窓からうっすらと差し込んでいた。
昨夜こしらえたばかりのログハウスは、木の匂いがまだ新しい。悠は欠伸を噛み殺しながら起き上がり、テーブルの上に広げられた紙を見て、目を瞬いた。
「茉莉、これ……もう図面描いたのか」
「昨夜のうちに、大体の地下室の内装をまとめておいたわ。フリーハンドだから精度は期待しないで頂戴」
茉莉が当然でしょとでも言いたげな顔で言いながら、簡素な線で描かれた地図を指し示す。丘や川、集落の位置関係が、几帳面な筆致で書き込まれていた。
「さすがまーちゃん」
絢乃が椅子に座り、パンを頬張りながら地図を覗き込む。
「では、私も記録係として同席させていただきます」
ルフがそっと椅子を引き、四人分の紙とペンを手際よく配りながら腰を下ろした。秘書としての性なのか、その仕草には一切の無駄がない。
「じゃあ、そろそろ本格的に作戦会議、始めましょうか」
朝食もそこそこに、四人はテーブルを囲んだ。
窓の外では、朝露に濡れた荒れ地が、これから畑になる日を静かに待っている。
◇◇◇
「まず、水の確保ね」
茉莉が地図の一点を指でとんと叩く。
「川は、ここから南東に行ったところにあるみたい」
「南東かぁ……悠、絶対迷うでしょ」
絢乃がくすりと笑うと、悠は「うっ」と小さく呻いた。
「ま、まあ、最初は水汲みで通う感じで行こうと思ってる。ついでに川魚も獲ってみたいし」
「食卓が豊かになるわね」
絢乃の目が、期待にきらりと輝く。
「井戸は、ゆくゆく掘る計画で。今すぐは難しいだろうけど、悠のあの馬鹿力があれば、そのうち一瞬でいけるでしょ。木は貫けたんだのもね」
茉莉の言葉に、悠は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「まあ、掘るだけなら余裕だと思う」
「差し出がましいようですが」
ルフがすっと手を挙げる。
「井戸を掘削される際は、悠様の『千里眼』を用いて、地中の水脈の位置をあらかじめ確認することも可能かと存じます。闇雲に掘るより、効率的かと」
「え、そんなことまでできるの?」
悠が驚いた顔でルフを見る。
「はい。地中深くまで見通せるわけではございませんが、水の流れによる微細な地形の変化程度でしたら、把握できるかと」
「ルフ、それ最初に言ってよ!」
「申し訳ございません、必要になってから申し上げようと」
ルフが控えめに微笑む。その気の利いた提案に、茉莉が感心したように頷いた。
「頼りになるわね、ルフ」
「もったいないお言葉です」
◇◇◇
「それと、もう一つ大事な話があるわ」
茉莉の声のトーンが、すっと真剣なものに変わる。
「収穫物の三割を税として納めるって話、あったでしょ」
「ああ、農奴の集落で聞いたやつだな」
「問題は、その三割の算出基準が分からないってこと」
茉莉は指を一本立てながら、丁寧に説明していく。
「役人がいつ視察に来るかも分からない。もし『倉庫にある量の三割』を持っていかれるなら、収穫物は全部倉庫に入れずに、一部を悠の亜空間倉庫に隠しておいた方がいい」
「でも、もし『畑の規模に応じた三割』だったら?」
絢乃が首を傾げる。
「その場合は、隠しても意味がないわね。畑の面積は誰の目にも見えるから、誤魔化しようがない」
茉莉はそう言って、ふっと肩をすくめた。
「だから、両方に備えるのよ。倉庫には正規の分だけ入れて、残りは悠の亜空間倉庫にこっそり保管。もし基準が畑の面積だった場合は、その時にまた考えましょう」
「したたかだな、姉ちゃん……」
「生き残るためよ。理不尽な世界なんだから、こっちも賢く立ち回らないと」
その言葉には、経営者としての、冷静な覚悟が滲んでいた。
「僭越ながら」
ルフが静かに口を挟む。
「私が地球で管理者として観測していた範囲でも、徴税の在り方は国によって様々でございました。土地の広さで一律に課すもの、収穫量そのものを基準にするもの……いずれにせよ、備えを二重にしておくというお考えは、賢明かと存じます」
「へえ、地球の知識もそういうところで役に立つのね」
絢乃が感心したように呟くと、ルフは少し照れくさそうに目を伏せた。
「私にできることでしたら、いくらでも」
◇◇◇
「じゃあ次、何を植えるか、決めましょうか」
絢乃が紙とペンを取り出し、リストを書き始める。
「まず、通貨代わりにもなる、主食の大麦は絶対ね」
「それは決まりだな」
「あと、食べ物としても使えるし、売り物としても使えるかもしれない、大豆とジャガイモ、サツマイモ」
「大豆は醤油とか味噌にも使えるから、優先度高いわね」
茉莉が、少し先の未来を見据えるような目で頷く。
「油系統は、どうする?オリーブとか、菜種とか候補あったけど……」
「ひまわりにしましょう」
絢乃がきっぱりと言い切る。
「オリーブは育つまで時間がかかりすぎるし、菜種は土地との相性がまだ分からないもの。その点、ひまわりは丈夫で、栽培しやすいはずよ」
「ひまわりって、油取れるんだ……」
悠が意外そうに呟くと、茉莉がくすりと笑った。
「地球の知識、案外役に立つものね」
「収穫サイクルの早いやつも欲しいわね。小松菜とか」
「あとは日々の食卓のために、玉ねぎとキャベツ、トウガラシも」
茉莉のリストが、少しずつ埋まっていく。
「畑の配置についてでしたら」
ルフが遠慮がちに、けれどはっきりとした声で提案した。
「私の『神眼』を用いれば、日照や風通し、水はけの良し悪しといった土地の性質を、あらかじめ見極めることができます。作物ごとに最適な区画をお示しできるかと」
「え、それすごいじゃない!」
絢乃が目を輝かせながらルフを見る。
「ルフも、思ったよりずっと頼りになるのね」
「い、いえ、そんな……お役に立てて光栄です」
ルフは珍しく頬を赤らめ、視線を少し泳がせた。普段の完璧な秘書然とした態度からは想像もつかない、かわいさが滲んでいた。
「あと、これは特産品候補なんだけど」
悠が付け加えた。
「ニンニク、育てたいんだよな」
「ニンニク?」
「強壮・強精効果があって、疲労回復に最適なんだ。それに、あれば料理の幅も広がるだろ」
悠の言葉に、一瞬、場が静まり返る。
「……強精効果」
綾乃がにやりと悪戯な笑みを浮かべた。
「へえ、悠くん。そういう狙いがあったのね」
「ち、違う!疲労回復のためだから!それ以外の意味はない!」
「私は特に他意はないかと思います。純粋に効能として優秀な作物です」
ルフが大真面目な顔でフォローを入れると、悠はほっと胸を撫で下ろした。
「ルフ、ありがとう……」
「いえ」
その一方で、絢乃と茉莉は顔を見合わせ、くすくすと笑いを堪えていた。
◇◇◇
「よし、じゃあ植えるものは決まったし」
茉莉がリストを見渡しながら、話をまとめる。
「絢乃、私、ルフの三人で畑を耕しましょうね」
「わ、私、土いじりの経験がなく……お役に立てるかどうか」
ルフが不安げに眉尻を下げる。
「未知の業務ではございますが……全力で習得いたします」
その決意に満ちた表情に、絢乃が思わず微笑んだ。
「大丈夫だだよ、私も教えるからね。一緒に頑張りましょう」
「絢乃様……ありがとうございます」
ルフがほっとしたように、けれど嬉しそうに頷いた。二人の間に、姉妹のような、温かい空気が流れる。
「俺は、力仕事と建築担当ってことでいいか?」
「そうね。水路とか、農具の加工とか、悠にしかできないことも多いし」
「承知」
自然と、それぞれの役割が定まっていく。
◇◇◇
紙いっぱいに書き込まれた計画表を眺めながら、悠はふと立ち上がった。
「なあ、せっかくだしさ」
「ん?」
「乾杯、しない?これから頑張ろうって意味で」
悠が亜空間倉庫から取り出したのは、四つの木のコップと、オレンジジュースだ。さすがに朝から酒は飲まない。
「あら、いいわね」
絢乃が嬉しそうに立ち上がり、コップを一つずつ配っていく。
「これから、色々大変なこともあると思うけど……」
絢乃はコップを胸の高さに掲げながら、優しく、けれど確かな声で言った。
「よし、頑張ろうね」
「ええ、頑張りましょう」
茉莉がコップを合わせるように差し出す。
「乾杯……このような形式、初めて体験いたします」
ルフが少し緊張した面持ちでコップを掲げながら、しみじみと呟いた。
「地球では、管理者として陰から見守るだけの立場でしたので……このように、輪の中に加えていただけること自体が、初めてで」
その言葉に、悠は思わず手を止めた。
「ルフ、これからは何度でもやろうな」
「はい……ありがとうございます」
ルフの目元が、わずかに潤んでいるように見えた。
「みんなで、この土地を──俺たちの家にしよう」
悠の言葉に合わせて、四つのコップが、こつん、と軽やかな音を立ててぶつかり合う。
朝の澄んだ光が、テーブルの上を柔らかく照らしていた。
「ふふ、乾杯だけじゃ物足りないわね」
茉莉がにやりと笑い、片手を挙げる。
「ハイタッチもしましょ、悠」
「え、なんで急に」
「いいから」
パチン、と軽やかな音が響く。続けて絢乃、そしてルフとも、順番に手を打ち合わせていく。
最後にルフの手のひらが、ぎこちなくも悠の手に触れた瞬間、ルフは照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
窓の外、朝の光に照らされた荒れ地が、これから四人の手によって、少しずつ緑に染まっていく。
その未来を思い描きながら、四人はしばし、穏やかな沈黙の中で笑い合っていた。
「よし、じゃあ動くか!」
悠の号令とともに、それぞれが立ち上がる。
新しい一日、そして新しい暮らしへの、確かな一歩が、今、静かに踏み出された。
最後までお読みいただきありがとうございます。




