第102話 悠の行動力は相変わらず
(問題です。俺は今、いったいどこにいるでしょうか?)
──正解は!
奥様城の天守閣でした!
眼下を見下ろせば、城下の広場で進軍の準備に追われる兵たちの威勢のいい怒号や、甲冑と槍が触れ合う金属音が、爽やかな風に乗って心地よく響いてくる。
隣には久しぶりに顔を合わせたジークが頼もしげに佇み、その横では百花が「うおおっ、人がいっぱいだぁ!」と子犬のように目をキラキラさせて飛び跳ねている。
そんな活気あふれる光景を眺めながら、俺が今何をしているのかと言うと……。
ヒンヤリと冷たい板張りの床の上に、背筋をピンと伸ばして──絶賛、正座中であった。
「……貴方、その思いついたら脊髄反射で飛び出していく悪癖をどうにかしなさい」
腕を組み、切れ長の瞳から絶対零度の冷気を放ちながら見下ろしてくるのは茉莉だ。
「はい」
「それに、忘れちゃったのかな? 『一人では勝手に行動しないこと』『動く時は必ず私たちの誰かが傍にいること』って、あれほど約束したよねぇ?」
絢乃がふんわりとした笑みを浮かべつつ、しかしその双眸の奥には一切の光を宿さずに首を傾げてくる。一番怒らせてはいけないタイプの笑顔だ。
「完全に頭から抜け落ちておりました。誠に申し訳ございません」
「いっそのこと、旦那様の腰に頑丈な革のハーネスと命綱を取り付けておくのはどうでしょう。私が常に手綱を握っておきます」
ルフが至極真面目な顔で、どこからともなく取り出した頑丈そうなロープを手の中でトントンと叩いている。
「それだけは! それだけはどうかご勘弁ください! 領主としての尊厳が消し飛んでしまいます!」
俺が天守の床に額を擦り付ける勢いで平謝りする。
それもそのはず、俺がドレイク町で百花の話を聞いて興奮のあまり炎帝を駆り、奥様城へと一直線に突撃した直後──まるで地獄の追跡者のごとく、三人の妻とそれに付き従う近衛兵たちが怒涛の勢いで悠に追いつき奥様城まで連れてこられたのだ。
フィオナからの緊急連絡を受けた妻たちの初動の早さと連携のスムーズさには、もはや恐怖すら覚える。
「……はぁ。まったく、百花の話を聞いて海に行きたくなった気持ちは分かるけれど」
茉莉が深いため息をつき、こめかみを押さえた。
「説教の続きはあとにするわ。兵たちを待たせるわけにもいかないもの、さっさと海へ行きなさい!」
「承知いたしましたぁっ!」
俺はバネのように飛び起きると、妻たちに深々と一礼し、天守の階段を転がり落ちるような勢いで駆け下りて奥様城の外へと飛び出したのだった。
◇◇◇
奥様城を出撃した軍勢は、整然とした隊列を保ったまま北の未開地へと進軍を続けた。
やがて、草木を揺らす風の中にツンとした潮の香りと、湿り気を帯びた重たい空気、そして遠雷のように響く『ザザァン……』という力強い波の音が混ざり始める。
「全軍、止まれ! あの崖の上に本陣を構えるぞ!」
俺の号令とともに、海岸線を一望できる小高い崖の上へと陣を敷いた。
天幕を張り、簡易的な作戦机を広げて周囲を見渡す。
「さて、作戦をどうするか……。見たところ、海の魔獣の強さ自体はそこまで飛び抜けて高いわけではなさそうだがな」
進軍の途上、陣形の外縁に迷い込んできた『はぐれの魔獣』とひと悶着あったのだが、兵たちは慌てることなくあっさりと仕留めていた。
体長三メートルほどもある巨大な深紅のエビのような見た目をした魔獣だったが、毒性や可食部位の検査がまだ済んでいないため、研究と解体用としてドレイク町へと後送済みだ。
最初は甲殻の硬さに手こずるかと思ったのだが、新しく配備されたドレイク製の鋼鉄武器の切れ味が凄まじかったことと、兵たちが即座に「殻の継ぎ目を狙え!」と弱点を見抜いて連携攻撃を叩き込んだため、一切の被害を出さずに瞬殺してしまった。
うちの領民や兵士たちの戦闘IQの高さには、時折引いてしまう。
「個々の撃破は十分可能かと思います。ですが……問題はその後でしょう」
ジークが険しい表情で、丘の先──青黒く広がる海岸線へと視線を向けた。
見下ろす砂浜から波打ち際にかけて、所狭しと異様な怪物たちが蠢いている。
巨大な鋏を振り上げる蟹のような甲殻種、十数本の触手を蠢かせる軟体魔獣、鋭利な牙を剥き出しにして砂浜を這い回る凶暴な魚類もどき──その数、優に数千。波の下にはさらに無数の影が潜んでいるのが見て取れた。
「そうだよなぁ。陸に上がってきてるだけでもあの数だ。海の中なんてもっと……」
「悠様! 伏せてっ!!」
ジークの鋭い叫びと同時に、海岸の波打ち際から『ドパァンッ!!』と空気を切り裂く轟音が炸裂した。
超高圧で圧縮された太い水流──まるでウォータージェットカッターのごとき水鉄砲が、凄まじい初速で俺の眉間を目掛けて一直線に飛来する。
──ヒュッ。
俺は即座に背中から盾を取り出すと、飛来する水流の軸へと斜めに滑り込ませ、腕の返し一つで受け流した。
ギチィィィンッッ!!
甲高い金属摩擦音とともに、高圧水流は斜め上空へと弾かれ、霧散した水飛沫が虹のアーチを描いてパラパラと草地を濡らす。
その後何発か飛来したが、当たることはないので無視をする。もちろん後ろにも被害は出ていない。
「……ふむ。射程と威力はなかなかのものだな。本陣の位置、もう少し後ろに下げようか」
盾を軽く払いながら何気なく言うと、ジークが目を丸くしたあと、頬を引きつらせて頷いた。
「……は、はいっ!」
周囲に控えていた武士たちや騎士たちも、息を呑んで俺の手元を見つめている。
即死級の奇襲攻撃を眉毛一本動かさずに完璧にパリィしてみせた悠の姿に、彼らの瞳には言葉にし難い畏敬と畏怖の色がこれでもかと焼き付いていた。
(盾だといちいち取り出す手間がかかるな。今度軍配団扇を作ってもらおう)
陣地を少し後方へ下げ、天幕の中で再び作戦会議を再開する。
「話を戻すが……あの数だ。いくら陸上でちまちま排除したところでキリがないし、海中からの遠距離攻撃を受け続けるのは分が悪い」
「……ん? でしたら、この丘のあたりに頑丈な砦を築いて戦線を維持し、必要な時に必要な分だけ魔獣を狩りに出る形にすれば良いのでは……?」
現在進行形で戦いは起こっていた。近辺からは魔獣たちの断末魔が響いている。相手は野生の怪物だ、『よーい、ドン』の合図を待ってはくれないし、待つ必要もない。
だが、ジークの提案に俺は思わず首を傾げた。
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