7月31日 その㉙
「はぁ……はぁ……」
健吾が、大きく肩で息をする。その体には多くの切り傷があり、相手取っている偽マスコット大先生の強さが一目で理解できた。
その後方には、頬に横一文字の赤い傷ができている純介がいる。その隣には、なんとか無傷を保っている純介の彼女──紬の姿もあった。
目の前にいるマスコット大先生は、手強い。強いのではなく、手強い。
持っているのは、愛香のような圧倒的な実力ではない。誠のような常に最適解を選び続ける手強さがあった。
決して最強ではない。しかし、勝てる未来が見えない。健吾は、後ろにいる純介の方を一瞥する。
両者の瞳に諦めはないが、援軍を期待しているのは明白だった。少なくとも、自分達だけでは勝てない。
誰か、この状況をひっくり返せる援軍が来れば──。
3人がそう願ったその時だった。ピピ、と機械音が鳴ってこれまで喋らなかったはずの偽マスコット大先生が口を開く。
「承知しました。正体不明の敵が撤退する時のセリフを雰囲気に合わせて生成します。
もう8月になるというのに……退屈だな。今日はここまでにしといてやる。
どうでしょうか?欲しい雰囲気(冷静さや怪しさなど)を教えてくれれば、調整して追加で生成します!」
「──ッ!」
これまで喋らなかった相手が急に喋り出したという驚きもあるが、そんなことよりも相手の喋り方が生成AIに似たものであることに対する驚きが大きい。
そんな驚く健吾達をよそに、そのAI口調の偽マスコット大先生は姿を消していく。残された3人は、ただ唖然とすることしかできなかった。
***
様々な戦闘が終結して行く中、唯一残されているのは康太と[個人情報保護法]による本気のタイマン。
[個人情報保護法]がナイフを振り回している中で、康太はその肉体一つで耐え忍び激しく火花を散らしていた。
「──[不適切な発言]、[契約の不履行]」
「不法だな、お前は本当に」
次から次へと飛び出る罵詈雑言と衝撃の事実に、康太はそろそろ慣れてしまった。目の前の男がペラペラ喋ってくれるから康太は偽マスコット大先生を送り込んだ人の正体も目的も知っている。だが、それが信頼できるかどうかで言ったら全く別物になるのだが。
康太の右の拳が[個人情報保護法]に迫ると、それを受け流して反撃してくる。康太はそれを左の拳で受け止めて、右の拳を自分の体に引き戻す。
すると、今度は康太の右手を受け流した[個人情報保護法]の左腕がナイフを懐から取り出した後に肩を狙って飛んでくるからそれをわざと姿勢を崩すことで回避する。自分の首のすぐ真横を飛んでいった拳を空いた右手で押しのけ、ガラ空きになった[個人情報保護法]の胴体に向かってそのまま肘打ちを企むけれども、右手に阻まれる。
──[個人情報保護法]の戦い方は、その不法で何度もありな発言からは想像もつかないような堅実なものだった。
ナイフを持ち出してそれを振り回してこそいるが、戦闘のほとんどは拳を使用したものなのだ。隙をついてナイフで致命傷を与えてやろうと考えているのかもしれないが、それにしては隙をつくのが下手すぎる。
それを考えると、何か更なる作戦があるのではないか──そう勘繰ってしまう康太であったが、マスコット大先生に良く似た被り物をしている以上表情を読んで何かを察知することもできない。そう思っていると──
「──ッ!」
康太の方に何かが飛んできたから、彼は咄嗟にそれを回避する。ナイフ──そう思ったけれど、康太の真横を通っていったのはそれとは違った灰色のもの──石だ。
「──[小説家になろう規約違反]」
「──あぁ、クソ!面倒くせぇ」
石を投げて油断をさせたところに本命のナイフを投げる──そんなことは簡単に予想ができた。
だが、[個人情報保護法]はそんな予想を唾棄するように康太の方へと接近する。康太の見える範囲にナイフはない。
何を考えているのかわからない。
康太の[個人情報保護法]に対する印象は依然として変わらなかった。もし、自分なら絶対にこうするのに──主に第8ゲームを経て身につけたそんな感覚が何も役に立たない。ただ、想定外が増えていくだけでやりづらい。そこまで考えて、康太は一つの結論に辿り着く。
「──って、そういうことかよ」
その嫌らしい戦闘方法に康太は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。[個人情報保護法]の作戦はきっと、こうだ。
──相手の頭にある作戦を裏切り続けて、感覚を狂わせる。
[個人情報保護法]であれば、十分に取ると考えられる作戦だった。
「──[言論弾圧]、[著作権侵害]」
康太が勘付いたことに勘付くと、動きを変えて姿勢を低くして突進してくる[個人情報保護法]。
──来る。
そう思って回避しようと体を動かそうとした時にはもうすでに遅かった。まだ目の前には[個人情報保護法]の姿があるのに、いつの間にか康太の腹には刃物が深く突き刺さっていた。
「──かふ」
内臓が傷ついたのか、口から多量の血液が漏れ出る。
息ができない。頭が熱さに支配されて、ショートしたような感覚に陥る。
「[アカウント凍結]」
康太はなんとかその場から回避しようとするけれども、それよりも早く[個人情報保護法]が動いて馬乗りになる。
殺される。殺される。このままでは、殺される。
「クソ、どけよ!」
腹に力が入らないから、馬乗りにされても上手く抵抗ができない。康太の腹部に突き刺さったナイフが簡単に引き抜かれ、今度は康太の喉元にそのナイフが突き立てられ──
[映す価値なし]
「──ぁ?」
康太の刺された腹からこぼれる疑問符は、至って当然のものだった。殺されるまで後一歩のところで[個人情報保護法]の姿が消えていた。
──いや、それだけではない。偽マスコット大先生の死体も含めた全てが忽然と消えて、残った血の海だけがキラキラと光っている。
「──弱いなぁ、俺」
『無敗列伝』にはなれない。康太の中の憧れは、まだまだ遠い──。





