7月31日 その㉖
砂と血の味がする。
ジャリジャリとする口の中が不快で、それを吐き出すと自分のかわからない赤黒い血が出てくる。
──痛い。
鼻の骨が折れているような気がする。過去に鼻の骨を折ったことがないからわからないけど。
歪んでないかな。アタシ、結構可愛い方なのに。ブスになったら、拓人に顔向けできないや。
血の池の上で、梨花はそんなことを考える。
膝を付けてへたり込むようにして、茫然自失したかのようにその場に座っている。
その奥では、誠とバレエ経験のあるギャル風の偽マスコット大先生が戦闘を繰り広げていた。お互いの実力は拮抗しているようで、一進一退の攻防が続いている。
──悔しいな。
梨花は戦闘に目を向けることなどなく、血溜まりに少し映る自分のくしゃくしゃになってブサイクな顔を見る。
拓人に可愛いと褒められた服は血で汚れ、洗ってもダメそうだ。地面に叩きつけられたからか、体が痛い。命を奪われていないのは、誠が守ってくれたからだろう。
──役に立ってない。
どうして、ここにいるんだろう。
奥歯を噛み締めて、梨花は両の手を強く握りしめる。ネイルのために伸ばしている爪が掌に食い込んで痛い。そんなの、知らない。
「ああ、なんでかな。なんでこんな、上手くいかないんだろう」
握りしめた拳で血溜まりを叩く。水面が揺れて、少しだけ反射する自分が消えた。
デスゲームに参加してから──否、デスゲームに参加したこと事態──それも否、デスゲームに参加する以前から何一つとして上手くいっていない。
ただ、デスゲームに参加する前まではあたかも上手く行っている風に装えていただけだ。
それも、デスゲームを経るにつれて余裕がなくなって。それで、恋人と親友と尊厳を失って。
正直言って、限界だった。いや、小学生の時に馬鹿な男子に虐められたことがトラウマになってからずっと限界であることは違いなかったんだけれど、限界でいられることすら限界だった。
アイツに地面に叩きつけられて挫けてしまった。尊厳と引き換えに手に入れた覚悟さえ壊してしまった梨花がもう失うものはなくなって──。
「──」
ふと、梨花は顔を上げる。その視線の先には、人生をエンジョイしてそうでムカつくマスコット大先生によく似たキャラの被り物をしたギャルと戦っている誠の姿が見えた。そんな彼の視線と梨花の視線は交錯する──。
諦めるな。
そんな、誠の声が聞こえる。いつものように堅苦しく「秋元」などと呼んで、親しくしたいのかしたくないのかわからない落ち着いた声で話しかけてくれた──そんな気がした。一対一の戦闘をしている中で、誠は助けを求めるのではなくアタシの激励したのだ。誠らしいと言えば誠らしい。
「──ったく、余計なお世話なのよ。誠のくせに」
強がって、アタシはそう口にする。血で汚れた口角が上がっていくのを止められない。恋人も親友も尊厳も失った。でも、アタシは一人じゃない。理解者が──誠がまだ戦っている。
──折れていたはずの梨花の心が、再度やる気を取り戻す。死ぬのを恐れるがあまり、生きることを諦めかけた彼女の心が再度復活を遂げた。
もう、誠はこちらを見ていない。だけど、だからこそ梨花は動き出す。
──もう、負けない。
血で覆われた地面を勢いよく蹴って、誠達の方へと迫っていく。偽マスコット大先生は、今も後ろを向いて誠に集中している。体が柔らかいから後ろを向ける──そんな慢心で、梨花に背を向けている。ならば──
「──狙うのは、足元ッ!」
「──ッ!」
梨花は、血で汚れることを厭わずに姿勢を低くして偽マスコット大先生の足元に飛び込む。
黒いマントを翻して、後ろを振り向こうとするけれどももう遅い。梨花はもうその細い両足にしがみ付いている。
「転べ!」
梨花は、そのまま偽マスコット大先生を転ばせる。血の池から大きく血飛沫が舞い、偽マスコット大先生が顔面──正確には被り物から血溜まりに吸い込まれていく。
──きっと、バレエをやっており柔軟性と体幹を持ち合わせている彼女は普段であれば転ぶことはなかっただろう。だが、無理をして履いた厚底ブーツが仇となった。
「きゃあ!」
そんな声をあげて、偽マスコット大先生は血の海にダイブした。咄嗟に誠が被り物を蹴り上げて、その顔を明らかにした。
派手なピンク色のポニーテールが明らかになって、それがドス黒い血の色に沈んでいく。耳には大量のピアスが付いており、瞳はカラーコンタクトでキラキラと輝いていた。
「──ヤバッ!顔見られた!」
少し焦ったようにしてそう口にする。そして、ベッタリと体についた血をついて顔を歪める。
「って、やだぁ!こんな汚くなってるじゃーん!もう、ウチ帰るー!」
梨花に動きを封じられていたはずのギャルがそう口にすると、瞬く間もなく消えていく。霧消ですらないそれは、消失と呼ぶに相応しかった。
──撤退。
そう考えるのが最適だろう。梨花は心のどこかで安堵する。
「ありがとう。秋元」
そう口にして、血の海の上でしゃがみ込む梨花の方へと手を差し出してくれるのは誠であった。その体に目立つような血の跡はない。梨花は全身血塗れなのに。
「また、風呂に入らないとな」
「──うるさい」
何も言い返せないアタシは、せめてもの仕返しに立ち上がる際、誠にベッタリと触って血をつけてやる。
跳ねるな。アタシの心臓。





