7月31日 その⑲
瞬間移動をするように鏡の世界を次から次へと動き回る李徴を、皇斗と愛香・真胡の3人は止められない。
これまで見せたことのない動き方をするのは、きっとマスコット大先生の偽物──覆面教師の仕業であることは間違いないのだろうけれど、その覆面教師とやらがどう李徴に干渉しているかについては想像できていなかった。
「──覆面教師を叩けば李徴の動きは止まるのか、それとも……」
皇斗の言葉はそこで止まる。覆面教師を叩いても次なる覆面教師が現れるだけで根本的な解決にはならないだろうから、ここで覆面教師を叩く理由はない。実質的な不死を実現している池本朗を倒したところで、体力を無駄に消費してしまうだけだ。
「真胡含めて3人おれば、李徴が瞬間移動のような動きを見せていようと攻撃することは可能だろう。行くぞ」
愛香はそう口にして、目にも留まらぬ速さで動き続ける李徴を追うようにして動く。現れる時は牛のように遅く、消える時は光よりも速い速度で動いているその緩急の極地のような動きが、李徴の不思議な動きを作り出しているのだろうか。愛香はそんな考察をしつつ、李徴の動きを見続ける。そして──、
「目には写らずとも、その存在は確かだ」
そう口にして、愛香は李徴の動きに合わせてベストタイミングで拳を振るいあげる。それは、確かに李徴の動線を抉るように振るわれたが──、
「──ッ!当たっていない、だと!?」
愛香の攻撃は、確かに李徴の通り道を掴んだはずだった。だけど、愛香は霞を掴んだような感覚が残るだけで李徴には指一本触れられていない。本当に瞬間移動としなければ説明が付かないような攻撃だ。
「──行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」
覆面教師──中身がマスコット大先生と同様池本朗であるため、声だけは聴き慣れているものが鏡の世界の静寂を押しのける。
引用されたのは、方丈記の冒頭だ。流水のように変化し続ける無常観を端的に表現したその二文を呟く意味を、ツートップは考えてしまう。
「──いや、そんなものに気を取られているべきではないな」
皇斗は、覆面教師の流水のように捉えどころのない発言を無視して、虎と化した李徴の方へと動き出す。
一つ地面を蹴れば、変則的な動きをする李徴の方へと即座に接近することができるし、その尻尾をいとも簡単に掴むことができる──はずだった。
「──やはり、逃げられるか」
すんでのところで回避され、皇斗の手は虚空を撫でるに留まる。愛香と同様、逃げられてしまう。
「こうも掴めないとは。妾達は虚像を追わされているのか?」
愛香が冗談めかしてそう口にするのと同時に、これまでは走り回っているだけだった李徴に動きが見られる。李徴は、その四つ足で真胡の方へと駆け出したのだ。
「──こっちに来る!」
真胡は構えの姿勢を取り、李徴が迫ってくるのに備える。
「真胡!避けろ!」
「──いや、避けない!こっちから攻めても触れられないのなら、向こうが攻めてきた時に触れるしかないじゃない!」
李徴は、その巨大な爪を眞胡の顔の方へと立てていく。真胡は、後ろに退かせることで回避してその腕を掴むことを狙う。
「──よし、掴んだ!」
李徴の手を掴んだまま、真胡はそれを背負い投げする。その巨大を簡単に持ち上げて、地面に叩き付けようとするけれども──、
「──消えた!」
真胡が地面に叩きつけようとしたその刹那、その姿が消える。逃げられないはずであったのに、真胡の手の中から喪失した。それを見て、皇斗は目を細める。
鋭い視線が虚空を睨むと、そこから李徴がポッと現れる。
「──やはりか。李徴の特殊な動き方についてはある程度理解できた」
「本当!?」
「あぁ、李徴は余達には見えない鏡を渡り現実とこの世界を移動しながら動いている」
そう口にする皇斗に対して、一定の納得を示しつつも訝しむような顔を向ける。
「確かに現実世界に移動したなら触れられなかったり瞬間移動のような動きをするのは納得できる。だが、どうして李徴が急に妾の触れられぬ鏡に入り込めるようになった?」
愛香が皇斗に対して質問すると、皇斗は何も言わずに上空を呼び指す。愛香がその大きな瞳だけを上に向けると、そこにいたのは覆面教師であった。
「きっと、アイツが授けたのだろう。マスコット大先生のような、デスゲームの運営に関する倫理は覆面教師には残っていなさそうだ。どうしてかは知らないけどな」
「まさか、こうも簡単に見破られてしまうとは。流石は噂のツートップ。龍討伐の実績がある2人は違いますね」
一体、どれだけのことを覆面教師は知っているのだろうか。異世界で繰り広げられた伝説の一幕を知っているのであれば、それなりに調べたのかもしれない。弱みを見せた覚えはないが、何かしら指摘されてほしくないことを口にされるかもしれない。挑発は無視することにしようと愛香は決める。
「──仕方がないですね。では、こちらも遠慮なく本領を発揮させていただきますか」
「「──ッ!」」
覆面教師の覆面の表情が変わったことで、2人の背中が粟立つような錯覚を覚える。即座に2人はその場から跳んで来たる何かを回避しようとするが──
「──クソッ!やられた!」
皇斗は全てを回避できたようだが、愛香は左腕の二の腕から先を失う。細く白い腕の断面から血は吹き出ることはなく、代わりに鏡面が貼り付けられていた。
「森愛香さん。アナタの左腕は、鏡の世界から追い出しました。七不思議其の参『マン・イン・ザ・ミラー』はここからですよ」
覆面教師の邪悪な声と李徴な唸り声が、鏡の世界に響く。圧勝の未来は、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。





