7月29日 その⑥
『高慢姫』。
彼女が旅した異世界──ドラコル王国にその二つ名をこれでもかと知らしめ、後のドラコル神話にて「天女」と、彼女と敵対したドラコル教会にとっては皮肉な描かれ方をする女傑は、その異彩を現実でも放つ。
彼女を襲う2頭の虎を壁際まで退け、彼女は廊下の中心で仁王立ちして君臨していた。
「貴様らが人の姿をやめ、醜い野獣となっても妾に勝つことはない。とっとと投降することだ」
愛香は壁に衝突した後に、全身を震わせて体についた破片を落としている李徴に向けてそう口にする。
同じく、愛香に回し蹴りされて壁にぶつかった歌穂も体を起こしていた。
「ガルルルル……」
低く喉を鳴らし、愛香に威嚇をする李徴。愛香がそちらの方へ睨み返すと、李徴は牙を剥き出しにして愛香の方と駆けてくる。
黄と黒の巨体が自らの方へ突進してくるのを見て、愛香は尻尾を捕えることを企む。
──その時だった。
「──ッ!」
大きなガラスが割れるような音がして、愛香はそちらを一瞥する。そこでは、ガラスを割った張本人──張本虎である歌穂が愛香のことを勝ち誇ったような目で見ていた。
白虎と化した歌穂は、獲物である愛香を逃さないために出口を潰したのだ。
「──面倒なことをッ!」
愛香はそう口にして、突進してきた李徴を軽々と躱わす。
歌穂は出口を潰すことで気を引こうとしたのだろうが、そんなものは愛香に通用しない。尻尾を掴むことこそできなかったが、愛香は李徴の攻撃を回避することに成功した。
愛香は、虎となった李徴と歌穂を交互に視線に入れて考える。
2頭は然程脅威ではないが、このまま現実世界と鏡の世界を繋ぐ鏡を割られ続けてしまうと愛香は帰れなくなってしまう。愛香にとっても、鏡の世界に閉じ込められるのは不本意だ。
残っている出口は、各階に設置されているトイレの鏡か体育倉庫にあるダンス練習のための全身鏡。後は美術室にもあっただろうか──。
「──仕方ない、場所を変えるか」
愛香は、歌穂を救出した後にすぐ帰路につけるように場所を変えることを選択する。
愛香が階段の方へと走り出すと、それを見た2頭も付いてくる。
階段を上る愛香の背中目掛けて、飛びついてくる白虎。愛香は、手すりを足場に階段を少しショートカットさると同時に回避する。そこへ飛びかかってくる李徴。
後方へ逃げるスペースがないと察した愛香は、仕方なく前方へ転がるように逃げる。手すりに沿って階段の踊り場へと着地する。
すぐ横には歌穂の姿があり、愛香の進みたい後方には李徴がいる。前門の白虎、後門の虎だ。
「──ッチ!」
愛香は、先ほどつけられた背中の傷が痛む中でこの窮地を抜け出す方法を考える。
今、愛香がいるのは階段の踊り場だ。2階へと続く階段上には李徴が立っており、1階に戻る道には歌穂が君臨している。意図せず、追い詰められた形である。
──事実上の詰み。
愛香は、即座にそれを悟る。そして、表情一つに次善策を考える。
まず、これ以上怪我を負うことなく李徴と歌穂の双方を救うのはこの状況では不可能だ。
一方を救えばもう一方が襲ってくるし、両方を一気に救える配置はされていない。愛香は必ず怪我を負うだろうし、助けた方が死亡するような大怪我を助けられていない方に負わされる可能性がある。
では、2人を虎の姿から解放するのを諦めたらどうだろうか。それだけなら、まだ策はあるように思えた。この状況を無傷で乗り切ることさえできれば、またいつでも2人を助ける機会を得ることができるだろう。
──結論が決まった愛香は、目を瞑って大きく息を吐く。
そして、ゆっくりと体を李徴の方へと向けて──
「──二兎追う者のみ二兎を得る。虎穴に入るもののみ虎子を得る。妾の頭に無謀と言う2文字はないよ」
愛香がそう宣言すると同時、二頭の虎が愛香の方へと飛びかかる。愛香の四方──いや、上下を含めた六方にさえ逃げ場はない。愛香は、そこから一歩も動かずに──
「──〈森梟の慧眼・裸眼〉」
愛香がそう口にして放つのは、第8ゲームで使用していた十八番の手刀──もとい手槍版。
槍の持つ長いリーチという利点を持たない愛香の手槍であったが、まるで槍を持っているかのようにその腕は動かされて、李徴の腹部に強烈な一撃を繰り出す。
腹を見せてその場に倒れ込む李徴の傍ら、愛香の横からその鋭い牙を愛香へと向けるのは歌穂であった。
──が、状況は変わった。
愛香が身を引く場所ができており、このまま李徴を飛び越えて走れば今度は愛香が高所を取れて有利になる。そうすれば、2人を助けることも可能だ。
「貴様らの策など、妾には通用しない」
そう口にして、李徴を踏み台に愛香は階段を駆け上──
「──ッ!」
その時、愛香の細く美しいふくらはぎに強烈な痛みが走る。愛香が足元を一瞥したら、両方のふくらはぎが抉れて真っ赤に染まっている。
「──李徴の野郎、失神したわけではなかったのか」
愛香の放った技はいくら強力であるとはいえ、手刀だ。手加減した覚えこそないが、愛香は失神くらいはするだろうと慢心していた。実際、普通の人間が食らっていたら失神していただろう。
──が、今回の相手は虎となった李徴である。
虎になった彼の心臓の位置は、愛香の想定よりも下にあった。そのため、最後の一撃が上手く決まらなかったのだ。
そのため、ただ崩れ落ちるだけで愛香の足を攻撃する暇ができてしまったのである。
──やはり、愛香の作戦は無謀だった。
両足から血を流した愛香は、2階に辿り着いたところで倒れる。
傷口が燃えるように熱く、同時に血が抜けていく喪失感で冷えていく。熱くて寒い矛盾に襲われながら、愛香は攻めることも逃げることもできずに2頭の虎の餌食に襲われる。
李徴を乗り越えた歌穂に飛びつかれ、愛香のキレイなその顔は鋭利な爪によって剝がされ──
「──させないっ!」
愛香に飛びつく白虎を吹き飛ばしたのは、1人の青年が放った強力なパンチ。
衝撃波が発生する程の強烈なパンチを放ち、歌穂を一瞬で踊り場上部の壁まで吹き飛ばしたのは、他でもない彼──男子の中で皇斗に次ぐ実力者のポテンシャルを持つ争いを嫌う美少年──東堂真胡本人だった。





