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7月29日 その⑤

 

 愛香と栄を押し潰さんと迫りくる下駄箱。

 愛香は、怪我人の栄だけでも──と、致命傷を負っている彼を全身鏡に投げる。

 それにより栄は元の世界に戻ることができたけれど、残された愛香は下駄箱に押し潰される──


「──とは、誰も思っていないだろうよ」

 倒れて来た下駄箱は、中身が空っぽであるとはいえ金属でできている。だから、それなりの重さはするだろう。愛香はそれを、片手で受け止める。


「お荷物がいなくなったから、これで妾は本気が出せる」

 自らを押し潰そうとした下駄箱を片手で受け止めたままで、愛香はそんなことを口にする。

 歌穂は、愛香が下駄箱を受け止めることを想定していただろうか。白虎となり、理性を失った彼女がどこまで愛香に対する知識を残しているのかわからない。


 ──が、きっとこういった行動を起こしたという事は、最初から愛香が一撃で倒れることないと信じていたのだろう。

 白虎は、下駄箱を倒してすぐに反対側に回っていた。

 だから、愛香を挟むもう一方の下駄箱も愛香の方へと倒れてくる。


「──もう一個、か」

 愛香の顔に、完全に影で覆われる。ただでさえ暗い室内で、愛香の体はより濃い影に包まれていた。

 流石に2つも下駄箱を受け止めることはできないと判断したのか、愛香はその場から逃げ出す。


 下駄箱の隙間から体を出すのとほぼ同時に、愛香の後方でバタンと大きな音と埃が舞う。

 下駄箱が積み重なるように倒れており、下敷きになっていたら体がぺしゃんこになって死んでいただろう。

 そんな崩れた下駄箱の上に立つのは、人工の光を背景に浮かぶ白虎の輪郭。鋭い双眸が、愛香の方をジッと捉えて動かない。


「──」

「──」

「──」

「──」


 ──両者、沈黙が続く。

 歌穂は唸ることをせず、愛香も口論をする素振りを見せない。両者、ただ睥睨し合うだけで動かない。


 五秒。

 十秒。

 五十秒。


 実に1分に近い時間、両者は睨み合っていた。

 歌穂は愛香の命を狙い、愛香は歌穂の尻尾を引き抜くことを狙う。互いに、最もベストなタイミングを探っての沈黙。だが、そんな長い沈黙も世界の一瞬の明滅により破れて──


「──ッ」


 両者、動き出す。

 音もなく虎と人は跳び、空中で交わる。


「──グラァ」

 白虎の鋭い牙が、愛香の左腕へと襲い掛かる。白く細い左腕の逃げ場はなく、愛香は仕方なしに喰われることを選択する。が──


「一芸も無く、餌にありつけると思うな」

 ただでは転ばない──そう言わんばかりに、愛香は白虎の喉の奥にその左腕を突っ込んだ。


「──ググッ!」

 喉の奥まで手を突っ込んでくるとは思わなかったのか、歌穂は喉を鳴らす。愛香の細い腕は、獣と化した歌穂の胃の直前まで達した。歌穂は、それに対する生理反応で腕を吐き出そうとえずき──


「──吐きやがったな」

 先程、4人で一緒に食べたものを白虎は吐き出す。それと同時に愛香の腕も外に投げ出される。

 愛香の左腕は、吐瀉物や唾液が全体についており、見苦しいものになっている。


「──が、動きは止まった」

 愛香はそう口にして、白虎の尻尾へ右手を伸ばす。そして、歌穂の尻尾を引き抜こうとする。が──


「ガガァッ!」

 聴いたことのない声で咆哮をあげ、愛香のことを後ろ足で蹴る。だが、愛香はそれを見越していたのか右足で受け止めた。


「──歌穂。貴様が妾に勝つなんざ、百年早い」

 そのまま、歌穂の尻尾は愛香によって引き抜かれ──



「──ッ!」


 ──ようとした刹那、愛香の後方から音もなく接近し、彼女の背中に爪痕を残すのは一匹の虎。

 歌穂──ではなく、先程針山のある落とし穴に落とされていた李徴であった。


「──もう戻ってきたのかッ!」

 先程の長い沈黙が、李徴が戦闘復帰する時間を稼いでいたようだ。これが歌穂の策謀なのかはわからないけれど、時間をかけすぎた事実を愛香は否定できない。


 背中が焼かれるように痛む中で、愛香は歌穂の尻尾を手放して前転する様にしてその場から逃げる。

 李徴が合流したことにより、人数──相手は虎なため人数ではないかもしれないが、とにかく戦力の差が出てしまった。


「──いや、妾は一人で百人力だから戦力に差がなくなっただけか」


 とにかく、愛香が1人なのに対し歌穂と李徴は2頭と、数に差が出てしまう。そうなると、どうしても愛香が不利であることは否めないだろう。

 愛香の背中がズキズキと鋭い痛みを発する中で、愛香は不敵な笑みを浮かべる。


「ちょうどいいハンデだ。貴様ら2頭とも、妾が人間に戻してやろうではないか」

 愛香は自信満々にそう言い放つ。それに対して、2頭は唸ることも無く動き始めた。


 李徴は突進し、歌穂は迂回して後方から攻めてくるのだろう。虎となって尚──いや、虎になったからこそ2人は連携が取れるようになったようだ。


「だが、そんな連携など圧倒的な強者を前には意味をなさない」

 愛香はそう口にして、李徴の顔面に強烈な蹴りを入れる。李徴の鋭利な牙は愛香を食むことなく口の中に戻される。そのまま李徴の体ごと、空中に持って行かれた。


「ぽっと出の貴様は、後回しだ」

 愛香は、剥き出しになった李徴の腹部に強力な一撃を食らわせる。そして、音もなく後方に迫っていた歌穂に回し蹴りを食らわせた。

 李徴と歌穂の2頭は、それぞれ吹き飛ばされて壁に激突する。


 皇斗に次ぐ実力を持つ彼女の強さは、薄暗い鏡の世界の教室の中でこれでもかと言う程光を放つのであった。

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雨城蝶尾様が作ってくださいました。
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― 新着の感想 ―
虎化してキャット・ファイト! マニアが悦びそうな展開ですね。 しかし愛香もだが、歌穂もなかなかやりますね!
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