プロ野球選手との淡い恋85
暫くしたある日、病院内がどこか華やぎだした。
理由は分からなかったが、いつもと何かが違うことは明らかだった。
その日も、稲村は診察を終えた後で車椅子に乗り、休憩室に向かっていた。
稲村の日課になっていた、お茶を飲みながら、ついでに休憩室での人間観察。
入院費の負担でもめる親族、見舞いに来ない近親者のグチ、かと思えば家族のありがたみを再確認する若者やただ物思いにふける患者。
稲村がただの入院患者だと誰も警戒しないから、様々な場面に遭遇したり、話し相手としてつかまったりする。
それはそれで、なかなか面白いと稲村は楽しんでいた。
休憩室に行く道すがら、稲村はギプスや松葉杖に慣れず、不自由に歩く大男に出会った。
脇を通り過ぎる時、大男のふらついた松葉杖の先が稲村の車椅子の車輪に引っかかった。
その勢いで、稲村の身体が前のめりに車椅子から落ちそうになった。
大男はとっさのことだったのだろう。
自分がギプスや松葉杖をついてることを忘れ、稲村が車椅子から落ちることを防ぐために身をていして車椅子ごと抱え込む姿勢をとった。
松葉杖は、放り出されていた。
「すみません、大丈夫ですか」
自分が倒れこんでいるのに、そんなことを気にする様子もない。驚くほど爽やかな笑顔が目の前にあった。
「わしは大丈夫だか、お前さんこそ大丈夫か」
大男は松葉杖を拾い立ち上がる。
「大丈夫です。まだ全然慣れなくて。すみませんでした」
そう言って、深く頭を下げて慣れない松葉杖をつきながら歩いて行った。
あれはもしかして。
稲村は病室に戻るなりパソコンを取り出して検索した。
「やっぱり」
稲村はにんまりと笑う。
そこには、光田悠也が自打球で戦線離脱した記事があった。
子どもの頃から野球が好きだった稲村は、今でも野球には関心があり時々観戦もした。
光田は稲村がひいきにしていたチームとはリーグが違うのでそこまで詳しくなかったが、球界を代表する選手であることはよく知っていた。
まさか、ここで光田悠也に会うとは。
しかも、かなりの好青年である。
念のために理事長に電話してみれば、口外しないことを約束し教えてくれた。
なるほど、それで周りがざわついていたのだと知った。
挙句に、退院間際にそよへのメモを託された。
中学生かとツッコミたくなったが、稲村は光田に好感を抱いたし、楽しみがますます増えた。
それは、稲村に大きな活力を与えた。




