新たな一歩
小林は人類の力の大きさをまざまざと思い知らされていた。月面マスドライバーが建設開始から僅か一年4ヶ月という短期間で完成したのだ。計画では建設に二年の歳月を必要としていた。しかし、世界中の協力の下で建設は驚くべき速度で進み、建設日程が大幅に短縮された。この施設は月面基地として今後様々な役割を果たしていくこととなる。
このマスドライバーは全長150kmにも及び、射出物を秒速15kmまで加速させることが出来る。探査船や有人船の打ち上げはもちろんのこと、補給船や将来的な宇宙開発に必要な物資、人員の展開に必要な能力だ。基地は「アルテミス」と命名され、探査船の打ち上げを前倒しで実行するための準備に追われていた。地球から打ち上げられた探査船および開発船は一度アルテミス基地までテスト航行を行い、最終調整を施されたのちに目標の天体へそれぞれ打ち上げられる計画である。
アルテミス基地完成の知らせから一月後の2033年2月11日、種子島宇宙センターでは探査船と開発船の最終チェックが行われていた。幾多の困難を乗り越え完成したこの二機種は、ついにこの日、地球から人類の未来を背負い打ち上げられようとしていた。人類至上初めて核融合エンジンを搭載した探査船「キギス」と開発船「メイフラワー」。七組の探査船、開発船の第一陣として打ち上げられるこの二隻は、AIの自立実験として、打ち上げから月面マスドライバー基地「アルテミス」までの航行を全て自動で行う。この日の打ち上げが成功すれば、残りの全ての探査船と開発船はアルテミス基地へ向け打ち上げられ、ここでようやく計画の第一段階が完了するのだ。
種子島の管制センターは重苦しい緊張感に包まれていた。この打ち上げはまさに、方舟計画の最も重要な1ページなのだ。もし失敗するようなことがあれば、計画に大幅な遅延をもたらし、最悪の場合計画自体が破綻してしまう危険性を孕んでいた。しかし、だからこそ岡部ら開発チームは綿密な計算と、膨大な回数のシミュレーションを行い、この日に望んだのだ。
小林はセンターにいる全てのメンバーを見回し、そして決断する。
「それでは、打ち上げ開始です。岡部さんお願いします。」「了解。各セクションの最終チェックを行う。」
「ブースター」「OKです。」「計測」「OKです。」
「軌道管制」「OKです。」「飛行管制」「OKです。」
「キギス通信」「OKです。」「メイフラワー通信」「OKです。」
「・・よし。自動制御プログラム起動、発射シークエンス開始。」
「キギス、メイフラワー、打ち上げシークエンスを開始しました。補助動力装置作動確認。自動診断プログラム正常に作動中。」「カウント開始します。打ち上げまで45秒。」「30秒。・・・核融合エンジンスタート。・・・3、2、1。発射。」「こちらフライトデッキ。船体に異常なし。打ち上げは順調に進行中。」「こちら観測班。放射線測定値異常なし。」「大気圏脱出まで75秒。・・・衛星軌道上に到達確認。打ち上げ成功です。」歓声が爆発した。計画開始から・・日、計画に参加する全ての者の、血の滲むような努力の末にこの日の成功はあったのだ。
歓声は管制室の中だけで起こった訳では無かった。打ち上げ成功がニュースで報じられた瞬間、日本中の人々が、世界中の人々が歓喜に沸き、抱き合い、涙を流し喜んだ。
管制センターが歓喜に沸く中、小林は大きく息を漏らし、思わず天を仰いだ。小林は今後、多くの困難と直面することを予期しながらも、しかし今だけはこの成功に安堵するのだった。
管制センターでは引き続き二隻の航行を固唾を飲んで見守っていた。これほど複雑な完全自律制御による航行は、言うまでもなく技術的に非常に難しい。地球で待機する残りの6組の探査船のペアの調整もキギス、メイフラワーの結果次第で対応が大きく変わる。
「キギス、メイフラワー、地球パワードスイングバイに入りました。現在秒速150km。・・160km,・170km。予定速度に達しました。」「アルテミス基地まで40分。」核融合エンジンがもたらす膨大な推力により、二隻は猛然と宇宙空間を突き進んでいた。
「いやぁ、分かってはいましたが、まさに常識では考えられない速度ですね。」小林は感慨深そうに岡部に語りかける。「そうだね。技術の特異的な進化を見せつけられている気分だ。」管制センターでそんな会話をしていると通信が入った。
「種子島センター。こちらアルテミス。奴さんたち機嫌よく向かってきてるよ。シャトルの減速推行ノズルも正常に作動している。予定航路を一ミリの誤差もなく接近中。」「・・到着まで3、2、1。接舷を確認した。完全自立制御成功だな。おめでとう。機体の自己診断プログラム始動中。完璧にプログラム通りだ。データをそっちに送るよ。」
人類の期待を背負った二隻は無事アルテミス基地に到着した。今後二隻は最終調整を施され、3日後に天体へ向け発射される。




