#04.
ルシラがまだ街頭を彷徨っていた頃の話だ。王都ハルウェンに真紅の竜が現れたことがある。
竜は神の使いであり神聖な聖獣。だが、その鱗の色が漆黒や真紅を帯びているならば、その竜は堕落して見捨てられた怪物だという。
真紅の竜は王都に降り立ち、数えきれないほどの呪いをばらまいた。多くの人々が呪いに溶かされ、フェルキリオン王国は潰滅の危機に陥った。
そんな王国を救ったのは、王太子であった現王の弟にして、ようやく成人を迎えたばかりの第二王子、ユルケン・ド・フェルキリオンだった。
彼は命を懸けて真紅の竜を討伐し、国の英雄となった。しかし、英雄に与えられたのは数々の賛辞だけではなかった。
堕落した竜は死にゆくその瞬間まで呪いを纏っていた。竜の断末魔は、彼の身体を貫く強い呪いとなった。
当時は誰もその事実を知らなかった。ユルケンは国を救う英雄となり、ドラゴンスレイヤーを擁するフェルキリオン王国に剣を向ける国は存在しなかった。
大国の仲間入りを果たすかのように思えたフェルキリオンが落日の道を歩み始めたのは、現王の即位式であり、ユルケンの誕生日でもあった二十歳の時のことだった。
隠されていた呪いは即位式を台無しにし、彼を瞬く間に悍ましい姿に変えてしまったという。
数多くの貴族たちがその姿を目撃し、英雄は その瞬間、堕落した怪物として人々から忌み嫌われるようになった。
どれほど堕落し、穢れていると言われようとも、彼は英雄であり王の親弟だった。また、彼が持つ抑止力は周辺諸国にとって十分な脅威となった。
そこで現王はユルケンに公爵位とともに、魔物の国が隣接する国境地帯の領地を与えた。
追放だと言ってもよかった。貴族たちは誰もユルケンを擁護しなかった。
ユルケン自身も自らを弁護しなかった。
そうして辺境の領地へと追いやられたユルケンの呪いは、日を追うごとに悪化していった。魔物の領地に隣接しているせいか、その呪いはさらに広がり始め、一帯の領地まで呪いの色を帯びるようになった。
誰も近づかず、誰も抜け出せない怪物の領地。
「ふふ……馬鹿げた話だわ」
冷え切った冬空の下に広がる巨大な都市を歩きながら、ルシラは冷ややかな笑みを浮かべた。
呪いというものは伝染するものではない。一人の人間が、ひたすら一人の人間を殺すために神の権能を借りたものだからこそ、対象は人間一人だけ。
だからこそ、決して解けず、決して消えず、永遠に呪いによって苦しみながら生きていくのではないのか。
実際、外部の噂とは裏腹にファルゲル公爵領はそこまで困窮していない。
むしろ、魔物から得られる豊富な資源と魔物の情報は、彼らに相当な富をもたらしている。
よそ者であるルシラの目から見ても、城下町はかなり美しく整備されていた。咲き誇る冬の花が街のあちこちに彩りを添え、領民たちの血色も通り過ぎてきたどの村よりも良い。
しかし。
「こないだ降りてきたお触れ書き見たか?公爵の城で人手を探してるってよ」
「あぁ、見たよ。今回で一体何度目だ?」
「まあ、《呪われた公爵の城》なんだから、それも無理ないさ」
通りを歩く男たちの声が風に乗ってルシラの耳に届いた。
「一度でも足を踏み入れたらみんな気が狂って死ぬんだろ?怖くてやってられっかよ。あんな奴が領主でいいのかよ」
「しょうがないだろ。腐っても王族なんだから。貴族様方が怖がってこんな辺境に追い払ったんだから、また王都に連れて帰るわけねぇし」
「はぁ、まったく。いつになったらこの呪われた土地から抜け出せるのやら」
ルシラをかすめて通り過ぎていく領民たちが深い溜息をついた。その姿に思わず笑みがこぼれた。
(そう、どれほど領地経営が素晴らしく、その人柄が立派だとしても、呪われた者が表舞台に立てる場所なんてどこにもないのよ)
ユルケンのせいでファルゲル公爵領は以前よりも豊かになり、人々の生活水準も向上した。しかし、呪いとは本来、肉体よりも心を深く蝕むものだ。
誰もから軽蔑のまなざしを向けられること。それにもかかわらず耐えなければならないことを、ルシラは誰よりもよく知っている。
口元を歪めたルシラが、自身の左目をそっと撫でた。
血統も、財力も完璧だが、孤独で寂しい、呪われた公爵。
(待っていてくださいね、公爵様。私があなたを誰よりも深く愛してあげますから)
そうよ。私のために何だってできるほどに。
私なしでは生きていけなくなるほどに。




