#03.
過去の栄光は虚像であったかのようにすきま風が吹きつけるボロ小屋へ戻ると、先に家へ戻っていた父と母が彼女を迎えてくれた。
胸に飛び込んできた小さな弟を抱き上げたルシラが、イリオスを父の腕の中へと降ろしながら言った。
「お父様、お母様。お二人はこの国に愛着が残っていらっしゃいますか?」
「何を言っているんだ、ルーシー」
ルシラの凄みのある質問に、彼女の養父であるガレイン・エルカルドが低い声で問い返した。
ルシラは無表情に言葉を続けた。
「言葉通りの意味です。お父様もお母様も、希望を失わずに前へ進まれるお方ですものね。まるでエリーゼお姉様のように」
「……」
「ですが、この国にそれほどの価値があるのでしょうか?」
ルシラの質問にガレインが首を垂れた。母のイザベルが彼の手を強く握りしめるのが見えた。父親に向いていた母親の視線がルシラへと向けられた。
「ルーシー。何をするつもりなの?」
「お姉様が死ぬ前に、私に頼んだことがあるのです。私はお姉様の遺言を成し遂げます」
ルシラの答えにガレインが顔を上げ、ルシラを見つめた。揺れる青灰色の瞳がエリーゼと酷似していた。
「エリーが……君に?」
「はい、お父様」
「あの子は君に何を話したのだ」
「お姉様は復讐をしてほしいと言いました。お姉様を無茶苦茶にした者たち全員を、惨めに断罪してほしいと」
ルシラの答えにイザベルの瞳がわずかに見開かれた。母親は包帯で覆われたルシラの左目を見つめながら尋ねた。
「私たちがここに残ろうとしたら、あなたはどうするつもり?」
「ここだけは残しておきます」
「ここに残らないとしたら?」
父親の質問に、ルシラは答える代わりに口元を歪めて笑みを浮かべた。テーブルに金貨の袋を置いたルシラは、体を翻してドアへと向かった。
「お父様、そしてお母様。遺言の対象はこの国です。スムーズな遺言執行のため、速やかにこの国を出ていってください」
ルシラの言葉に父親が何か言おうとしたが、母親が父親の言葉を遮った。彼女の落ち着いた赤紫色の瞳が、同じ目の色をした娘へと向けられた。
母親が静かな声で言葉を続けた。
「ルーシー。あなたは本当に言うことをよく聞く良い子だったわね」
「はい」
「その目を隠すことが不当だと知っていながらも、あなたは私の言葉を決して破らなかった」
「お母様が私を愛して守ろうとしてくれているのだと分かっていましたから」
「それでもあなたは私の言葉に背き、その目で世界を見ようとするの?」
「はい」
考える価値すらないと言わんばかりのルシラのきっぱりとした答えに、イザベルが浅い息を吐き出した。そして言った。
「ルーシー。私たちはエリーと同じくらい、あなたの幸せを願っているのよ。私たちに残された唯一の娘であるあなたを死地に追い込みたくはないわ」
「お母様。私に世界の理を教えてくださったのはお母様です。私の進む道が死地にはならないということくらい、お母様が一番よくご存じでしょう」
「ルーシー」
「お父様も心配なさる必要はありません。舞台が完成したらお呼びしますから。それまでお母様をお願いしますね。それと、イリオス」
「はい、お姉様」
ルシラが弟の名を呼ぶと、イリオスの青灰色の瞳がルシラへと向けられた。まだ幼い子供。けれど落ち着いた少年の瞳は、ルシラが何をしようとしているのか理解しているようだった。
母親に似た灰色の髪が、まだ幼い少年の額に乱れて散っていた。
ルシラは弟を見つめながら、にっこりと笑った。
「お父様もお母様も強いけれど、そのぶん繊細なお方よ。だからあなたが守らなきゃダメ。分かってるわね?」
「はい、お姉様」
「じゃあ、エルカルド家をお願いね。そんなに心配しなくていいわ。長くはかからないから」
言い終えたルシラは、未練なく家のドアを開けて外へ出た。
冷たい風が頬をかすめた。浅い息を吐いたルシラは、生まれてからずっと覆っていた目の包帯を解いた。身を切るほどに清らかな空が両目いっぱいに広がった。
「演劇には多くのものが必要だわ。脚本、役者、舞台。そして……資本」
真に運が良いことに、ルシラは溢れるほどの資本を持った完璧な役者を一人知っていた。そしてルシラには、彼を自分のものにする自信もあった。
先ほどと変わりない、けれど全てが変わった世界の中。春の花に似たルシラの桃色の瞳が北へと向けられた。ルシラは心地よい鼻歌を口ずさみながら足を進めた。
彼女が向かう先はファルゲル公爵領。
現国王の弟であり、恐ろしい呪いを受けたと噂される公爵が住むという、化け物の領地だった。




