#01.
『記憶』というものが存在する頃から、ルシラは母親と一緒に街頭を彷徨っていた。
父親が誰なのかは知らない。
捨てられたのか、それとも死んだのか。
ただ、最初の記憶というものが存在する時から、ルシラは母親と一緒に街頭を彷徨っていたのだ。
ルシラは幼い頃から片方の目が「見えてはならない」のだった。
まだ幼く、障害のある娘を持つ母親にできる仕事は多くなかった。
辺境の小さな村にある酒場に母親が就職することになったのは、ルシラが四、5歳の頃だった。
母親はとても美しい人だった。街頭を彷徨い、まともな食事すら口にできなかったにもかかわらず、母親は通りかかる誰もが振り返るほど美しかった。
もちろん、母親が美しいのはその容姿だけではなかった。母親は心遣いも誰より美しい人だった。
母親が一帯を治める領主であるエルカルド侯爵の目に留まったのは、ある意味当然の成り行きだったのかもしれない。
村を視察しに来た侯爵は、美しい母親に一目惚れしたという。
結局、侯爵は母親を後妻として迎え入れることにした。
激しい反発があるだろうという予想とは裏腹に、侯爵の親族も、周囲の知人たちも、誰もがこの結婚を祝福してくれた。
本妻を見送り、7年近くもの歳月を一人で過ごしていたエルカルド侯爵はそれほど人格のある人物であり、彼が選んだ人なら信頼できると、二人を祝福したのだ。
ルシラが『ルシラ・ヴァン・エルカルド』になったのは、彼女が8歳になった年。
エルカルド家には前妻の生んだ娘が一人いた。
エリーゼ・ヴァン・エルカルド。ちょうど12歳になった、ルシラの義理の姉だった。
母親も、侯爵も。エリーゼと仲良くしなければならないと言ったが、正直に言ってルシラには彼女と仲良くする自信がなかった。
そもそも、いつも片方の目を眼帯で覆って過ごしているルシラには同年代の友達がいなかった。
4歳も離れている姉と話すような話題もなかったうえに、貴族と平民との格差も無視できるものではなかったから。
また、父親の存在すら知らないルシラとは違い、エリーゼには母親の愛を一身に受けた記憶があった。
そんなエリーゼにとって、ルシラとその母親は『母親の場所を奪った平民』に過ぎないのではないか。
いくら幼くても、それくらいは分かる。城のように大きなエルカルドの屋敷で、ルシラと母親は邪魔者に過ぎないということを。
『いじめられさえしなければ儲けものだわ』
ルシラは本気でそう思っていた。
しかし、ルシラの予想とは裏腹に、エリーゼはルシラを実の妹のように可愛がり、大切に扱してくれた。片方の目を包帯で隠した彼女の姿も気に留めなかった。
「血縁なんて関係ないわ。この屋敷に入った瞬間から、ルーシーは私の妹なんだから」
演技だろうと思った。この年代の子供たちは思っている以上に利口で、表では笑っていても腹の中では黒く陰湿な考えを巡らせているものだから。
けれどもエリーゼは違った。
母親にも心からの笑顔を見せ、ルシラを実の妹のように思ってくれた。
最初は心を開くことができなかった。お姉ちゃんと安心して呼べるようになったのは、家族になって丸1年が経った頃。弟の誕生とともに、本当の家族になれたような気がした。
その頃には、ルシラはエリーゼを実の姉のように慕っていた。
エリーゼはいつも優しかった。表と裏がなく、愛らしかった。
あまりにも仲の良い姉妹であるうえに、エリーゼは銀灰色、ルシラは灰色の髪をしていたため、実の姉妹だと勘違いする貴族も時にいるほどだった。
エリーゼが王太子の婚約者に内定したのは、ルシラが12歳、エリーゼが16歳になった年だった。
本来、王妃候補となる令嬢は10歳頃に内定するのが基本だった。
内定が遅れていたのは、王家に代々伝わる伝説のためだった。
詳しい内容は知らない。ただ、数百年間に一度。
王太子には運命の相手が内定し、彼女と縁を結べば王家は太平聖代を享受できるのだとか、なんだとか。
数百年前に現れた運命の女性は、魔物によって滅亡寸前まで追い詰められた王国を救った聖女だった。
王太子は成人となる18歳になるまで運命の女性を待ったが、あいにく運命の女性は現れなかった。
そうして次善の策として内定したのが、まさにエリーゼだった。王太子と婚約すると同時に、エリーゼは王城へと向かうこととなった。
愛する姉とある日突然別れることになったのを、ルシラは受け入れることができなかった。
「ルーシー。永遠の別れじゃないわ。絶対にまた会える。私はあなたに自由でいてほしいけれど、その自由の中でフェルキリオン王国の安寧を願ってくれたら、本当に嬉しいわ」
エリーゼは、いつも眩しい人だった。
運命の女性でなくとも、エリーゼは王太子のために、ひいてはフェルキリオン王国のためにたゆまぬ努力を重ねた。
姉の側にいたい。姉を支えたい。
ルシラが王国騎士団に訓練兵として入団したのは、その年の冬のことだった。
目標は、王妃の近衛騎士。




