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法廷の攻防、孤高の聖断

昭和四年(一九二九年)十二月。


東京の冬は凍てつくように寒かったが、日本政府と陸軍の間で巻き起こった政治的熱帯低気圧は、国全体を揺るがすほどの熱を帯びていた。



張作霖爆殺計画の容疑者として、河本大作大佐、村岡長太郎中将、秦真次少将、土肥原賢二大佐の幹部四人。


そして東宮鐵男大尉ら実行犯三人。計七人の身柄が東京の憲兵司令部に移送された。



「陛下! 関東軍の行動は、暴圧を繰り返す支那軍閥から我が国の権益と、満州に住む同胞を守るための『至誠』にございます! これを罰すれば、前線の将兵の士気は地に落ち、軍の統制は崩壊いたします!」



陸軍大臣である宇垣一成が、額に青筋を立てて俺に上奏してきた。


彼の背後には、陸軍内の「国家改造」を企む過激派将校たちの巨大な圧力が控えている。


史実における田中義一首相も、この「軍の士気」という脅しに屈して処分を有耶無耶にしたのだ。



(知っているさ、宇垣。お前は後に、この軍部の不満を利用してクーデターを画策する『三月事件』に関わることになる男だ。ここで引き下がるわけにはいかない)



俺は玉座に深く腰掛け、宇垣を冷徹に見据えた。



「宇垣陸軍大臣。お前の言う『士気』とは、軍令を無視して勝手に外国の要人を暗殺しても、お咎めなしという無法の特権のことか?」



「無法とは恐れ多い! 彼らはただ、国家の未来を憂えるあまり……!」


「黙れ」


俺が低く一喝すると、執務室の空気が一瞬で氷結した。


経済アナリストとしての知識、そして現代の法治国家のリアリズムが、俺の口を動かす。



「国家の未来を憂える者が、なぜ国際法を破り、天皇の統帥権を冒涜するのだ。彼らがやったことは、ただのテロだ。もしこれを見逃せば、世界は『大日本帝国は、軍の暴走すら制御できない二流国だ』と見なすだろう。米国も英国も、我が国との貿易を停止する。そうなれば、満州の権益どころか、日本全土が経済的に干死にするぞ。それが貴様の言う『愛国』か?」



「くっ……! 経済のことは我ら軍人には分かりかねます! しかし、陸軍内、特に若手将校の反発はテロや暴動に発展しかねません!」



宇垣は、ついに隠そうともせず「暴力」による脅しを口にした。



(言ったな。それがお前たちの限界だ)



俺は、事前に手を打っておいた次のカードを切るために、静かにベルを鳴らした。


ドアが開き、入ってきたのは元老の西園寺公望と、内大臣の牧野伸顕だった。


二人とも、宮中における親米英派のリベラル重臣であり、史実では軍部の台頭に最後まで抗おうとした男たちだ。



「西園寺、牧野。陸軍は『若手が暴れるから、犯罪者を無罪にしろ』と言っておる。これについて、政府と宮中の意見を聞きたい」



西園寺公望は、長い髭を震わせながら宇垣を睨みつけた。


「陸軍大臣、見苦しいぞ。国家の法を曲げてまで身内を庇うとは、それこそ軍の威信を泥に塗る行為じゃ。陛下、すでに大蔵省の井上準之助大臣、そして浜口雄幸首相とも話をつけました。政府は、この七人を陸軍独自の身内裁判ではなく、司法省および宮中が直接監視する『特設軍法会議』にて、公開裁判にかけるべきだと判断いたします」




「なっ……! 公開裁判だと!? 軍の機密が外部に漏れる!」


宇垣が叫ぶが、牧野がそれを遮る。


「漏れて困るような謀略を巡らせること自体が問題なのです、宇垣殿。すでに欧米の通信社には、我が国が『軍内の不穏分子を法に基づいて厳格に処罰する』という声明を、陛下の御名において発信してあります。いまさらもみ消せば、国際社会は日本を『嘘つきの国』と断定するでしょう」


(よし、外堀は埋まった)



俺は立ち上がり、宇垣に最後通牒を突きつけた。



「宇垣。陸軍大臣として、軍の軍紀を守るか、それとも反逆者と共に滅びるか、二つに一つだ。もし陸軍がこの裁判に不服として暴動を起こすなら、私は近衛師団を直接率いて、反逆罪としてこれを鎮圧する。その覚悟を持て」



天皇自らが「反逆罪として討伐する」と宣言したのだ。


これ以上の言葉はなかった。宇垣一成は全身から冷や汗を流し、ついにその場に両膝をついた。


「……御意。陸軍大臣として……陛下の聖断に従います」



数日後。


七人の裁判は、日本の歴史上初めて「軍の暴走を裁く公開裁判」として始まった。


新聞は連日、河本大作らが満州でいかに無謀な計画を立て、それが日本の国益を損なうところだったかを報じた。


現代のメディア戦略を取り入れた俺のリークにより、国民の世論は「軍の英雄的行動」から「国を滅ぼしかけた犯罪者」へと一気に引っくり返ったのだ。



昭和五年(一九三〇年)一月。


判決が下った。主犯の河本大作、村岡長太郎は「大逆未遂」および「私戦罪」により、軍籍剥奪の上、無期懲役。


土肥原賢二、秦真次は懲役十五年。


実行犯の東宮ら三人にも、実刑判決が下された。



史実では数年後に「昭和の怪物」となるはずだった土肥原や、満州での暴走の主役たちが、一歩も動けないまま監獄の奥へと消えていった。



「……まずは、大きな牙を一本、抜いたな」


御所の窓から雪景色を眺めながら、俺は呟いた。


軍部の独走を「法」と「世論」で叩き潰すことに成功したのだ。


だが、この厳罰処分は、陸軍の地下に潜む過激な若手将校たち――後に『二・二六事件』を起こす『皇道派』の狂信的な怒りに、火をつける結果にもなっていた。


「陛下、海軍の山本五十六少将より、極秘裏に拝謁の願いが出ております」


奈良武官長の声が響く。


満州の次は、海。


ロンドン海軍軍縮条約を巡る、もう一つの激動が幕を開けようとしていた。

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