紫禁城の落日、御所への招致
愛新覚羅溥儀とか言う人に振り回され続けた人生が可哀想な人
昭和七年(一九三二年)三月。関東軍の残党による「満州国建国」の謀略を、国際連盟を巻き込んだ電撃的な特区構想で未然に粉砕した俺は、休む間もなく次の、そして最も繊細な人道ミッションに着手していた。
清朝最後の皇帝であり、歴史の荒波に翻弄され続けた男――愛新覚羅溥儀の保護である。
史実の溥儀は、関東軍の甘言と脅迫によって満州へと連れ出され、傀儡国家の執政(のちに皇帝)に据えられた。
それは彼にとって、戦後のソ連軍による監禁や、中国共産党による思想改造(戦犯管理所)へと続く、終わりなき悲劇の始まりを意味していた。
(この世界では満州国は作らせない。だが、行き場を失った彼をそのまま放置すれば、今度はソ連や中国の別の軍閥に捕らえられ、外交の火種にされるか、あるいは暗殺される。……なら、日本の『国賓』として、東京に招くしかない)
俺は、満州の現地で溥儀の身柄を確保している榊少佐に、無線で直接命令を下した。
「榊、溥儀殿下に私の親書を渡せ。関東軍の無礼を詫び、大日本帝国天皇として、殿下とそのご家族を東京の御所へ安全に『国賓』としてお迎えしたい、とな」
「ハッ。……しかし陛下、中国(国民政府)側が、清朝の復辟(帝政復活)の動きではないかと警戒いたしませんでしょうか」
「だからこそ、公式の国賓なのだ」
俺は現代の政治外交のロジスティクスを榊に説いた。
「復辟の野心はないと蒋介石には明言してある。むしろ、満州の正統な旧支配者である溥儀殿下が日本で平和に暮らす姿を世界に見せることで、日本が提唱する【満州国際管理特区】の正当性と人道性をアピールする強力なカード(プロパガンダ)になる。欧米のメディアにも、大々的に『亡命君主を救った人道の日本』と報じさせろ」
数日後、東京・新橋駅。早春の柔らかな日差しが降り注ぐ中、厳重な警備に守られた特別列車がホームに滑り込んだ。
列車から降り立ってきたのは、仕立ての良い西欧風のコートに身を包み、丸眼鏡をかけた一人の痩身の青年だった。溥儀である。
その隣には、美しい正妃・婉容の姿もあった。
関東軍に脅され、命の危険を感じながら満州の闇を彷徨っていた彼は、東京のあまりに盛大で、かつ礼儀正しい歓迎の群衆を前に、呆然と立ち尽くしていた。
「――溥儀殿下。遥々たる旅路、大儀であった」
御所の謁見の間。俺は軍服ではなく、格式高い紋付羽織袴の姿で溥儀を出迎えた。
君主としての威圧感を与えるのではなく、一人の人間として、彼に対する最大の敬意を示すためだ。
溥儀は緊張で身体を強張らせながら、深く、深く頭を下げた。
「大日本帝国の偉大なる天皇陛下……。関東軍の不埒な者たちから我らを救い、こうして温かく迎えていただいたこと、感謝の言葉もございません。……私は、これからどうなるのでしょうか」
その声には、未来への深い不安が滲んでいた。
史実で彼が味わった、巨大な権力に振り回される恐怖が、その若い肩に重くのしかかっているようだった。
俺は歩み寄り、溥儀の細い手を両手でそっと包み込んだ。
「殿下。もう恐れることはない。ここ東京において、あなた方の安全と名誉は、この私が命に代えても保証する。満州の王座という重荷を、もう背負う必要はないのです。これからは一人の高貴な知識人として、この新しい日本で、どうか心穏やかに暮らしていただきたい」
現代の経済アナリストだった俺の記憶が、彼がのちに辿る悲惨な監獄生活の未来を拒絶していた。
「あ……」
溥儀の眼鏡の奥の目が、みるみるうちに涙で潤んでいく。
史実で彼を奴隷のように扱った関東軍とは全く違う、若き天皇(主人公)の、心からの誠実さと温かさ。
それが、凍りついていた彼の心を完全に溶かした瞬間だった。
「陛下……! ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
溥儀は畳に膝をつき、子供のように涙を流して平伏した。
隣の婉容もまた、ハンカチで目元を拭いながら、救われた安堵に肩を震わせていた。
この「溥儀保護」のニュースは、俺の手配した国際通信社を通じて、瞬く間に全世界へと配信された。
ニューヨーク・タイムズやロンドン・タイムズは、日本の迅速な軍部統制と、亡命皇帝に対する極めて人道的な処遇を大絶賛した。
『野蛮な軍国主義の国』という史実の悪名はどこにもない。
いまや大日本帝国は、世界中から『東洋の理性を体現する、人道と平和の超大国』として認められたのだ。
「陛下、見事な一手でございました」
影から現れた榊少佐が、深く頭を下げる。
「満州の火種を完全に消し去り、さらに世界中を味方につけました。国内の過激派も、世界からの称賛の声の前に、もはや何も言えぬ状態にございます」
「ああ、これで本当に、邪魔するものは誰もいなくなった」
俺は御所の窓を開け、三月の澄んだ青空を見上げた。
軍部のテロ(内憂)を圧殺し、国際的孤立(外患)の芽を摘み、歴史の修正力すらねじ伏せて、溥儀という悲劇の皇帝をも救い出した。
マイナスの歴史をすべてリセットした大日本帝国は、ここに名実ともに、誰にも邪魔されることのない輝かしい「黄金時代」のスタートラインに立った。




