血盟団の刃、一撃の未然防止
昭和七年(一九三二)二月。上海の火種を電撃的な共同防諜で消し止めた大日本帝国は、国際社会から「東洋の理性の砦」と絶賛されていた。
しかし、外政の勝利に酔いしれる俺の耳元で、現代の歴史年表が再び不吉なアラームを鳴らす。
「二月……。国内のテロルートは桜会で潰した。だが、まだ『民間』の狂信者が残っている」
経済アナリストの脳裏に浮かんだのは、昭和史を震撼させた連続テロ『血盟団事件』だ。
史実では二月九日に前大蔵大臣の井上準之助が、三月五日には三井財閥の最高権力者・団琢磨が、過激派の農本主義者・井上日召率いる若者たちによって暗殺された。
彼らは「一人一殺」を掲げ、特権階級を殺害すれば国家が刷新されると妄信していた。
この世界では、井上準之助は俺の指示で世界恐慌を最速脱出させた「救国の英雄」として国民から絶大な支持を得ている。
だが、急激な近代化と統制に狂乱した狂信者たちにとって、その輝かしい功績すら「既得権益の象徴」に見えていたのだ。
「榊、井上日召と小沼正、菱沼五郎らの動きを完全に掴んでいるな」
「ハッ。すでに水戸の潜伏先、および帝都に入り込んだ暗殺班の動線をすべて包囲しております」
影から現れた榊少佐が、一枚の書類を差し出した。
そこには、二月九日の井上準之助の選挙応援演説会場を狙うテロ計画の全貌が記されていた。
(史実では警察の警戒が甘く、井上準之助は背後から撃たれた。今回は、舞台裏で完璧に幕を引く)
二月九日、東京・本郷の駒本小学校。
大歓声の中、井上準之助が壇上に立とうとしたその時、民衆の隙間から茶褐色の外套を着た若者――小沼正が飛び出そうとした。
その右手は、懐のブローニング拳銃を握り締めている。
「日本を滅ぼす国賊の井上、天誅――!」
小沼が銃を抜きかけた瞬間、左右から私服姿の憲兵二人が、猛烈なタックルで彼を地面に叩きつけた。
「うおっ!? 離せ! 私は国家のために――!」
「大人しくしろ! 現行犯逮捕だ!」
悲鳴を上げる群衆を、榊の憲兵隊が迅速に誘導する。
井上準之助は何が起きたかも分からぬまま、頑強な防弾車へと保護された。
時を同じくして、茨城県の大洗。
血盟団の本拠地である護国堂は、永田鉄山の手配した憲兵大隊によって完全包囲されていた。
「井上日召! 貴様らが企てた連続暗殺計画は、すべて事前に露見している! 抵抗を止め、直ちに投降せよ!」
拡声器から響く冷徹な警告に、堂内に立てこもっていた井上日召や、三月五日に団琢磨を狙うはずだった菱沼五郎らは、武器を構える暇すらなく、その場で全員が縄をかけられた。
数日後、御所の執務室。
「血盟団の核心メンバー、計十四名、一人も逃さず検挙いたしました。押収された拳銃と弾薬も、すべて警視庁の証拠品保管庫に入っております」
榊の報告に、俺は深く椅子に身体を預けた。
史実の血盟団事件は、その後の「五・一五事件(犬養毅首相暗殺)」へと繋がる、昭和暗黒テロ時代の序曲だった。裁判では彼らの「純粋な愛国心」が世論に同情され、これが更なるテロを誘発する土壌を作ってしまったのだ。
「榊。今回の裁判は、彼らを『英雄』にしてはならない。現代の精神医学と法治のリアリズムで裁くのだ」俺は眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。
「彼らは愛国者などではない。貧困や社会不安の行き場を失い、独りよがりの宗教的狂信に逃げ込んだ『大量殺人未遂犯』に過ぎない。新聞やメディアには、彼らがどれほど稚拙な論理で、国益を損なうテロを計画していたかを徹底的に報道させろ」
「御意にございます」
数ヶ月後に行われた裁判は、徹底的に「冷徹」だった。
現代のプロパガンダ逆操作を取り入れた俺のリークにより、世論は彼らを「日本の近代化を阻む、前時代的なカルトテロリスト」と見なした。
主犯の井上日召、実行犯の小沼、菱沼には、一切の同情の余地なく「死刑」または「無期懲役」の判決が下った。
五・五一五事件の芽を摘み、上海の戦火を消し、血盟団の刃をも未然に砕いた。
昭和七年春。
これで、史実の日本を破滅へと引きずり込んだ「国内のテロルート」は、名実ともに、根こそぎ地上から消滅したのだ。
「……長かったな。これで、本当の『新しい昭和』が始まる」
御所の窓を開けると、三月の柔らかな春風が吹き込んできた。
内憂外患をすべて完璧にコントロールした若き天皇――俺の視線の先には、軍事ではなく、科学技術と経済の力で世界を震撼させる、大日本帝国の真の黄金時代が幕を開けようとしていた。




