6、孤独は好きというよりは一番マシという感じ
私には友達がいません。
昔から人づきあいが苦手でした。
うまくやっていけないというだけでなく、コミュニケーションを取るということに楽しさを覚えることができませんでした。
そんな私はなるべくして孤独になりました。
孤独が好きかと言われると、私は「一番マシ」と答えることになります。
人と関わっているよりは落ち着いていられます。
人と関わることがとてもつらいので、相対的に孤独がマシになっているのです。
孤独は決して理想ではありません。
では、何が理想なんでしょうか。
身もふたもない意見ですけど、何でも言うことを聞いてくれる万能ロボットみたいな、そんな感じです。笑
漫画やアニメに出てくるような完璧な何かがそばにいてくれるのが一番だと思いました。
けれど、それは決して夢物語ではなくなってきています。
AIが発達して、理想的なロボットを生み出すことができるかもしれないところまで来ています。
そんなロボットがいれば、孤独死なんかもなくなっていくでしょう。
私が死んでも、ロボットが手続きをしてくれるのです。
困ったときはロボットが何でもしてくれます。ロボットは自分の言うことを何でも聞いてくれます。
ロボットは壊れても修理できます。
もし、そんなロボットが開発されて、政府が孤独な人に無償提供してくれたら、いくつかの問題が解決していきそうな気がします。
こうしたロボットの普及の壁になるのは、技術的なものだけでなく、人間特有のおせっかい的なものもある気がします。
ロボットとだけコミュニケーションを取る社会は理想じゃない、みんなで手をつないで仲良くとお仕着せする人は少なくないと思います。
私のようにうまくコミュニケーションを取れなかった存在からすると、そのおせっかいは正直、暴力に等しいと感じます。
そういうお仕着せはいたるところにあって、人類を苦しめる要因になっている気がします。
人はこうあるべきという理想論を勝手に押し付けられても、うまくいかない人も大勢います。
学校でも、模範的な生徒が全校生徒の前で表彰されるのも私は良くないと感じます。
どんなに頑張ってもそのように模範的にはなれない人が大多数なのです。
そんなものをお仕着せされて、そうあるように走らされる社会は、私にとってはこれほど辛いものはないと思いました。
それに、私が考える模範というのは「能力を誇示すること」ではなく「誰かを助けられること」だと思うのです。
優れたAIを開発して、理想的なロボットを私のような弱者に提供することは「誰かを助けること」です。それは批判すべきことではないと思います。
技術的に可能なのに、身勝手な理想論のお仕着せによって、そうしたものが抑制され、結果として孤独に苦しみ、孤独死に追い詰められるのを見ていると、一番の加害者はそうしたお仕着せをする人のように感じます。
これは安楽死のような考え方でも出てきます。
安楽死を希望される方って、おそらく健康な人からすると及びもしないほどの苦しみの中にあるはずです。
それを健康な立場から「人は前を向いて楽しく生きるべき」とお仕着せされると、たまったものではないです。
実際に安楽死ができないから、自殺せざるを得ない人が少なくないと聞きます。
それに安楽死というのは、実行することがすべてではありません。
安楽死の権利を所得したまま、いけるところまで行こうという生きる力の源泉にもなります。
私も底辺に追い詰められて思うことがあります。
さまざまな技術が身勝手な理想論のために抑制されていく様は、弱者にとって戦争に匹敵するような脅威だということです。




