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44、尊敬する人

 誰にだって尊敬する人がいるはずと思われているところがありますが、例外がいます。私のことです。

 私には尊敬する人がいません。

 昔からずーっと、誰かに憧れてそれを追いかけるということがなかったのです。

 だからこそ、こうして底辺に落ちてしまったのかもしれません。


 もし、子供のころにプロ野球選手に憧れて、その人を追いかけていたら、私もとことん真面目に野球をやっていたかもしれません。

 偉大な文豪に憧れていれば、頑張って文学を極めようとしていたかもしれません。

 人はお手本を見て、そこを目指して大人になっていくのが常なのかもしれません。

 残念ながら、私にはお手本がいませんでした。


 幼少期のころを振り返ってみます。

 正直に言います。学校の先生はみな嫌いでした。

 覚えている範囲で言いますと、小学1年生のときに給食の配膳を落としてしまったことがありました。

 当時はまだプラスチックでした。私が小学高学年になるころに割れ物に変わりました。プラスチックが健康に影響を与えるとかなんとかで。

 で、床にこぼしてしまった際に、担任の先生が厳しく私を叱りつけ、みなが給食を食べている間に私は泣きながら一人で掃除をしていました。

 先生は助けてくれず、周りの生徒も助けてくれず、冷たい目で私を見ているだけです。

 私の人間嫌いのフラグが立った瞬間です。

 よく覚えてはいませんが、あのとき私が給食をこぼしたのは誰かに押されたかなんかだったと思うんです。しかし、そんな言い訳をすることはできず、私は世界一罪深い人間みたく扱われるフラグが立ってしまいました。

 3年生のときはガキ大将みたいな人がいて、女子の更衣室に入ろうみたいな話になって私も仕方なく参加させられました。

 そのとき、他の人はみなうまく逃げて、私だけ犯人となり、こっぴどく叱られました。

 たしかに私も悪いのですが、それはそれでやはり担任の先生はじめ、周りの人がさらに嫌いになりました。


 小学高学年になると、さらにひどい出来事が来ます。

 罪をなすりつけられてしまったのです。給食のパンをぐしゃぐしゃにつぶしたものを机の中に入れたということで、事実無根な私が犯人扱い。

 やってないと言い訳をすると、ここで恐るべきパワーワードがぶちかまされました。

「言い訳するやつはろくな大人にならないぞ」

 自白を強要する刑事ってこんな感じだったのだろうかと今では思います。そして、先生が嫌いになりました。

 こんな子供時代を過ごしたこともあって、身近な人はたいてい嫌いになってしまいましたよ。


 では、歴史上の偉人はどうでしょうか。

 織田信長なんかは人気が高いですね。

 でも、私からすると「天下統一とか寒い」と感じてしまいます。

 支配欲むき出しで、立派な人間には見えませんでした。

 もっと世の人のために食べ物を恵んで回ったとかあればいいのですが、私はそういう話は聞いたことがありません。

 江戸幕府を樹立した徳川家康なんかはどうでしょうか。

 結局、戦争してんじゃんと難癖をつけさせていただきます。関ヶ原の戦いに勝利したから立派というのは、戦争賛美につながるのではないでしょうか。

 戦争せずに話し合いだけですべてを丸く収めていれば好きになっていたかも。

 歴史上の人物って、要するに「支配欲に溺れた勘違い野郎たち」ではないですか。私にはみなそう見えました。

 こんなひねくれたものの見方をしていると尊敬できる人物が出てこないのも無理はないですね。


 芸能人なんかもひねくれて見てしまいます。

「食べ物作ってるわけでもないのにたくさんお金もらってて感じが悪い」

 私はこんなふうに感じてしまうんですよ。芸能人って悪ふざけしてお金稼いでいる迷惑系ナントカと同じ種族ですよ、私にとっては。

 農業やってるおじいさんのほうが私はずっと尊敬します。

 立派な経歴をぶら下げる人もいますが、

「結局、あなた具体的に何をしたの? 水道管の修理の1つでもしたんですか?」

 とひねくれが炸裂。

 私がまだ実家にいたころに、感じのいいおじさんが家に来て、ボイラーの修理をしているシーンが記憶に残っているのですが、私は金メダリストのアスリートよりあのおじさんがいいですね。

 でも、あのおじさんの名前を私は知りません。


 そんなこと言っているうちに、私は誰からも尊敬されない底辺のおじさんになってしまったのです。

 いま冷静に考えてみると、おそらく私は私が好きだったんですよ。いわゆるナルシストです。

 自分が好きだから、自分を叱る学校の先生が嫌いになり、自分ができないすごいことをしている人が気に入らなかったのです。

 自分で自分を尊敬してしまったから、自分ではない人を尊敬できなかったのです。

 ですが、私はちょっと特別なナルシストです。

 私は鏡に映る自分の姿が嫌いです。もっとイケメンなら良かったのにとずっと感じてきました。

 私は自分の姿は嫌いでした。私は私の心が好きだったのです。

 私の心からすると、私の姿はまるで他人だったのです。

 なんかわがままなお嬢様が心の中でわがままを言い続けているようなそんな感じでしょうか。


 そんなわがままお嬢様が支配する私の心から見ると、世の中の人間はみな「未熟な人間」と映ったのです。

 どれもこれも足りない人間ばかりだと上から目線で身勝手な評価を下してしまっていたのです。

 ですが、そこだけは今でも本心です。

 この地球に生まれてくる人は私も含めて未熟な人間ということ。

 これだけはね、今でも思っていますし、これからも忘れないようにしたいと思います。

 自分も他の人も未熟。きっと未熟だから地球に生まれてくるんです。

 私は底辺になったから、自分の未熟さをよーく分かりました。もう二度と生まれたくないと思うぐらい未熟と分かりました。

 もし、世間からちやほやされてしまったら「自分が未熟である」ということを忘れてしまうかもしれません。

 私たちはおそらく死ぬまで未熟です。たった1度人生を渡ったぐらいで一流になるはずがありません。

 底辺になって良かったことの1つとして、未熟さを忘れずに済んだことでしょうかね。


 それでも、あえて尊敬する人物を挙げるとすると、小島よしおさんです。

 実際のところはわかりませんが、小島よしおさんはずっと自分は底辺の芸人で、周りの支えのおかげで芸人をやれているというオーラをずっと出されていました。

 自分の実力で芸人をやれているという感じではなく、みんなのおかげでさせてもらっているという感じがして好感を持ちました。

 自分の未熟さを忘れずにやっている感じが好きです。

 だからこそ、私からはこう見えました。

 小島よしおさんはずっと自分の芸に自信を持てないまま、一生懸命やっておられる方。

 未熟を自覚しつつ、自分のできることを懸命に模索しておられるような姿が、私には「立派」と映りました。

 

 私が尊敬する人は自信満々な世界の支配者ではありません。

 自分の未熟さをわかって、それでも何とかやるしかないと高をくくって懸命にやっておられる方です。

 私は先生とやらが好きではありません。ずっと修行僧の側で居続けて、私たちの前や隣で汗を流されている方を私は尊敬したいです。

 先生ではなく、そういう方から学びたいですし、そういう方と共に歩きたいと思っております。


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