43、直接的な表現が苦手な人
私は昔から、直接的な表現が苦手でした。
「勉強をしなさい」「
「勉強をしよう」
こういった言葉では、私はなかなか重い腰を上げることができませんでした。
私の経験則としては次の言葉は一番勉強する気になれます。
「勉強なんてしなくても問題ない。そのうえで勉強をしてみよう」
しなくても問題ないという保険がつくと、私は安心感を覚え、勉強できました。まあ、30分も持続しませんでしたが。笑
保険が付かないと安心できない。
こういう方は他にもいらっしゃるでしょうか?
例えば、ダイエットをするときもそうです。
「ダイエットを成功してみせる」
「ダイエットをしよう」
これでは私はできません。
「ダイエットなんて失敗しても何の問題もない。そのうえでダイエットしてみよう」
これでようやくできるかどうかです。
保険がついていて安心感があるときに、私はようやくちょっとだけ動き出せる人間だったのです。
「目指せ〇〇」
このようなキャッチフレーズは私には効きませんでした。
「〇〇に行けなくてもいいからとりあえずやってみよう」
このほうがちょっとやれる気がします。
そんなだから何者にもなれなかった自分がいるわけなんでしょうけども。
人生も同じなんじゃないかと私は最近感じています。
「頑張って生きよう」
これでは生きるのが辛いですよ。
これだけで頑張れる人は天性の才能があるのだと思います。
そんな生まれつき強者の視点で物事を語ってほしくないですよ。
この世の中の問題の1つが強者の視点でしか物事を語らないことです。強い人が正義というわけです。
けれど、多くの人はそんなに強くないはず。弱い人の視点も取り入れないと、生きづらい社会まっしぐらです。
いかにも強い人、成功した人の意見を取り入れるのが良いように思えますが、自分の心と体がそれについていけるかどうかは別問題なのです。
では、どうなっていれば少しは生きやすくなるでしょうか。
個人的には次の言葉が嬉しいです。
「すぐ死んでしまってもいいから、自分の行けるとこまで行こう」
死んでもいい。これってすごく大事なワードだと思うんです。
例えば、不治の病にかかっている子供に対して、「頑張って生きよう」というのはすごく辛いことです。私だったら心底落ち込んで立ち直れません。
そういう子供に対しては、
「人は死んでもいいんだよ。そうしたら神様になって宇宙にある色々な素敵な世界に行けるようにから。地球はそんなにいいとこじゃない。だから、ちょっと生きるだけで十分。生きれるところまで生きれたらそれでもう十分なんだ」
と言ってあげたいです。私はそんなふうに言います。
いや本当に、地球って長居するところじゃないと思いますよ。100年入るような世界じゃないです。
長生きにこだわらず、もっと別の世界もあると星空を見上げながら生きていけばいいと思うんですよ。
強さは人それぞれです。本当に強い人もいれば、本当に弱い人だっています。
それを強者の視点だけの言葉でひとくくりにすべてまとめてしまう今の世の中は、一定以上に強い人しか残れません。
もっとも、自然界はそういうものではあるとは思いますが。
社会に優しさをもたらそうと思ったら、それなりに保険をかけてあげるべきと思いました。
保険というのは生命保険とかそういう金目のことではなくです。
「失敗してもいい」
「死んでしまってもいい」
「成功しなきゃいけないわけじゃない。ちょっとでも体験ができれば十分」
「生きなきゃいけないわけじゃない。地球はちょっと知ることができれば十分」
そうですね……私の人生、ここまで振り返って、地球で知っておくべきことは次の3つだと思います。
おいしい食事、うなぎ、メロン、和牛
色んな人がいる、変な人も真面目な人も犯罪者も色々いる
苦しいこと、生きるのって辛いと分かること
この3つさえ知れば、別にそれ以上をやる必要はありません。
ゲームで例えればいいでしょうか。
ゲームなんていけるところまでいけばいい。
エンディングまで行くのはそれが楽しかった人だけでいいですし、やり込みまでするのは本当にそのゲームにはまった人だけでいいと思います。
面白いと思ってない人までやり込みを強要されるって、それはもうひどい世界です。
合わない人はちょっとやるだけいいんです。
でもね、ちょっとはやっとくべきと思います。どんなゲームでも。ちょっと体験しておくと「こんなゲームもあるんだ」と1つの土産にはなります。




