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42、人生でしなければならないこと

 人生でしなければならないことって何でしょうか?

 色々な答えが叫ばれていますが、私は今まで納得したことがありません。

 それゆえに、いま私は毎日を何となくぼーっと過ごしています。

 何をしても無駄なような気がして、最近はなおさらぼーっとしています。


 例えば、子供のころは学校に行って、友達と遊んでいればそれでよかったのです。

 子供のころはそれ以上のことを考えることがありませんでした。

 考えなければ、目の前のことをただこなすだけですべてが解決しました。

 とすれば、考えるから問題が難しくなっていくわけです。

 ただ生きていればいいのであれば、わざわざ考える必要もないのです。

 ただ時が過ぎ去るのを待つだけです。

 立派なことなんかしなくてもいいのです。

 これ以上、何かすごい発明も必要ありません。

 食べるものと住む家があれば十分。

 考えなければ、楽に人生を過ごせたのかもしれません。


 けれど、人間は考えてしまいます。

 考えるということは能動的なものではなく、環境から脅迫されてさせられるようなことだと私は感じています。

 例えば、目の前に素敵な女性がいて、何としてでもゲットしたいと思うことによって、人はどうすればゲットできるかを考え始めます。

 目の前に素敵な女性がいなければ考えずに済んだことだったのです。


 考えるという行為は環境からさせられること。私が望んでやっていることではないのです。

 何か素晴らしいものが目に入ると、ドーパミンが分泌されて、人はそれを追い求めて動き出すのです。

 欲望に駆り立てられることで考えるのであって、何もないところから考えるという行為は生まれません。


 SNSが登場して、余計なものがたくさん目に留まるようになりました。

 SNSにあふれているのは、生きていくうえで必要ではないものばかりです。

 しかし、それらが目に入るとドーパミンが分泌され、何か大事なもののように思えて、あれこれ考えさせられるのです。

 山にこもって瞑想だけしていれば、考える必要のなかった雑念ばかりが頭の中を駆け巡っていきます。


 では、山にこもってすべての情報を遮断することが正しいのでしょうか?

 見なくていい、聞かなくてもいい、触らなくてもいい。

 外界の刺激を受け取るから欲望に駆り立てられるのです。ならば、刺激を絶ってしまえばいい。

 究極的には「死んでしまえばいい」ということです。

 死んでしまえば、すべてのしがらみから解放されます。山にこもる必要すらないのです。

 欲がなければ子供も生まれません。生まれなければ万事解決です。


 うーん……。

 どっちにしろシビアな世界であることに変わりはないですね。

 生きることも難しいですが、死ぬこともまた難しいですから。

 難しいことに挟まれて身動きが取れない自分がいます。なんでこんなに物事は難しいのだろう。

 簡単だと思っても、考えているうちに難しくなってしまうのです。


 色々考えましたが、結局しなければならないことなんてないんですよ。

 生きることでさえ別にしなければならないことじゃない。

 平凡な結論になってしまいますけど、結局人生でしなければならないことは、時間が流れるのを待つことだけなんです。

 退屈だからなんかしようというだけで、義務ではないんです。

 でも、義務を欲しがる理屈はわかります。

 自由過ぎるのに、できることは少なく、力に乏しいという人生を生かされる中で、何か長い物に巻かれたいと思うのは当然のことと思います。

 私はね、正直に言うと人というものをあまり信用していません。

 人に巻かれるというのは、これほど不安なことではありません。

 私のおすすめは原点回帰とも言うべきものです。神様に巻かれるのがいいと思います。

 中世のころみたいに、神を信じたほうがいいです。

 中世のころは、人が信じられない世界でした。

 戦争、感染症が横行し、人と会うことは死の可能性さえある時代でした。

 だからこそ宗教が力を持ちました。

 人が信用できないとき、人は何か全能なる存在に自分を託したのです。

 現代社会でも、その本質ってあまり変わっていないんじゃないかと思います。

 科学が発達しても、私は科学に巻かれることには後ろめたさがあります。科学って残酷ですから。

 科学が発達しても、私はやっぱり神に巻かれること以外望むことができませんでした。


 こんなつらくて苦しい人生です。神に依存せずにどうして生きていけるというでしょうか。

 

 今朝、こむら返りに遭いました。人生最大のこむら返りでした。

 長く持続するこむら返りだったのです。体感、およそ3分。

 こむら返りのときは足を延ばすのではなく曲げるのがいいと聞いたことがあって曲げてましたが、痛みは加速し、長期的なものとなりました。

 もしこれが永続したらと思ったら、私が最後に取った行動が「神様、どうかお助け」と願うことでした。

 偶然だと思いますが、神に願ったあたりでようやく収まりました。

 科学が敗北した瞬間です。そんなとき、神様がいなければやっていけませんよ。

 こむら返りなんて些細な笑い話ですけれども、人生のあらゆる場面に通用する話と思います。


 科学で武装してもやられます。

 神を信じていなければとても人生はやっていけません。

 私たちは神様を捨てるのが早すぎたと思います。ポンコツな科学なんかに依存したせいで人生がダメになってしまったんではないかと私は考えています。


 科学なんてポンコツだ。信頼してはダメ。人もです!

 信頼できるのは神様だけです。

 切実な私の思いを熱弁させていただきました。

 どうもありがとうございました。

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