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40、死んだらやりたいことリスト

 死んだら何をしようかなと、今のうちにやりたいことリストをまとめておこうと思います。

 生きているうちにはろくなことができませんからね。

 生きているうちのやりたいことリストなんて書くだけ無駄です。

 どうせ、ちょっとお金が溜まったら、うなぎでも食べたいぐらいです。書く必要もないことばかりです。

 ある程度の中間層ですら「一生に一度のハワイ旅行」なんて言ってるのです。なんて悲しい。なんて虚しい。

 こんなことのために生まれてきたなんて。いえ、私の夢が「うなぎとメロン」なので、まったく馬鹿にしているわけではありません。

 ですが、生きているうちの夢なんてそんなものです。

 上級国民でさえも、グリーンランドが買いたいとかウクライナが欲しいなのです。もう鼻で笑うしかないものなのです。

 そんなことが人生の最高峰なんて、生まれてきた罰としか思えません。こんなことのために生まれてきたなんて……。

 そんなこと言うとハードルが上がってしまって大変なのですが、死んで神様の力が手に入ったとしたら何をしたいかこれから考えていきたいと思います。


 まず原則から見ていきたいと思います。

 原則というのは、人生の逆ということです。

 人生が苦しかったからその反省を活かしたいと思うのです。

 人生が苦しかった理由の1つが、自分の実力をはるかに超えたことに挑まされた無理難題の数々です。

 1の力しかないのに、100でも200でも要求されてしまったのが人生です。

 プロのスポーツ選手なんて人生100回繰り返したって無理です。1の力でできることは無理してもせいぜい2か3です。

 でも、2か3ってハワイ旅行みたいなものです。それは鼻で笑うようなものでしかないのです。

 そこで、100や200の力を持って、1や2をやりたいですよね。


 お判りでしょうか。

 大事なことは事象側ではなく、力側なのです。

 力があれば、事象はうなぎでもメロンでも、ハワイ旅行でもウクライナ占領でも何でもいいのです。

 さすがに「じゃんけん」は足りなさすぎです。最低でもハワイ旅行からでしょう。

 莫大な力を持ってできるなら、いまいちなことでもいいのです。もう一度私の人生だとしても、力が莫大なら構いません。

 だからこそ、莫大な力を使って強くてニューゲームのようなことがしたいと思います。

 どうでしょうか、ハワイ旅行とかグリーンランド購入よりはまともな回答になったでしょうか?


 力さえあれば、やるべきことはちょっとずつゆっくりやればいいのです。

 野球から始まってサッカー、水泳、バレーなんでもやってみればいいのです。

 力がなければ、野球をやろうがサッカーをやろうが無意味です。私が水泳しても溺れて死ぬだけですよ。バレーなんてネットが高すぎて手がネットの上に出ません。

 力があれば、何をやってもうまく成立するのです。

 だから望むことは力だけでいいのです。新しい高尚な何かを考える必要はありません。

 みなさんだって、いまやってる仕事を圧倒的高みからできるなら納得ではないですか?

 例えば、皆さんが工場で仕事をしているとしましょう。

 1秒間で1年分の仕事ができる能力があれば、楽しくやれるでしょう。

 力があれば戦争だって構いません。

 息を吹きかけるだけで、空を舞うすべてのB29が撃墜できるなら、太平洋戦争でもいいでしょう。

 一瞬でアメリカにワープして、空からかめはめ波ぶちかまして、いくらでも破壊できるなら楽しめるのです。


 そうです、力なのです。力さえあれば何もかも解決できます。

 戦争を無くす必要もありません。

 病を無くす必要もありません。深呼吸すればすべての病が治る力があればいいのです。

 事象側はそのままでいいのです。力さえいじれれば。ああ、力さえあれば。それが私の答えです。

 力さえあれば残虐さもありません。

 すべてを壊しても、すべてを再生する力があれば、壊してしまった罪もなくなります。

 死んでもよみがえることができれば、死ぬこともへっちゃらです。

 力1つですべて解決。力さえ与えてくれればすべてが解決するのです。


 がしかし……。

 力を手に入れた後の恐怖を感じることもあります。

 アリの観察を楽しめる人は少ないでしょう。ということは、力を手に入れたら何をやってもつまらなくなるかもしれないのです。

 そうすれば、その力を持って自らを破壊する日が来てしまいます。

 ええ、これが結末です。

 力を持ってやるべき最後のこと。それは自殺です。

 自らを滅ぼさざるを得ないのです。

 そして死に際にこう思うのです。

「力がないほうが良かった。力がなければ、色んなことに動揺し、感動し、重要視できる。いまは人間がアリにしか見えない。絶望だ」

 力を呪い、低能な私に戻っていくのです。


 ひょっとして、この世界はそんなことを繰り返しているのでしょうか?

 低能で生きることで「こうあれば楽しめる」という願望を手に入れます。

 全能で生きることで「アリを見て感動できるようになりたい」という願望を手に入れます。

 全能を楽しみぬいた人が、私の人生やってるのかもしれません。

 おかげで、力が欲しい、力があればなんだって楽しいと思えるようになりました。

 私のこの低能人生に意味があったと言えるのです。


 私は社会不安障害者です。

 電車やバスに乗れず、電話が怖くてできません。

 すぐ落ち込んで自殺願望を持ってしまいます。

 日々、辛くて苦しくて不安に押しつぶされて……。ああ、辛い辛い苦しい苦しい、死にそうだ……。


 そうやって追い詰められていくうちに、力があれば……力が欲しい……全能の力があればと考えるようになりました。

 力があれば新幹線の隣を時速1000キロで走り抜けてやりましょう。

 50m走で7秒台でどや顔していた小学5年生の旧友の前で6秒台で走って度肝を抜いてやります。

 40歳のおっさんがいきなり読売ジャイアンツのキャンプ場にやってきて、100マイルの直球を投げて、40歳の生活保護受給者が巨人のエースになって新聞の一面を飾ってやります。

 書いた小説がいきなり500万部売れて、これまで見向きもしなかった女どもが金と名声を求めて寄ってくる光景を高みの見物したい。


 こんな歪んだ願望が出てくるのも、すべて私の底辺な人生の歩みのおかげなのです。

 神の力を手に入れた次の人生ではやりますよ、この歪んだ願望すべて。

 全部やって宇宙の果てまで飛んで行って、すべてが虚しくなったら自殺。

 そして始まるのです。

 歪んだ願望を作る私の底辺人生。


 ああ……なんてよくできた世界なのでしょう。

 いえ、そんなシステムでこの世界が成り立っていると判明しているわけではないのですが。

 そんなシステムであってほしいですよ。であれば、低能人生、頑張れます。頑張って歪んだ願望いっぱい作りますよ。

 でも、そんなシステムじゃなかったら、もはや絶望。終わりです。

 もうこの世界に何のうまみもありません。

 そんなふうに暗くなるぐらいなら、神を信じたいですよ。神の力が授かれる死後の世界があってくれと。

 そう思わなくて、この人生やってられませんって。私の人生は正気で生きれる世界じゃないです。

 うつ病でもアルツハイマーでも何でも出てこないと押しつぶされてしまいます。


 すべての人が死後、歪んだ願望が叶えられる世界にたどり着いてほしい。

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