36、本当にやりたいこと
本当にシリーズとも言うべきものがあります。
本当にやりたいこと、本当に大事なこと、本当の愛、本当の優しさ、本当の……。
私もこれまで何度も「本当の」を探してきました。今でも探しています。
でも、絶対に見つかるはずがないと言うことも、最近はわかりつつあります。
本当に好きな食べ物は?
この質問に答えようとすると「本当の」の正体が見えてきます。
暑いときは、冷えたジュースとか冷えたスイカが本当に好きな食べ物です。
久しぶりに食べるときのうなぎなんかも本当に好きな食べ物ですが、続くといまいちな感じになることが多いのがうなぎです。
うなぎは栄養価が高いので、ダイエット中なんかはとにかく、油、たんぱく質が欲しいという体の欲求があって、うなぎを想像すると、頭が狂ってきます。
同じような理由で、焼肉なんかも栄養が足りなくなってくると、本当に好きな食べ物になります。
食後は甘いスイーツが本当に好きな食べ物になりますね。夏は食後にアイスクリームを食べたくなることが多いです。割高でもコンビニのアイスクリームに手を出してしまうのです。
この話からわかることは「本当の」は変化するものということです。
そのときそのときの状況で柔軟に対応することができるのです。
私たちが求める「本当の」というのは永遠に変わることのない絶対的なものなのです。
しかし、私たちの体はめちゃくちゃ柔軟に対応しているから、毎回違うものが「本当の」になるのです。
柔軟な体と剛直な心。ハリネズミをティッシュペーパーで包み込もうとするような心もとなさがあります。
本当のを納得するには、柔軟な体に柔軟な心が必要だったんです。
本当にやりたいことも変化していくのですから、1つの何かで決まるはずがありません。
今は「トイレに行くこと」が本当にやりたいことかもしれません。
その後は睡眠、その後はゲーム、その後はインターネット。
ゲームだってアクションの気分、ロールプレイングの気分があります。
騒がしい場所に行きたいこともあれば、静かな波の音を聞きたいこともあります。
本当にやりたいことはどんどん変化していきます。
けれど、剛直な私たちの心は「死ぬまでやり続けたいことこそが本当のやりたいこと」と考えて決して曲げません。
本当にやりたいことは1つではないのです。たくさんあって、ケースバイケースなのです。
物事が変化し、一貫したものがないということを、お釈迦様は「諸行無常」と説かれています。
信念を持つことは素晴らしいこととされますが、お釈迦様は「信念なんて三日坊主」と教えたわけです。
三日坊主という言葉は悪く使われることが多いですが、人間の当たり前を表した言葉なんですね。
医学の世界では、1つのことをずっとやり続けることは「発達障害の1つ」と言うこともあるそうです。
三日坊主は脳が柔軟に対応できている健全な証なのです。
そう考えると、少し楽になることがあります。
私は何でも三日坊主でした。勉強もスポーツも何でもちゃんと続けられない人間でした。
けれど、それは健全なことだったんです。ずっと続くはずがないことを続けさせる社会のほうがおかしいのです。
それが今の時代の生きづらさの1つと思います。
幼少期から、変化することにものすごくネガティブな印象を植え付けられてしまいます。
勉強を続けなさい、一度決めたことは続けなさい、継続は力なり。
確かに続けることには大きな利点があるとは思います。
けれど、無理して続けるのと、苦なく続けることを一緒に混ぜてしまってはいけません。
続けることが利点というよりは、自然と続くことが利点なのです。
変化を嫌う教育をやりすぎた結果と言いますか、現代人は変化に対する恐れが障害のレベルになってしまったように思います。
私も変化がただただ怖いものに感じて、諸行無常を実践できなくなりました。
心がとても剛直で、ちょっと引っ張るとヒビが入ってしまうような状態です。
動脈硬化したような感じです。
最近はこれまでの教育の裏返しと言いますか、変化しようという風潮が出てきました。
しかしずっと変化するなと言ってきたところで、いきなり変化しろはあまりに無責任と感じます。
これまでの変化を嫌う風潮は何だったのかと憤りさえ覚えます。
当たり前に立ち返ったとき、人はやはり変化するものです。
食べたいものも好きな人だって変わります。
私にも好きな女の子がいました。小学校の時に二人、中学生の時に何十人、高校生の時も何十人です。
誰か一人を永遠に好きでいたのではなく、より取り見取りでみんなかわいいと感じていたのです。
でも、それはすごく健全なのだと思います。一人の女性を愛することを強要する結婚はとても不自然な行為なのです。むろん、社会の安定のために我慢しなければならないことがあることは認めますが。
本当にやりたいことは変わって当然。
感情も考え方もずっと変わっていきます。
昨日は死にたいと思っていたけど、今日はそうではないということも普通のことです。
人は気分の浮き沈みを繰り返すものなのです。
ただし、最近の私は沈んでいる時間が非常に長くなりました。
いま通っているメンタルクリニックでは、うつ病の可能性があると言われています。
変わらなくなると病の可能性があるのです。
だから、変わることは前向きに捉えてほしいと思います。
いつまでも生きるわけではなく、人はいつかは死にます。
死んだ後も同じ状態ということもないでしょう、おそらくは。
新しく生まれたり、死後の世界をあちこち移り変わっていくことになるはずです。
だから、どんどん変わっていくことを当たり前のように受け入れていかないといけません。
お釈迦様の諸行無常の教えが大事と感じています。
社会とか国なんてものは風に飛ばされた魂がたまたま引っかかる程度の場所と私は考えています。
だから、私は愛国心はありません。日本国旗に対する誇りもありません。
たまたま引っかかって、絡みつかれてここにいるのです。いつかは解けて去って行くのです。
冷たい魂と言われても、それが真理だからしょうがないと思います。
どこかにずっと閉じ込められているのが魂の本質とは思えません。
風に吹かれて、もっと遠くの宇宙に向かっていくのが魂です。
いまは地球の引力に引っかかっただけのことです。
そんな地球もいずれ太陽の膨張に呑み込まれる日が来ます。太陽は最終的に白色矮星になり縮みます。
エネルギーを放出して遠くの銀河に飛ばされていきます。
また遠くの銀河で何かが生まれるのです。
だから、私たちも何百万光年も離れた場所に行くことになるのです。
たかが一時の引力の影響下で「すべての功が成った」と考える必要もないと思います。
気長に行きましょう。
気長というのは地球が太陽に呑み込まれて、遠くの銀河に飛ばされて新しい星が誕生するぐらいの感覚のことです。
たかが地球の上でうまくいったうまくいかなかったなんて話は忘れてしまえばいいのです。
生きるか生きないかでさえ、さっさと忘れてしまって良いと思います。
それでも、宇宙のどこかに永住したいと思える場所があってほしいという願いはあります。
そこは私にとっては少なくとも地球ではありません。
そんな私にとってもう地球のことはどうでもいいのです。ただ死んで旅立つだけの場所です。
それぐらいに思っとかないと、辛く苦しい人生、耐えて進むことはできませんから。




