34、圧倒的な力があれば……。
圧倒的な力が欲しいと願う日が続くようになりました。
ここでいう圧倒的な力というのは、年収が100億円とかそういうことではありません。
お金なんかに振り回されることのない力です。どんなことも望み通り変化させることができるような力です。
万物すべて、自分が望むように変化させられる力。それが本当に欲しい。
当然かもしれませんが、そんな力があればすべての問題が解決します。
もう悩む必要もないのです。悩むことがあるとすれば、その力をどう使うかという愉悦の悩みです。
当然ですが、そんな力は存在しません。
私たちが日ごろ不安を覚え、苦悩するのは単に圧倒的な力がないからです。
誰かが自分に嫌なことをしてくるから、苦悩するのではありません。
自分に力がないから、誰かの嫌味にひるんでしまうのです。
誰かのせいではなくて、自分に力がないから何もかもダメになってしまうのです。
もし、自分の人生がうまくいかないのを誰かのせいにしたとしても、結局最後は自分に圧倒的力がないことに帰着します。
あいつが悪いと犯人を探し出して罰したとしましょう。
それで何が解決するというのでしょう。
結局、自分が圧倒的な力を持つこと以外には何も解決しないのです。
誰かのせいにし始めると、単に問題が複雑化するだけです。最初から、自分に圧倒的な力がないことがすべてとやっておけば、問題がとてもわかりやすくなります。
私はそういう意味では自己責任という言葉を肯定します。
誰かのせいにしても全世界の人々一人一人を説得しなければならないんです。70億人の人々にあれこれ言っても無駄じゃないですか。
しかし、自分が圧倒的な力を手に入れれば、自分と言うたった一人の力を変化させるだけでいいのです。
自分に力がないことが、何もかもすべての人生のうまくいかなさの元凶なのです。
みなが私を受け入れてくれないではなくて、私が圧倒的な力で他のすべてを支配できないのです。
すべては自分。
ちょっと何が言いたいか伝わらない話になってしまい、申し訳ありません。
私は自分の敵は自分だと言いたかったのです。
自分だけが自分と敵対しているのです。自分が圧倒的力を持っていないことだけが人生の急所です。
他の誰かが変わっても無駄です。たとえ、100万人が心を入れ替えたって、自分の人生は変化しないんです。
自分だけが自分を苦しめる元凶です。
私たちが人生の中で覚えるあらゆる「憎しみ」は自分の無力から発せられ、「苦しみ」も「不幸」も自分の無力から出力されたものです。
自分こそが自分を苦しめる最悪のモンスターだったんです。
いじめを解決しても人生は解決しません。
就職先が見つかってもやはり人生は解決しません。
周りの人が私にすごく優しくしてくれたって人生は解決しないのです。
無力な自分がここで生きている限り、無限に出てきます。不幸、嘆き、苦しみ、憎悪、嫉妬、不安。
決して欲することがないものを次から次へと掴まされてしまいます。
望んでないものばっかり降りかかってきます。
走っても、逃げても無駄です。無力だから逃げられません。
だから、死だけがすべての解決策です。
私は冗談で言っていません。
それ以外に自分を救済する方法なんてありません。
死以外に解決策がない。
ここからが本題なのですが……。
それって絶望ですか?
私は投げやりに絶望を吐き出したわけではありません。
私は希望を吐き出したつもりです。
死という解決策があるなら、この人生、どんなだっていいじゃないかとできるという話なんです。
どんなむちゃくちゃなものでも死が解決策なら、最後は必ず解決できるんです。
絶対に解決できるという言葉は最強ワードですよ。
何も自殺を賛美しているわけではありません。そもそも自殺は無力な私には決行する勇気が足りません。
私が言いたいのは、死だけが解決だから、死を待てば必ず解決できるということなんです。
逃げちゃダメ、このままじゃダメ、立ち向かわないとダメ。
色んな言葉があるけれど、死が解決ならダメなんてことはありません。
逃げたって死ねます。このままだって死ねます。立ち向かわなくても死ねます。
死だけは本当に時間が経過すればできるんです。
苦しいでしょう。辛いでしょう。けれど自分が死ねばすべて解決です。
それこそ、すべての問題が解決します。
国家間の問題、戦争、経済的な問題、環境問題、
個人の力ではどうにもならない問題だって、私が死ねばもう解決です。
どうやっても解決できそうのない問題だって解決できます。
死に任せればなんだってできる。
生物が死んだとき、その生物のすべての問題が解決するのです。
その道中に何があったとしても、結果はすべてハッピーエンド。
死を信じて向かえばいいんです。
死を信じられるからこそ、生きられるんだと思います。
先進国のほうが絶望の自殺が増えるというのも、死を信じられないからではないでしょうか。
私たちはどこかで、死を否定し、信じないことによって、生きることをどこまでも窮屈で後ろ向きなものにしてしまっていたのかもしれません。
死を信じなくて、どうして必ず死ぬことが約束された人生を歩めるというでしょうか。
給料がなくて、どうして仕事ができるかという話です。
死を信じないと、人生なんてやってられるわけがないんですよ。




