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28、好きな食べ物

 好みというのは、歳を取るにつれ細分化されていきました。

 

 子供のころは焼肉が好きでした。

 焼肉は月に1度程度出てきて、そのときは特別な日だったのです。

 しかし、歳を取ってくると焼肉だけでは足りません。もっと多くの条件がついてきます。

 

 最近は大根おろしが必須みたいになりました。

 肉は牛なら、牛タンかハラミ。豚はバラ肉。海鮮がちょっと欲しい。ホタテなんかを買うことが増えました。

 野菜はしし唐が欠かせなくなり、たまねぎは輪切りじゃないとテンションがやや下がります。

 キャベツは焦げがつくまで焼かないとダメとか。シメはカレーを作ろために野菜をちょっと残しておいてとか。

 シメを焼きそばにするか焼き飯にするかカレーにするかで迷うことが楽しみだったりとか。


 子供のころなら、焼肉という熟語ですべてが終わったのですが、最近はあれこれ注文をつけることが前提でしか好みを語れなくなったのです。

 大人になるということはわがままになるということでもあるのです。


 好みが細分化するのは食べ物だけではありません。

 映画を見るときに、邦画か洋画か、実写かアニメか、そんな分け方では足りません。

 洋画においてもさらに条件が厳しくなっていきます。結果として、10本の洋画があれば、1本ぐらいしか楽しめる作品が出てこないのです。

 10本に1本の当たりを探すために10本を見ていたら、時間もお金もいくらあっても足りません。


 すると、大人は口コミから探し始めます。

 人気があるやつをかいつまんでという要領です。

 すると、何が起こるでしょうか。大人は新しい何かを求めるとき、誰かの意見から探すようになるのです。

 子供のころなら、誰かの意見よりも全部とりあえずやってみて、自分で決めるという流れがありましたし、選ぶときはもっと適当に選んでいました。

 ゲームソフトを買うときに、どれが売れているかではなく、直観で選ぶのです。

 そして、選んだものを遊んでいるうちにそれを好きになっていきます。

 誰かの意見より自分の直観がすべてだったのです。


 子供は直感で選んでそれを好きになろうとして、大人は誰かの手垢がついたものを好きになろうとするのです。

 潔癖を求める子供とバツイチを求める大人というニュアンスになっていきます。


 食の好みというのは、子供のころに下地が形成されていきます。

 子供のころは何でも食べてみて自分で判断します。口コミの評価を見ながら決めたりはしません。

 特に私が子供のころはSNSがありませんでしたから、口に入れて初めてわかることばかりでした。

 まずいものを食べて吐き出したりしていくうちに物の分別がついていきました。

 大人になると、バツイチであることでしか新しいものに手を出せなくなります。

 バツイチの安心感と言いますか、大人は不安を感じやすいですから、不安が少ないことを好むのです。

 私も大博打で損をしたくありませんから、無難なものに逃げることが多いです。


 しかし、いずれはバツイチも頼れなくなります。

 行きつくところは、自分そのものです。過去の自分を信頼し、思い出の場所に帰っていきます。

 そうして、私は昔の作品を多く見るようになりました。

 バツイチでもなく博打でもなく、自分の積み上げを信頼して人生を歩むようになりました。


 問題は、それが良いことなのか悪いことなのかです。


 一般的には過去の思い出に立ち返ることは悪いことのようにとらえられます。

 過去に浸るより、新しいことをどんどん取り入れるべきと言われます。

 私はその意見にはいつも懐疑的な目を向けます。

 新しいことをやれというのは、要するに「僕の商品を買って」という営業目的の色仕掛けであり、誰かが宣伝しているものを買わされるものであり、悪い女に騙されるような感じがあります。

 一方で過去に立ち返ることは、まず安上りです。昔の作品は中古品で安く売っています。

 そして、自分の直感で育んできたものをさらに深めるという建設的なものがあります。


 私が思うに、直観で積み上げてきたものをもう一度振り返ることは、直観を定着や歴史の重みに置き換える作用があります。

 漠然としていたものが確実に定着します。

 そして、やるべきことが明確になってきます。

 やるべきこととは、ちゃんと自分の歩みを正しく認めてあげるということです。


 新しいものばかりに手を伸ばしていると、自分の歩みが自分でもよくわからないままになってしまうと思うのです。

 過去を振り返ること、歴史を振り返ることは、歩みをきちんと認めることだと思うのです。

 

 誰かが私を否定しても、自分だけはこう言いたいじゃないですか。

「私の歩みは間違いのないものだった。正しい人生を歩んだ」

 新しい作品より昔の作品が好きだと宣言することは「私の歩みは未来のあらゆる英雄や偉人に負けない」という勝利感に変わります。

 そんな勝利感は間違っているとおっしゃりますか?

 せめて自己評価の世界だけでも、勝利感が欲しいものです。私は社会的にはボロ負け連敗の人生を歩んだのですから。


 これからの人生は誰が何と言おうと、私は自分の過去の歩みを尊重しようと思います。

 時代錯誤と言われても私は次のように宣言します。


 今の週刊少年ジャンプより昔の週刊少年ジャンプのほうが良かった!


 そんなノリでこれからも未来をなぎ倒して行こうと思っているのですが、やはり自分はヤバイ人間なのでしょうか?

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