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27、人はいつか死ぬというヤバイワード

 人はいつか死ぬということは誰もが知っていることですが、当事者になることが決まっているというのは、冷静に考えるととてつもない恐怖のように感じてきます。

 生まれた瞬間に神様から「死刑」の求刑がなされるのです。

 日本の死刑制度同様に、いつ刑が執行されるかは明かされません。

 死刑囚として私たちは地球に生まれ、国に所属し、受刑者生活を営んでいくのです。

 冷静に考えるほどに、生まれるというのは恐ろしいことのように感じられてきます。


 とはいえ、生まれてしまったものは仕方がないのです。

 死刑が求刑されたとしても、死ぬまでの間、生きていくしかないのです。

 生きていれば、生きている間に何かがしたい。何かを残したいという願望が芽生えてきます。

 そのような願望に駆り立てられて、私たちは生きていくしかないのです。


 死刑はさまざまな執行方法があります。

 ある日突然の不慮の事故ということもあれば、戦争や事件に巻き込まれることもあります。

 飢餓や病のようにある程度の計算ができる中で死んでいくこともあり、先進国ではこちらのパターンが多いでしょうか。自殺も私は病の1つと考えています。

 

 皆様は、突然不慮の事故などで死ぬ場合と病などのある程度計算可能なもので死ぬ場合で、どちらの方を選びたいですか?

 これは究極の選択の1つだと思います。

 ある日突然準備なく死んでしまうのは辛いことですが、徐々に衰弱し、死に近づいて行く様を感じるのも辛いことです。

 どちらも相応に苦しいと言いましょうか、最悪のものから選ばされるという感じがしますね。


 ピンピンコロリという言葉があります。

 これはいわばある日突然の事故で死ぬというようなものを造語にしたものです。

 眠っている間に心臓が止まったというのは事故による死と似ています。

 ピンピンコロリが理想の死なら、不慮の事故死や戦争の死や事件に巻き込まれての死は、当事者にとっては理想の死ということになってしまいますね。

 いつか死ぬという中で、ピンピンコロリを実現できたのだから選べる中での最善の一手です。

 でも、どこか違う気がします。


 では、すべてやり遂げてからのピンピンコロリは理想なのでしょうか?

 子供が不慮の事故に巻き込まれて死ぬ場合はやるべきことをやり遂げる前に死ぬから不幸だけど、やり遂げた老人のピンピンコロリは理想ということになりますが……。

 私は人生にやり遂げるなんてないと思います。

 欲望がある限り、どこまでも際限なくいきます。やり遂げたと思ってもまだまだ次が出てきます。

 当事者においては子供でも年寄りでも同じなのです。

 そこで、私は次のように考えました。


 仲間の多さです。


 日本人はよく周りを見て空気に溶け込む民族性があると言われます。

 もし、周りの人がみな笑顔で高山から飛び降りていたら、みなが飛び降りているのだから自分も飛び降りるのが正しいと思えてきます。

 みなが病で死んでいくなら、自分も同じようになるなら受け入れられそうとなります。

 事故死者が山ほどいたら、それで亡くなっても「他にも大勢同じ人がいるから」と受け入れやすくなります。

 理想の死とは、つまり仲間の多さなのではないかと思ったのです。

 それは決して友達が多いというようなことではありません。

 赤の他人だったとしても、自分と同じような死を遂げようとしていれば、それは仲間です。

 それがSNS上の話でも、多少のフィクションが混ざっていても、仲間として認識できます。

 アニメのキャラクターという架空の設定でさえも、人は仲間意識を覚えることができます。


 つまり、理想の死に方を考えるとき、死に方の側だけで決まるのではなく、どれだけ仲間がいるかという側の影響もかなり大きなポイントになっているということです。

 死に向かうときに心にどれぐらい仲間を認識できるかが大事なのだと思います。

 自殺なら年間2万人、病死なら年間100万人という莫大な仲間たちがいて、同じように苦しみ死んでいくのです。

 これだけたくさんの仲間がいれば自分だって……と思うことができるのかもしれません。


 私は人づきあいが苦手ですが、人一倍仲間を欲しがるタイプです。

 一人では何もできません。

 電車にも乗れないのです。

 しかし、5人ぐらい自分と同じ境遇の人がいて、みなで一緒に乗ろうとなれば乗れる気がします。


 大事なことは友達ではなくて、他人であったとしても、自分と同じことをしようとしている仲間であるかどうかなのです。

 もし、お金持ちの友達がいても、あなたが貧乏なら仲間にはなれません。

 仲間とは類は友を呼ぶという通り、自分と酷似した立場でなければなりません。


 私は友達を欲することはありませんが、仲間はいつでもたくさん欲しています。

 偉人なんていらない。欲しいのは同じように苦しんでいる中で頑張ろうとしている仲間なのです。

 有名人なんかよりも仲間を重視しなければならないと感じました。


 仲間がいれば生きられるし、死ぬこともできる。人生の何事もこなせます。

 仲間と友達の微妙な境目を発見して、仲間を増やしていきたいと思います。

 すべては苦しい人生を生きるため、そしていつかやってくる死を迎えるためです。


 皆様も友達や恋人よりも「仲間」を探してみてはと底辺からアドバイスさせていただきます。

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