25、生きるってけっこう面倒くさい
最近はなんでもかんでも面倒くさいと言うようになりました。
旅行なんてお金を出して疲れに行くようなものだとか、景色なんて画像検索で画像を見れば十分だとか。
テレビをつけるのも面倒、本を開くのも面倒、外出も面倒。
どんどん自堕落になっていっております。
やる気が出ないのはドーパミンが出ないからなのでしょう。
私が子供のころなんかは、変なおじさんがキャンディー持ってやってきたら、子供たちが笑顔で群がっていました。
しかし今だったら、キャンディーだけではついていけません。100万円でも変なおじさんにはついていかないでしょう。
報酬と感じるためのハードルがどんどん上がって、よほどのことがないとやる気を出せなくなってしまったのです。
極端に言いますと、1億円もらえるでようやく重たい腰が上がるかどうかです。
チラシのクーポンで10%オフとかがあっても、行ってみようとはなりません。
私は対人関係が苦手なので、初めての場所で初めての人と話すなんてことは、半額でも難しいです。
そんな私は乗り物恐怖症なのです。
電車やバスでトラブルがあったらどうしようと思うと不安で乗れないというもので、精神科でちゃんと診断もついています。
降りる駅を間違えたら、料金の支払いでトラブルがあったらと思うと不安で不安で。そんな私は電子マネーも当然NGです。支払い時に故障とかあったらどうしようとなるタイプです。
現金でさえも、真ん中の折れ線が気になってしまいます。折れ線が何度もつくと破れてしまうんじゃないかと。
そうした不安障害もあって、とにかく何か行動を起こすのが苦手なのです。
報酬を感じにくくなる一方で、不安は増大し、そりゃあ、何でも面倒くさくなるのも無理はないですね。
そんな私はパソコン画面越しに何かをするのがささやかな趣味です。
エッセイや小説を書こうと思ったのもそういう背景があります。
人と関わるのが苦手でも、パソコン画面越しなら何とかなりそうと思ったのです。
インターネットを巡っていると、それほど暇を感じることはありません。ですが、ワクワクするということはなく、なんとなく虚しさを感じながら惰性でやってる感じです。
こうして色々考えると、生きるって面倒くさいと思います。
どうしてこんなに面倒くさいのだろう。
それでも死ねないのですが。
人生にこれだけ絶望していて、どうして人は死ぬことができないのでしょう。
おそらく、死ぬこともまた面倒くさいからなのだと思います。
自殺のために準備をするのが面倒ですし、準備ができても恐怖に立ち向かわなければならないのです。
それで死んだ後に、問題が解決する補償もありません。
死んだ後に必ず天国に行ける約束があればいいですが、何もありません。
良くなるかわからないもののために準備や恐怖に立ち向かうための勇気を持たなければならないのだとすると生きるも死ぬも面倒となってしまうのです。
生の側からは虚しさや不安や苦しみを押し付けられ、死の側からは恐怖や未知なる何かに阻まれてしまい、私はその間で苦しい顔をしてジッとしているしかないのです。
そんなこと、私は一度も望まなかったですが、現実そうなってしまいました。
望まないところに人は転がり落ちていくようにできているのかとさえ思います。
ふいに、そうか、それがやる気かと思いました。
辛くて苦しくてたまらないから必死にそこから逃げるのです。
人は居ても立ってもいられない境遇から逸脱するために行動を起こすのかもしれません。
飢餓から逃げるために食べ、性欲の飢餓から逃げるために異性を求め、辛く苦しい気分を脱するために眠ります。
苦しみから距離を取る際に、強い原動力が生まれるのかもしれません。
考えてみると、恥をかくのが嫌だから私は「乗り物に乗らない」という行動をかたくなに取っているわけですから。
人を突き動かすのはプラス側というよりマイナス側なのではないかと思いました。
高みに到達した人も、高みを目指したのではなく、低いところにいる自分が嫌だから高みを目指さざるを得なかったのかもしれません。
プラスの原動力なんてものは存在せず、マイナスからやってくる苦しみに対して反射的に行動することが、人間ないし生命の基本なのかもしれません。
ならば、私は辛い現実から逃げるために「生きるのは面倒くさい」をやっていることになります。
生きるのが本当に辛ければ、自殺もできるのではないかと思いました。
実際に自殺された方に言わせますと、私の苦しみなんてまだまだ序の口と言われそうです。
そんな私にとって、自殺された方はある意味先生です。彼らはみなすごくつらい中でぎりぎりまで生きて来られた人たちです。
かわいそうなんておこがましくて言えません。苦しみを耐え抜いて、生きれない苦しみに達して死なれたのですから、まさに地獄をくぐった猛者たちです。
自殺はダメという意見がありますが、誰だって自殺したくてしてないと私は考えています。
自殺はしたくないけどさせられているという視点を持っている人は少ないと感じます。
私だけは、自殺した人は世界最高の苦しみに耐えて耐えて耐え抜いた猛者と考え続けたいと思います。




