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我が国は、目に見えて豊かになっていった。
思い返せば、七年ほど前。貧富の差が激しく、王都ですら荒れて明るいうちでも女子どもが一人で歩けぬようであったのに、今はあの娘の文字通り身を犠牲にした作物栽培技術の確立により、安定的に新鮮な野菜が入手できるようになった。それに伴い、ひとびとの中に心の余裕というものも戻ってきた。一度貧しさを経験した者ばかりだ。衣食住が揃えば、無論もっと上の生活を求めるのは当然である。しかし、荒んだ国がどういうものなのかも、民は同時に知っている。豊かさは、奪い合いではなく助け合いの中に見出されるようになった。今のこの国は、理想的な国家である。そう表してよいだろう。
しかし、娘はその状況に満足することはなく、今度は花を育て始めた。色鮮やかな大輪の花、楚々とした野の花。暮らしの豊かさの次は心の豊かさだとばかり、休む間もなく打ちこんでいく。
娘はいまだ、この国に貢献する。
……それは、我の胸の内にある負い目というものを、なお重くしていく。
娘の貢献が心から望んで行っていることなのか、我には全くわからぬ。いや、そんなことはないであろう。つらいはずだ。悲しいはずだ。
しかし我にできることは、ただこの身の全ての力をもってしても、その行為を助力することだけなのだ。




