魔王の娘と、怠惰な勇者志望と、菌バカと八百屋それぞれの戦い
迷宮都市リグラード再生編 4話
リグラードの地上通りは、今日も「それなり」に人がいた。
その「それなり」という言葉が、ベックにはどうにも気に入らない。
「……ほら見な、アル」
通りの端。
《ローデン青物店》の看板の下で、ベックは腕を組んでいた。
店先には、山盛りのキャベツ。
土のついた人参。
丸々とした玉ねぎ。
少ししなびた芋。
品物は悪くない。
値段も高すぎない。
並べ方だって、長年商売をしてきた店らしく見やすい。
なのに。
客が止まらない。
一人。
二人。
三人。
店の前を通り過ぎ。
そのまま通りの中央へ向かう。
そこには、大きな石造りの階段口が開いていた。
地下迷宮へ続く入口。
その上の案内板には、でかでかと文字が書かれている。
《第一層 地下市》
《本日の名物 迷宮きのこ料理》
階段の前には、人の列。
ベックは鼻から息を吐いた。
「昔はな」
店先の人参を一本持ち上げ。
向きを直す。
「《迷宮帰りの英雄様ご用達》なんて看板を出してたんだ」
「格好いいですね」
「だろ?」
ほんの少しだけ、ベックの声が明るくなる。
「冒険者が迷宮から戻る」
「酒場へ行く」
「その前に、ここで芋や野菜を買う」
「宿の厨房も買っていく」
「それが普通だった」
その時。
若い冒険者たちが荷車を押してやってきた。
ベックの店をちらりと見る。
だが。
「地下で串焼き食おうぜ」
「今日、白マッシュの試食あるらしいぞ」
「急げ、売り切れる!」
そのまま階段へ消えた。
ベックの頬が引きつる。
「……今じゃ」
ぼそり。
「キノコ屋のついでに寄られる店だ」
一拍。
「寄られりゃ、まだマシだがな」
アルは困った顔で頭をかいた。
「ベックさんの店、僕の中では胃袋守護神なんですけどね」
「お前の中で神格化されても、銅貨は増えねえんだよ」
「ですよね」
「素直に認めるな。余計むかつく」
隣。
ライネルが木箱を持ち上げた。
重さを見る。
中の野菜を見る。
「この量」
ベックへ目を向ける。
「昔なら、いつ頃までに売れてた?」
「昼」
「今日は?」
「下手すりゃ夕方まで残る」
「腐るか?」
「夏ならな」
ライネルが眉を寄せる。
「なら、戦場の補給と同じだ」
「は?」
「物がある」
「必要な奴もいる」
「なのに届かない」
箱を下ろす。
「どこかで流れが詰まってる」
「八百屋を戦場扱いするな」
「食えなければ同じだ」
「お前、真面目な顔で怖いこと言うな」
◇
その少し後ろ。
ルク・アーベント――ルクシアは、何も言わず通りを見ていた。
店。
客。
階段。
案内板。
視線。
足の向き。
そして。
一度階段へ向かった者が、ほとんど横道へ逸れないこと。
(価格だけではない)
監査手帳を開く。
一行。
《客導線》
さらに。
《地下入口へ集中》
ルクは顔を上げた。
「価格の問題に見えますが」
ベックが振り向く。
「本質は、入口ですね」
「入口?」
「はい」
ルクは階段を指した。
「地下へ行く人の動きが、ここで完成してしまっています」
「完成?」
「お客は」
手帳の端へ簡単な線を引く。
《街道》
↓
《地下入口》
「こう動いています」
次に。
《地上商店街》
そこへ細い横線。
「地上の店は、この横道に置かれている」
ベックの顔が険しくなる。
「つまり何だ」
「地下へ行く前に地上を見るのではありません」
ルクは淡々と言った。
「地下へ行った後、余裕があれば地上へ寄る」
「……」
「今のローデン青物店は」
ベックを見る。
「《ついで》の位置です」
沈黙。
ベックが頭をぼりぼり掻いた。
「王都の嬢ちゃん」
「はい」
「言い方が痛え」
「すみません」
即答。
「ですが、正確です」
「正直者ってのは商売敵より刺さる時があるな」
アルが階段を見る。
「お腹空いてる人って、飯の匂いがする方へ行きますからね」
「お前が言うと全部計画的だったように聞こえる」
ライネルが言う。
「違いますよ!」
アルは慌てて手を振った。
「地上を困らせるつもりはなかったです」
「ですが」
セリアが手帳を開いた。
「結果として困っています」
「はい」
「なら直します」
「はい」
「そこだけは返事が早いですね」
「怒られる前に認めた方が楽だから」
「理由はいつも通りですね」
ベックは大きくため息をついた。
「直るなら、何でもいいさ」
その言葉を背に。
一行は地下へ降りた。
◇
第一層。
階段を降りた瞬間。
空気が変わった。
ひんやりした湿気。
魔導灯の柔らかな明かり。
焼けたバター。
香草。
スープ。
そして。
「迷宮マッシュのクリーム煮!」
「迷宮まいたけと地上野菜の串焼き!」
「白マッシュ試食あるよ!」
キノコ。
完全にキノコだった。
ベックの顔がさらに渋くなる。
「……そりゃ客も降りるわ」
リュシエルが、くん、と鼻を動かした。
「昔と全然違うわね」
「匂いですか?」
アルが聞く。
「うん」
リュシエルは辺りを見回した。
「昔は」
少しだけ目を細める。
「血」
「鉄」
「煙」
「怖がってる人間の匂い」
そして。
今。
串焼き屋台から立ち上る煙を見る。
「今は、腹が鳴る匂い」
アルが笑った。
「どっちが好き?」
「今」
即答。
「わたしは、こっちの方が好き」
◇
大鍋の前。
若いキノコ組合員が、汗を拭いながら声を上げていた。
「いらっしゃい!」
「あ、アルさん!」
「今日も試食ですか?」
「違います」
アルはルクを指す。
「監査です」
若者の顔が固まった。
「か、監査!?」
そしてルクを見る。
「俺たち、ちゃんとやってますよ!」
「毎日!」
「湿気とカビと戦って!」
ルクがすぐ監査手帳を開いた。
「その表現」
「はい?」
「《湿気とカビと戦っている》」
ペン先が止まる。
「具体的に、何時間ですか?」
「……え?」
「一日あたり」
「空調調整」
「排水点検」
「菌床確認」
「消毒」
「不良品除去」
「それぞれ、作業時間は?」
若者が固まる。
「えーっと」
指を折る。
「空調が……四回?」
「回数ではなく時間で」
「時間」
「はい」
「一回……十分?」
「担当人数は?」
「二人?」
「毎日?」
「毎日」
ルクのペンが動く。
そこへ。
「待ちたまえ!」
声。
白衣。
ゴーグル。
紙束。
そして。
妙に嬉しそうな顔。
ハルド・メイスンが現れた。
「若者を尋問するなら、まず私の記録を見るべきだ!」
「尋問ではありません」
「同じようなものだ!」
「違います」
「ともかく!」
ばん。
長い紙を広げる。
「これが空調魔法稼働時間と菌糸伸長率!」
「こっちが湿度変化とカビ発生数!」
「こちらが菌床交換周期!」
「さらに――」
アルが紙を押さえた。
「先生」
「何だ」
「一文で」
「無理だ!」
「お願いします」
「菌類の偉大さを一文で語るなど!」
胸を押さえる。
「王国史を一粒の麦へ閉じ込めるようなものだぞ!」
「その比喩がもう長いです」
「なら三文!」
「一文」
「二文!」
「一文」
ハルドは苦悶した。
本当に苦しそうだった。
しばらくして。
「……我々は」
「はい」
「湿気を味方にし」
「はい」
「カビを敵にし」
「はい」
「菌を育てている」
アルが拍手した。
「できました!」
「私は今、研究者として何か大切なものを失った気がする」
ライネルがぼそり。
「俺にはまだよく分からん」
◇
アルはルクを見る。
「つまりですね」
「はい」
「キノコ組合は」
ハルドを見る。
「かなり手間をかけてる」
「それは分かります」
「だから高く売りたい」
「当然でしょう」
キノコ組合員が勢いよく頷く。
「そうなんですよ!」
「こっちは地下まで降りて、毎日管理してんだ!」
「安くしろって言われても困る!」
ベックも黙っていない。
「こっちだって困ってる!」
「客ごと地下に取られてんだぞ!」
「俺らのせいじゃねえ!」
「お前らの屋台のせいだろ!」
「売れるから売ってんだ!」
一気に空気が荒れる。
ライネルが半歩前へ出る。
だが。
アルは動かなかった。
ルクも。
騒いでいる人間ではなく。
大鍋。
棚。
木箱。
階段。
そしてベックの店の方向を見る。
(どちらも間違っていない)
キノコ側。
労力。
栽培リスク。
品質。
地上側。
販売経験。
既存客。
街路。
店。
(同じ客を)
手帳へ書く。
《同じ商品》
《同じ客》
《同じ場所で競合》
ルクが顔を上げた。
「今のままだと」
声は大きくない。
それでも全員が止まった。
「地上側も」
「地下側も」
「自分だけが損をしていると感じ続けます」
ベックが腕を組む。
「実際、損してる」
「地下側も同じ認識です」
「じゃあどうする」
ルクは少し考える。
「少なくとも」
一拍。
「同じ客を奪い合っている状態は、長続きしません」
そこで。
アルの目が少し変わった。
「同じ客」
「はい」
「なら」
アルは大鍋を見る。
キノコを見る。
次にベックを見る。
「取り合わなければいいんですよね」
ルクが眉をわずかに動かす。
「どういう意味です?」
「育てる人と」
ハルドを指す。
「売る人を」
ベックを指す。
「分ける」
少し沈黙。
ルクの瞳が細くなる。
「……卸売ですか」
「たぶん、それ」
「たぶんで制度を作らないでください」
「名前知らなかっただけです」
◇
アルはしゃがみ。
木片を拾った。
炭で二つの箱を書く。
《地下》
《地上》
「地下」
ハルドたちを見る。
「育てる」
「品質を揃える」
「料理して食べてもらう」
次。
「地上」
ベックを見る。
「生のキノコを売る」
「家庭向け」
「宿」
「料理屋」
「贈答用」
ベックが木片を見る。
「地下で生キノコを売らない?」
「完全に禁止はしません」
「試食とか」
「今日食べる分とか」
「規格外の加工品とか」
アルは言う。
「でも」
「持ち帰り用を大量に売るなら」
「地上のお店に卸した方がいい」
「俺らが仕入れるのか」
「はい」
「俺だけ?」
「いえ」
アルは首を横へ振る。
「仕入れたい地上商人なら、条件を満たせば誰でも」
ルクが即座に頷く。
「その方がいいです」
ベックが眉をひそめる。
「俺の店を助ける話じゃねえのか?」
「助けますよ」
アルは笑う。
「でも、ベックさんだけに販売権を渡したら」
「今度はベックさんが新しい問題になります」
「……」
ベックはしばらく黙り。
「言うようになったな、坊主」
「褒めてます?」
「半分な」
「最近それ流行ってる?」
ルクが小さく咳払いする。
◇
ルクが木片の横へしゃがむ。
「整理します」
書く。
《地下》
生産。
品質管理。
調理済み販売。
試食。
加工。
《地上》
生鮮小売。
家庭向け。
宿・料理店への販売。
贈答品。
王都出荷窓口。
「地下で育てる」
「地上で流す」
ルクが言う。
「責任も分けられます」
セリアのペンが走る。
「製造責任」
「販売責任」
「出荷責任」
「はい」
ルクが頷く。
「何か起きた時」
「誰がどこまで担当したか分かる」
ライネルが木片を見る。
「補給部隊と前線部隊を分けるようなものか」
「また戦場」
アルが言う。
「でも分かりやすい」
リュシエルも頷く。
「昔の軍でも」
「武器を作るやつ」
「運ぶやつ」
「振るやつ」
「全部一人にやらせる軍から先に潰れてたわ」
「物騒ですが」
ルクが言う。
「理屈は合っています」
◇
ハルドが腕を組んだ。
「つまり」
「我々は育てることに集中できる?」
「はい」
「客に」
嫌そうな顔。
「『これどう料理するんですか』と毎回聞かれなくて済む?」
ベックが怒る。
「客を面倒扱いするな!」
「私は菌を見るために生きている!」
「俺は人に売るために商売してんだ!」
二人。
一瞬。
止まる。
アルが笑った。
「ほら」
「何だ」
「何だ」
「ちょうどいいでしょう?」
ベックとハルドが顔を見合わせる。
「……」
「……」
ハルドが言う。
「人間相手は任せる」
「菌相手は任せた」
「成立しましたね」
「勝手にまとめるな」
ベックは言ったが。
口元は少しだけ緩んでいた。
◇
ただ。
地上通りには、もう一つ問題が残っていた。
「売るものができても」
ベックが言う。
「客が店の前を通らねえぞ」
全員が黙る。
ルクが地上で書いた。
《客導線》
アルが思い出す。
「ですね」
「地下へ直行します」
「はい」
セリアが地図を広げる。
「入口そのものを動かすのは大工事です」
「やめよう」
アルが即答。
「早いですね」
「大工事は疲れる」
「そこですか」
「でも」
地図を見る。
「入口までの道なら変えられる」
「どうやって?」
ライネルが聞く。
アルは考える。
そして。
「匂い?」
一同。
「匂い?」
「はい」
アルは地上を見る。
「地下へ行く人、キノコの匂いに引っ張られてますよね」
「そうですね」
ルクが答える。
「じゃあ」
アルの指が地上商店街をなぞる。
「地上でもキノコを焼きましょう」
ベックが顔をしかめる。
「俺が?」
「試食だけ」
「店頭で」
「地下産のキノコを」
「地上野菜と一緒に」
ベックの顔が変わる。
「……人参と?」
「玉ねぎも」
「芋も?」
「絶対合う」
「お前、腹減ってるだけじゃねえか?」
「それもあります」
ルクは地図を見る。
(入口を動かさず)
(入口へ向かう前に、立ち止まる理由を置く)
手帳へ書く。
《地上試食》
《案内板》
《地下市への導線途中に地上商品》
「案内板も変えましょう」
ルクが言う。
「《地下市はこちら》だけではなく」
「《迷宮きのこ販売店はこちら》」
「《家庭用は地上》」
「《調理済みは地下》」
「選ぶ前に」
一度止まる。
「違いを見せます」
セリアが頷いた。
「第一原則ですね」
「何です?」
ルクが聞く。
アルが答える。
「見えることは怠けない」
「……また妙な言い方ですね」
「いいでしょう?」
「意味は理解できます」
「半分褒めた?」
「違います」
◇
その日の午後。
ギルド会議室。
仮協定が作られた。
《リグラード迷宮きのこ仮協定》
一。
第三層キノコ組合は、栽培および一次品質管理を担当する。
二。
地下市では、調理済み商品、試食、加工品、当日消費向け商品を扱う。
三。
持ち帰り用生鮮品は、登録した地上青果商、宿、料理店へ卸売できる。
四。
卸売参加店は、同一の衛生表示基準を守る。
五。
全出荷品へ、
《採取日》
《栽培区画番号》
《産地印》
を付す。
六。
客向け表示は、
《おすすめ料理》
《保存日数》
《産地印》
の三項目を基本とする。
七。
製造責任、販売責任、出荷責任を分けて記録する。
八。
白黒板へ、苦情および改善内容を掲示する。
九。
試験期間は一ヶ月。
終了時に売上、廃棄量、苦情、地上客数を再確認する。
ベックは協定書を読み。
ゆっくり息を吐いた。
「……これなら」
「はい?」
「うちも戦える」
アルが笑う。
「戦わなくていいように作ったんですけど」
「商売は戦いだ」
「ライネルと話が合いそう」
「巻き込むな」
◇
ハルドは別の紙を見ていた。
《栽培区画番号》
「番号」
ぶつぶつ。
「菌床にも番号」
「収穫箱にも番号」
「出荷先にも……」
目が輝く。
「追跡できる!」
ルクが頷く。
「問題が出た場合」
「どの区画か」
「いつ収穫したか」
「どこへ出荷したか」
「分かります」
「素晴らしい!」
ハルドがルクの手を握ろうとする。
ルクが半歩下がった。
見事に避けた。
「接触は不要です」
「菌の感動を共有したかっただけだ!」
「不要です」
ライネルが小さく言う。
「初対面で抱きつくな」
「研究者の情熱だ!」
「相手の同意を取れ」
◇
ベックは店用の札を試作していた。
《迷宮きのこ》
《おすすめ:バター焼き》
《保存:三日》
《第三層産》
「情報多くねえか?」
ベックが言う。
「客は買い物しながら論文読まねえぞ」
ルクが札を見る。
「そうですね」
ハルドが驚く。
「減らすのか?」
「情報は」
ルクが言う。
「多ければ良いわけではありません」
ペンで丸をつける。
《おすすめ料理》
《保存日数》
《産地印》
「この三つで十分です」
セリアが顔を上げる。
「理由は?」
「客が知りたい順です」
「どう食べる」
「いつまで食べられる」
「どこの物か」
一拍。
「情報は見せることより」
ルクは札をベックへ戻した。
「迷わせないことの方が重要です」
セリアのペンが止まる。
「……いい言葉ですね」
「ありがとうございます」
「記録します」
「どうぞ」
アルが横から覗く。
「僕も使っていい?」
「出典を明記してください」
「厳しい」
◇
アルは協定書の最後へ手を伸ばした。
丸。
を書こうとする。
セリアが手首を押さえた。
「兄さま」
「何?」
「署名」
「これが僕の印で」
「駄目です」
「でも」
「駄目です」
ルクも横から言う。
「本人確認のできない記号は、後日揉めます」
「ルクさんまで」
「監査官ですので」
「二対一」
「ライネルも呼びます?」
「名前を書きます」
アルは諦めた。
へろ。
へろへろ。
へろ。
《アルノルト・レーヴェルト》
ルクの眉が。
ほんの少しだけ動いた。
「……」
「何?」
「いえ」
「言ってください」
「文字は」
一拍。
「今後の改善対象ですね」
「容赦ない」
セリアは満足そうだった。
「完全に同意します」
◇
その時。
階段から激しい足音。
「ギルド長!」
若い職員が飛び込んできた。
「王都ギルドから急使です!」
部屋の空気が変わる。
フォルクが立ち上がる。
「寄越せ」
封。
王都ギルドの印。
羊皮紙。
開く。
読む。
白い眉が寄った。
「……なるほどな」
「何て?」
ベックが聞く。
フォルクが読み上げる。
《リグラード大迷宮内で生産された食品について》
《王都ギルド認定流通網への新規出荷認定を、当面保留とする》
ハルドが立ち上がった。
「何だと!」
「先生、最後まで」
セリアが止める。
フォルクが続けた。
《理由》
《衛生管理基準未統一》
《生産責任および販売責任区分未確定》
《事故発生時の商品追跡制度未整備》
《広域流通時における回収手順未提出》
沈黙。
そして。
全員。
ゆっくり。
今日作った協定書を見る。
ライネルが言った。
「……ほとんど今決めた内容じゃないか」
「はい」
セリアの顔も硬い。
「ですが」
通達を見る。
「王都側の指摘は妥当です」
「妥当!?」
ハルドが叫ぶ。
「菌類の未来を止めておいてか!」
「リグラード内で売ることは禁止されていません」
ルクが通達を取った。
「止まったのは」
読む。
「王都ギルド認定の広域流通網への出荷です」
ベックが腕を組む。
「王都に売れねえ」
「正式には」
ルクが答える。
「王都側が安全を保証した商品としては、まだ売れない」
「同じようなもんだ」
「違います」
ルクは即答した。
「ここは重要です」
通達を机へ置く。
「地下市は営業できる」
「地上でも売れる」
「近隣地域にも、通常の商取引としては出せる可能性があります」
「ただし」
「王都公認の流通網へ載せられない」
アルが少し考える。
「つまり」
「はい?」
「道が閉じたんじゃなくて」
一拍。
「関所で止められた?」
ルクの口元が、ほんの少し動く。
「かなり正確です」
ハルドが机を叩いた。
「なら開けよう!」
「先生は菌を育てていてください」
「なぜだ!」
ベックが言う。
「お前が王都へ行くと話がこじれる」
「失礼な!」
「市場三ヶ所出禁だろ!」
「研究のためだ!」
「それを言ってる!」
◇
ルクは通達を読み直した。
文字。
根拠規則。
提出期限。
必要資料。
そして。
静かに言った。
「……来ましたね」
アルが横から覗く。
「本番?」
「はい」
ルクは監査手帳を開いた。
「今日までの問題は」
ベック。
ハルド。
キノコ組合。
地下市。
地上。
「リグラードの中で調整できました」
そして。
王都の通達。
「ここからは違います」
「違う?」
「リグラードで生まれた仕組みが」
一拍。
「外の制度と接続できるか」
深い葡萄色の瞳が、アルを見る。
「その試験です」
アルは通達を見る。
協定を見る。
白黒板を見る。
そして。
いつものように、少しだけ笑った。
「じゃあ」
「はい」
「必要なものを揃えればいいんですよね」
「簡単に言いますね」
「難しく言っても必要なものは減らないから」
ルクが止まった。
ほんの一瞬だけ。
そして。
「……そうですね」
答えた。
◇
地下市には。
今日も客の声が響いていた。
キノコの匂い。
鍋の湯気。
商人の怒声。
研究者の叫び。
監査官の質問。
怠け者の思いつき。
それぞれが。
自分の守りたいものを持っている。
ベックは。
店を守りたい。
ハルドは。
研究を守りたい。
キノコ組合は。
自分たちの仕事の価値を守りたい。
セリアは。
制度を残したい。
ライネルは。
誰も潰れない形へしたい。
リュシエルは。
戦場だった場所から飯の匂いが消えない方がいいと思っている。
ルクは。
この仕組みが外へ出ても壊れないのか、確かめたい。
そしてアルは。
「これ終わったら昼寝できます?」
ライネルが即答した。
「できない」
「どうして」
「王都向け提出書類がある」
「セリア?」
「あります」
「ルクさん?」
「監査資料もあります」
「……」
アルが遠い目をした。
ベックが初めて声を上げて笑った。
「お前が一番負けてんじゃねえか!」
「僕の戦いだけ終わる気配がない!」
地下市に笑い声が広がった。
だが。
机の上。
王都から届いた一枚の通達は。
静かに。
次の戦いの始まりを告げていた。
八百屋。
菌バカ。
魔王の娘。
そして。
努力しない勇者志望。
それぞれの戦いは。
ようやく。
リグラードの外へ出ようとしていた。




