↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/21

魔王の娘と怠惰な勇者志望、そして王都ブランドの罠

迷宮都市リグラード再生編 完結編

 ギルド会議室の空気は、いつもより少しだけ固かった。

 長机の中央。

 王都から届いたばかりの封書が、一通。

 濃紺の封蝋には、王都ギルド本部の紋章が押されている。

 受付嬢のミレイナが、緊張した顔でそれを運び込んだ。

「王都本部からです」

「……来たか」

 ギルド長フォルクが低く呟く。

 少し前。

 リグラードでは、地下迷宮で栽培したキノコについて、新しい流通制度をまとめたばかりだった。

 地下では栽培。

 地上では小売。

 生産区画。

 採取日。

 産地印。

 問題が起きた場合の追跡記録。

 そして。

 次の目標が、王都への正式出荷だった。

「ルクさん」

 アルが封書を見る。

「お願いします」

「はい」

 ルク・アーベント。

 表向きは王都ギルド監査局から派遣された監査官。

 その正体は。

 魔王ノクト・ヴァルグレイスの娘。

 ルクシア・ノクト=ヴァルグレイス。

 彼女は席を立った。

 封蝋を確認。

 紋章。

 署名。

 配送番号。

 そこまで見てから。

 封を切る。

「王都ギルド本部より」

 静かな声だった。

「件名」

 一拍。

「《リグラード産菌類のブランド登録について》」

 ハルド・メイスンの背筋が伸びた。

「菌類ブランド!」

「先生、まだ喜ばないでください」

 セリアが止める。

「最後まで読みましょう」

「む」

 ルクは続けた。

「第一」

「リグラード産菌類について、《王都公認高級食材》としてのブランド登録を認める用意がある」

「おお!」

 ハルドの拳が上がる。

「用意、です」

 ルクが訂正する。

「まだ認定ではありません」

「むむ」

「第二」

 紙をめくる。

「王都向け出荷については、原則として王都商会連合の指定流通網を利用すること」

 ベックの眉間に皺が寄る。

「第三」

「衛生管理について、一般食品基準ではなく、《貴族食卓向け食品基準》を適用すること」

 フォルクが腕を組む。

「第四」

「ブランド名および認証印の使用に伴い、販売額の一定割合を管理手数料として王都商会連合へ納めること」

 読み終えた。

 静寂。

 そして。

「……はぁ?」

 ベックだった。

 太い指で机を叩く。

「要するに」

 ばん。

「《ブランドにしてやるから、王都の商人を通せ》」

 ばん。

「《名前を使わせてやるから金を払え》」

 ばん。

「そういう話じゃねえか!」

「大体合っています」

 ルクが答えた。

「大体じゃなく全部だろ!」

 キノコ組合側もざわつく。

 ハルドが立ち上がった。

「待ちたまえ!」

 白衣を翻す。

「リグラード第三層」

「一定の温度!」

「一定の湿度!」

「選抜した菌床!」

「日々の空調管理!」

「我々が汗と菌糸と情熱を――」

「先生」

 アルが手を上げた。

「一文で」

 ハルドの顔が歪む。

「またか!」

「お願いします」

「……」

 苦悩。

 そして。

「我々のキノコを、王都の手柄にするな!」

「分かりやすい」

 アルが頷いた。

     ◇

 アルは王都からの書簡を覗いた。

「ルクさん」

「はい」

「これを飲んだら」

 一行を指す。

「リグラードで育てたのに」

 次。

「リグラードの人が売る相手を決められなくなる?」

「かなり近いです」

 ルクは書簡を机へ置いた。

「正確には」

 ペンを取る。

《生産》

 リグラード。

《出荷窓口》

 王都商会連合。

《価格交渉》

 王都商会連合優位。

《ブランド管理》

 王都。

「こうなります」

 ベックが鼻を鳴らした。

「育てるのはこっち」

「売る権利は向こう」

「美味いところだけ王都じゃねえか」

「ただし」

 ルクがすぐに続ける。

「悪いことだけではありません」

 ベックが見る。

「王都商会の流通網は強い」

「大都市」

「貴族邸」

「高級料理店」

「遠方の商会」

「そこへ一気に商品を届けられます」

 ミレイナが遠慮がちに聞く。

「つまり」

「王都公認になれば、売りやすくなる?」

「はい」

「価格も?」

「上げられる可能性があります」

「なら、悪い話じゃ――」

「問題は」

 ルクの声が少し低くなる。

「一度、出口を一ヶ所へ預けると」

 全員を見る。

「その出口を閉じられた時、こちらが何もできなくなることです」

 会議室が静かになった。

「価格を下げろ」

「従わなければ買わない」

「手数料を増やす」

「嫌なら王都公認を外す」

 書簡を指で叩く。

「そう言われた時の交渉手段が、ほとんどありません」

 フォルクが白い眉を寄せた。

「……リグラードの喉を、王都の商人に握られるか」

「はい」

 さらに。

「ここは魔域に近い」

 ルクは地図へ視線を向ける。

「戦時には、食料も物流も戦略資源になります」

 その言葉に。

 ライネルの表情が変わる。

「一つの商会網に集中するのは危険だな」

「同意します」

 ルクが答える。

 魔王の娘としても。

 監査官としても。

 その点だけは、完全に同じ結論だった。

     ◇

「じゃあ」

 ベックが腕を組む。

「蹴るか」

「待ってください」

 アルが言った。

「何だよ」

「全部捨てるのも、もったいないです」

「王都の味方するのか?」

「違います」

 アルは首を横へ振る。

「《王都公認》って看板は強いんでしょう?」

「強いです」

 ルクが答える。

「なら」

 アルは言った。

「看板だけ借りる方法を考えません?」

 ルクがアルを見る。

「そんな都合のいい方法があれば苦労しません」

「だから今から考えるんですよ」

「……」

 その答えに。

 ルクは小さく息を吐いた。

「では」

 監査手帳を開く。

「条件を分解しましょう」

     ◇

 改めて。

 総合会議。

 出席者。

 ギルド長フォルク。

 地上商人代表ベック。

 微生物学者ハルド。

 キノコ組合代表。

 セリア。

 ライネル。

 リュシエル。

 ルク。

 そして。

 怠けたいのに、なぜか会議の中心へ座らされているアル。

「まず」

 ルクが板へ書いた。

《問題》

 一、地上と地下の負担差。

 二、衛生設備費。

 三、王都流通網への依存。

 四、ブランド使用料。

 五、王都向け出荷拡大による過労。

 アルが最後を見る。

「五番、大事ですね」

 ベックが呆れる。

「そこかよ」

「売れすぎて忙しくなったら嫌でしょう?」

「売れねえよりマシだ」

「最初はみんなそう言うんですよ」

 アルは真面目な顔になる。

「でも」

「売れる」

「増産する」

「もっと売れる」

「もっと増産する」

「休めなくなる」

 ハルドを見る。

「先生とか絶対やりますよ」

「当然だ!」

「ほら」

「何がだ!」

 ライネルが額を押さえる。

     ◇

「まず税負担」

 アルは紙へ二本の線を引く。

「地上と地下で基本税率が違うのは、火種ですよね」

「はい」

 セリアが頷く。

「基本部分は統一した方が比較しやすいです」

「なら統一」

 ベックが言う。

「地下は場所代が安いだろ」

「そこは」

 アルが答える。

「税とは別にします」

「別?」

「地下は共用設備を使いますよね」

 空調。

 照明。

 排水。

 通路。

 警備。

「その維持費を」

 板へ。

《共同設備維持負担》

「別に取る」

 ルクが頷いた。

「税と設備負担を混ぜない」

「その方が」

「何に金を使っているのか見えます」

「ですよね」

 アルは続ける。

「あと」

「店を休んだ日まで」

「営業日と同じ固定負担を取るのはやめません?」

 ベックが目を瞬く。

「どういう意味だ?」

「今まで」

 セリアが説明する。

「営業場所の固定負担は、店を閉めても発生しています」

「だから休むと損」

 アルが言った。

「なら」

「公認休業日は、その日の固定営業負担を軽くする」

 ベックが顔を上げる。

「休んでも」

「はい」

「店賃みたいな負担が全部乗らない?」

「全部免除は難しいです」

 ルクが入る。

「維持費は営業の有無に関係なく発生します」

「じゃあ半分?」

 アル。

「割合は後で計算します」

 ルク。

「でも」

 アルは笑った。

「《休むと損するから休めない》を減らしたい」

 ルクは少しだけ考え。

「それなら理解できます」

     ◇

「では」

 ルクが言う。

「次の問題です」

「休業を認めるのであれば」

「非常時は?」

 アルが首を傾げる。

「非常時?」

「火災」

「水害」

「迷宮事故」

「魔物の侵入」

「避難民の受け入れ」

「戦時」

「その日に」

 ルクの目が鋭くなる。

「《今日は公認休業日なので働きません》で済ませますか」

「……困りますね」

「でしょう」

 ルクは即答する。

「なので」

 アルが少し考えた。

「《非常時総出日》」

 ルクの眉が動く。

「名前はともかく」

「却下?」

「内容を先に」

「非常事態の時だけ」

「店も」

「ギルドも」

「地下市も」

「役割を持つ人は出る」

「その代わり」

 アルは言う。

「《何でも非常時にする》は禁止」

 ルクの目が変わった。

「そこです」

 セリアもすぐ手帳を開く。

「発動条件を限定しましょう」

 書く。

《非常時総出日・発動条件》

 一、大規模火災。

 二、洪水・地震等の災害。

 三、迷宮内重大事故。

 四、魔物または敵対勢力の大規模侵入。

 五、大規模食中毒等の公衆衛生上の危機。

 六、戦時避難命令発令時。

「誰が宣言します?」

 セリア。

「ギルド長単独では危険です」

 ルク。

 フォルクが苦笑する。

「信用がないのう」

「人を信用しないから制度にします」

 アルがさらりと言う。

 フォルクは少し笑った。

「お前さん、本当に十五か」

「もうすぐ十六です」

「そこはもういい」

 ルクが続ける。

「ギルド長」

「街側代表」

「商人側代表」

「三者のうち二者以上の承認」

「緊急時は?」

 ライネルが聞く。

「火事の最中に会議してたら燃えるぞ」

 アルが頷く。

「緊急時は一人で宣言していい」

「ただし」

 セリアが続ける。

「事後に」

《発動理由》

《発動時刻》

《解除時刻》

《実施内容》

 を白黒板へ公開。

 ルクが頷いた。

「妥当です」

「非常事態を口実に」

 視線が鋭くなる。

「休む権利を恒常的に奪えないようにする」

 アルがにっこり笑う。

「そこ大事です」

     ◇

 リュシエルが椅子の背へ腕をかけた。

「人間って大変ね」

「何が?」

 アルが聞く。

「休むための規則を作って」

「その規則を守るために」

「非常時に働く規則まで作る」

「そういう生き物なんですよ」

「竜なら?」

「眠い日は寝る」

「敵が来たら?」

「殴る」

「簡単だ」

 ライネルが呟く。

「だから制度作りには向かないんだよ」

「聞こえてるわよ」

     ◇

「次」

 ルクが紙をめくる。

「衛生基準」

 ハルドが身を乗り出す。

「ここは私の領域だ!」

「だから余計に危険です」

「なぜだ!」

「細かすぎるからです」

「何だと!」

「あなたの基準を、そのまま全店舗へ要求したら」

 ルクは言う。

「半分が書類だけで潰れます」

 ハルドが固まる。

「……そこまで?」

「十九種類の独自記号を使う人に言われたくないと思います」

「ぐっ」

「そこで」

 ルクが新しい図を出す。

《共同洗浄設備》

「調理器具」

「運搬容器」

「一部の菌床器具」

「共通設備で洗浄」

「衛生基準はそこで一本化」

 フォルクが頷く。

「一店ずつ設備を作るより安いか」

「はい」

 アルが笑う。

「真面目な共同サボり場」

「その名称は却下です」

「即答」

「効率化です」

「みんなで楽をするための効率化」

「前半を取ってください」

 セリアが淡々と記録した。

《共同洗浄設備》

《正式名称未定》

《兄さま案名称:真面目な共同サボり場》

《不採用》

「残すんだ」

「記録です」

     ◇

「ただし」

 ルクが言った。

 セリアが顔を上げる。

「共同設備を一ヶ所へ集約すると」

「はい」

「そこが壊れた場合」

 ルクのペンが止まる。

「全店舗が止まります」

 セリアも止まった。

「……確かに」

「つまり」

 アルが言う。

「一ヶ所にまとめて楽になった代わりに」

「一ヶ所壊れると全員困る?」

「はい」

「じゃあ」

 アルはあっさり言った。

「小さい予備を一個残しましょう」

「規模は?」

「通常の二割?」

「三割」

 ライネルが言う。

「非常時は時間がかかる。余裕を見ろ」

「三割」

 セリアが記録。

 ルクはライネルを見る。

「現場側の意見として妥当です」

「どうも」

 アルが三人を見る。

「僕、いなくても会議進みそうですね」

「逃げないでください」

 三人の声が揃った。

     ◇

 最後。

 王都ブランド。

 再び空気が重くなる。

 ルクは王都からの書簡を前へ置いた。

「結論を申し上げます」

 皆が見る。

「この条件では」

 一拍。

「現地監査官として、承認を推奨できません」

 ベックが眉を上げる。

「却下できるのか?」

「できません」

 即答。

「私に、王都商会連合との最終契約を破棄する権限はありません」

「じゃあどうする」

「差し戻します」

「差し戻す?」

「はい」

 ルクは新しい紙へ書く。

《監査上の重大懸念》

 一、単一商流への依存。

 二、地域側交渉権の喪失。

 三、前線地域における物資調達リスク。

 四、生産側利益率の不透明化。

 五、王都商会連合による事実上の独占可能性。

「この意見を添え」

「対案を付けて」

「王都へ返します」

 フォルクが聞く。

「その対案とは?」

 ルクは紙を出した。

《リグラード輸出協同組合》

 室内が静かになる。

「地上商人」

「キノコ生産組合」

「ギルド」

「三者で輸出窓口を作る」

「王都側から見れば」

「リグラードという一つの窓口と取引する」

「ですが」

 指を置く。

「中の主導権はこちらに残す」

 ハルドが言う。

「つまり」

「王都商会ではなく」

「我々自身が出口になる?」

「はい」

 ベックの顔に笑みが浮かぶ。

「それなら」

「誰に売るか」

「いくらで売るか」

「こっちで交渉できる」

「できます」

「王都商会も?」

「買い手の一つです」

 アルの目が光った。

「一つ?」

「はい」

「他の買い手も作れる?」

「当然です」

 アルが嬉しそうに言う。

「それいい」

「何がです?」

「一人に頼ると」

「その人に嫌われたら終わります」

「五人に売れれば」

「一人に嫌われても四人残る」

 ルクが頷く。

「理屈としては」

「非常に単純です」

「単純なのが好きです」

「知っています」

     ◇

 セリアが協同組合案を整理した。

《販売先》

 王都商会連合。

 王都料理店。

 宿泊業者。

 地方商会。

 貴族邸。

 他都市市場。

「増やしすぎても管理が大変です」

 セリアが言う。

「初期は三経路程度で試験運用ですね」

「賛成です」

 ルク。

「一ヶ所依存を避けつつ」

「事務量も増やしすぎない」

 アルは頷いた。

「サボれる範囲で」

「適正な事務量で」

 ルクが即座に修正した。

「同じでしょう?」

「違います」

     ◇

「それで」

 フォルクがアルを見る。

「お前さん」

「何かまだある顔じゃな」

「あります」

「やっぱりか」

 アルは紙の最後を指した。

「輸出が成功した後の話」

「まだ始まってもいないぞ」

「始まる前に決めたいんです」

 アルは言った。

「売れるようになる」

「注文が増える」

「増産する」

「もっと働く」

「もっと増産する」

「人が疲れる」

 リュシエルが鼻を動かす。

「疲れた人の匂いは嫌い」

「でしょう?」

「だから」

 アルは言った。

「《公認休業日》を最初から作りましょう」

 ベックが笑う。

「また休む話か」

「大事ですよ」

「具体的には?」

 ルクが聞く。

「組合員は」

 アルが考える。

「年に一定日数」

「輸出業務を止めても」

「そのことを理由に不利益を受けない」

 ルクのペンが動く。

「生産停止では?」

「キノコは待ってくれません」

 ハルドが真顔で言う。

「では」

 セリアが整理する。

「出荷調整日」

「販売休業日」

「担当交代日」

「そういう形ですね」

「うん」

 アルは頷く。

「全員が同時に休む必要はない」

「でも」

「誰か一人がずっと働き続けないようにする」

 ルクがしばらくアルを見た。

「……そこまで」

「はい?」

「成功した後の過労を」

「今考える必要がありますか」

「今決めないと」

 アルは言う。

「成功した後は忙しくて決められません」

 沈黙。

 ハルドが腕を組む。

 ベックも黙る。

 フォルクが小さく笑う。

 ルクは。

 ゆっくり息を吐いた。

「怠惰を制度に入れるという表現は」

「はい」

「今でも嫌いです」

「はい」

「ですが」

 ペンを走らせる。

《第十三条》

《組合員について、継続的な過重勤務を防ぐため、公認休業日および担当交代日を設ける》

 一度止まり。

《公認休業を理由として、組合加入資格および取引順位上の不利益を与えてはならない》

「こうでしょう」

 アルが目を輝かせる。

「すごくちゃんとしてる」

「規約ですので」

「僕が言ったのと同じなのに」

「違います」

     ◇

 リュシエルが笑った。

「要するに」

「休みの日を守るために」

「みんな必死に規約書いてるのね」

 ライネルが答える。

「言うな」

「変なの」

「人間だからな」

「でも」

 リュシエルは地下の方を見る。

 遠くから。

 夕食時の匂いが流れてきている。

「悪くないわ」

「何が?」

 アル。

「昔は」

 リュシエルが言う。

「あの迷宮から」

「血と煙の匂いがした」

 そして。

 今。

「キノコ」

「パン」

「酒」

「人間の汗」

 少し笑う。

「わたしは、今の方が好きよ」

 ハルドが胸を張る。

「ついに菌類が平和の象徴へ!」

「そこまでは誰も言ってない」

 ライネルが即座に止めた。

     ◇

 その日の夕方。

 地下市入口。

 白黒板へ、新しい紙が貼られた。

《リグラード輸出協同組合・設立案》

 一。

 王都商会連合による独占出荷条件については、監査上の問題を付して再協議。

 二。

 リグラード側に輸出共同窓口を設置。

 三。

 複数販路による試験輸出を実施。

 四。

 共同洗浄設備を整備。

 五。

 小規模予備洗浄設備を確保。

 六。

 地上・地下の基本税体系を整理。

 七。

 公認休業制度を設置。

 八。

 非常時総出日の発動条件および事後公開制度を設ける。

 その下。

 白石。

 黒石。

 少しずつ投じられていく。

《黒石理由》

 王都を怒らせないか心配。

 設備費が高そう。

 王都商会に嫌われないか。

 非常時の条件が増えないか不安。

 休業日に客が困りそう。

 白石の方が多い。

 だが。

 黒石も消されない。

 ベックが一つ読む。

「王都を怒らせないか」

 鼻を鳴らす。

「まあ」

「怖いよな」

 ハルドも頷く。

「設備費は怖い」

 ライネルが見る。

「お前、急に常識的になるな」

「研究費の恐怖は、研究者を最も常識的にする」

「嫌な真理だな」

 アルは板を見上げた。

「いいですね」

「何がいい」

 ライネル。

「怖いことが」

 アルが言う。

「ちゃんと見えてる」

「怖いものを見て喜ぶな」

「見えない怖さの方が」

 一拍。

「もっと怖いですよ」

     ◇

 ルクは。

 白黒板を見ていた。

 黒石。

 反対。

 不安。

 損失。

 恐怖。

 全部。

 残っている。

(痛みを)

 魔王ノクトの声を思い出す。

《痛みを消したふりをするな》

 だが。

 アルは。

 反対を消していない。

 不安を隠していない。

 王都との対立も。

 設備費も。

 休暇制度の危うさも。

 全部。

 見える場所へ出した。

(……父上)

 ルクは心の中だけで呟いた。

(この人は)

(忘れさせているのではありません)

 まだ。

 結論ではない。

 監査は続く。

 だが。

 少なくとも一つ。

 父の見立てとは違う可能性が。

 ルクの中に生まれ始めていた。

 そして。

 その頃。

 王都ルミナリア。

 金環商会本部。

 最上階の執務室。

「会長」

 若い商会員が、一枚の報告書を机へ置いた。

「西方のリグラードで、少し面白い動きがございます」

「面白い?」

 書類から顔を上げたのは、三十代半ばほどの男だった。

 金茶色の髪を後ろでひとつにまとめている。

 服装は派手ではない。

 だが。

 机の上のペン。

 革の書類鞄。

 指に嵌めた指輪。

 懐中時計。

 仕事道具だけを見れば、どれも一級品だった。

 王都を代表する大商会。

 金環商会会長――ルード・ゴールドリング。

 彼は報告書を手に取った。

《リグラード輸出協同組合・設立準備》

「……ほう」

 地下栽培。

 地上流通。

 複数販路。

 生産履歴の追跡。

 共同設備。

 売り手側による共同輸出。

 そして。

《王都商会連合による独占条件について再協議》

 ルードの目が、わずかに細くなる。

「これは誰が考えた?」

「リグラードのギルドと、王都から派遣された監査官が制度を整えておりますが……」

 商会員が別紙へ目を落とす。

「そもそもの発端になった人物は、アルノルト・レーヴェルト」

「レーヴェルト?」

「はい。辺境領を治めるレーヴェルト家の嫡男です」

「グラウヴァルト殿の息子か」

「ご存じで?」

「名前くらいはな」

 ルードは再び報告書を見る。

 商会員が少し困った顔をした。

「ただ、本人は――」

「何だ」

「《努力しない勇者志望》などと呼ばれているそうです」

 ルードの手が止まった。

「……努力しない?」

「はい」

「それなのに」

 紙面を指先で軽く叩く。

「生産者と商人の役割を分け」

「販路を複数にし」

「共同設備で固定費を下げ」

「売れた後の過労まで防ごうとしている?」

「そのようです」

 ルードは数秒、何も言わなかった。

 やがて。

 小さく笑う。

「なるほど」

「会長?」

「本人が働きたくないから」

 もう一度、報告書へ視線を落とす。

「他人も無駄に働かなくて済む仕組みを作る」

 口元の笑みが、ほんの少し深くなる。

「……これは面白いな」

「接触なさいますか?」

「いや」

 ルードは首を横に振った。

「まだいい」

「よろしいので?」

「今はキノコだ」

 報告書を机へ置く。

「良い制度かもしれない。だが、商会が会長自ら出向くほどの話ではない」

「はい」

「ただし」

 ルードは西方の地図へ目を向けた。

 王都。

 リグラード。

 レーヴェルト領。

 そして。

 その間を隔てる山地。

「この少年が」

 指先が山の上で止まる。

「もし次に、もっと大きな物流の詰まりを見つけたら――」

 柔和だった目が、商人の目になる。

「その時は私に報告しろ」

「承知しました」

 ルードはもう一度だけ名前を見る。

《アルノルト・レーヴェルト》

「努力しない勇者志望、か」

 小さく笑った。

「覚えておこう」

     ◇

 リグラードでは。

 アルは。

 当然。

 そんなことは知らない。

「じゃあ」

 白黒板から離れる。

「今日は終わり?」

 セリア。

「王都への回答書があります」

「……」

 ルク。

「輸出協同組合の監査資料もあります」

「……」

 ライネル。

「非常時総出日の人員表」

「……」

 アルは空を見た。

 地下なので。

 石の天井しかなかった。

「僕の公認休業日は?」

 ベックが吹き出した。

「お前が一番休めてねえじゃねえか!」

「制度設計者に休業制度が適用されないの、おかしくない!?」

「兄さま」

 セリアが冷静に言う。

「制度が完成したら休んでください」

「完成する?」

 セリア。

 ルク。

 ライネル。

 三人が少し考えた。

「……」

「……」

「……」

 アルの顔が引きつる。

「そこ黙らないで!」

 地下市へ。

 笑い声が響いた。

 まだ。

 王都との交渉は始まったばかり。

 黒石もある。

 問題もある。

 設備費も足りない。

 だが。

 リグラードで生まれた小さな制度は。

 すでに。

 王都の商人の一人へ。

 新しい名前を覚えさせていた。

 ――アルノルト・レーヴェルト。

 後に。

 山を貫く道を巡って。

 その名前へ大金を賭けることになる男が。

 初めて。

 努力しない勇者志望へ興味を持った瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。