EP 15
獅子王の提携と、試される月光
「……嘘でしょ。また書類の山? ティーオービーはもう終わったんでしょ!?」
株式会社ポポロ・コミュニティ社長室。
ようやく平和な大家ライフに戻れると思っていたキャルルは、デスクの上にドサリと置かれた新しい書類の束を見て、ウサギの耳を悲鳴のように逆立てた。
「甘えんな、社長。敵対的買収は防いだが、ウチが『世界の三大資本』を背負ったメガコーポであることに変わりはねえ。むしろ、ここからが本番だ」
CFOの力武義正は、真新しいハードキャンディの袋を開けながら、冷酷な目で書類の一番上にある「黒い封筒」を指差した。
封筒には、金色の箔押しでレオンハート獣人王国の王家の紋章が刻まれている。
「……ライオンのオッサンからの、ラブレターだ」
「ひっ!?」
キャルルが思わず身構え、部屋の隅で警棒の手入れをしていた信長も立ち上がった。
「また宣戦布告か!? 今度はなんだ、武力侵攻か!?」
信長が問うと、力武は首を横に振った。
「違う。……『資本・業務提携の打診』だ」
力武は、封筒から取り出した極めて洗練された書式の契約書を読み上げ始めた。
「『株式会社ポポロ・コミュニティの独立性を完全に尊重し、これ以上の敵対的買収は行わない。その代わり、両社間で合弁会社を作り、日本からの輸入物資と、我が国の魔石資源の取引を独占的に行いたい。ついては、特区の境界にて【トップ会談】を要求する』……だとよ」
「……えっと、つまり?」
キャルルが首を傾げる。
「簡単に言えば、『殺し合いも乗っ取りもやめて、対等なビジネスパートナーとして一緒に儲けようぜ』ってことだ」
力武の解説に、信長とキャルルは顔を見合わせてホッと息を吐いた。
「なんだ! 話が通じるようになったじゃねえか!」
「よかったぁ……アーサーおじ様も、ついに丸くなったのね……」
だが、力武の表情は一切緩んでいなかった。
むしろ、TOBを仕掛けられた時よりも深く、顔を青ざめさせている。
「……バカか、お前ら。こっちの方が百倍タチが悪いんだよ」
力武は、ガリッ!と奥歯で飴玉を噛み砕いた。
「考えてもみろ。あの誇り高き覇王が、俺たち人間に頭を下げて『提携』を持ちかけてきたんだぞ? ……これは間違いなく、日本政府の富を内側から合法的に吸い上げるための『寄生』だ。アーサー王は、人間の資本主義のシステムを完全に理解した上で、俺たちの懐に潜り込もうとしてるんだよ」
武力で勝てないなら、株で乗っ取る。
株で乗っ取れないなら、提携して内部から富を喰い尽くす。
それが、歴史の理を知る覇王の、進化する「狩り」の形だった。
「……どうする、力武。断るか?」
信長の問いに、力武はギリッと唇を噛んだ。
「断れば、今度こそ全面戦争(物理)に戻る口実を与えちまう。……受けるしかねえ。だが、このレベルの『国家間の合弁事業』の交渉、俺の権限だけじゃ到底捌き切れねえぞ……」
力武が頭を抱えかけた、その時だった。
『——その必要はありません、力武さん』
デスクの上のノートパソコンから、凛とした声が響いた。
モニターには、東京・霞が関のオフィスにいる日野輝夜の姿が映し出されている。
「輝夜さん! 東京のタヌキ親父(若林)は、この打診に何て言ってる!?」
モニター越しの輝夜は、いつになく厳しい、しかし静かな闘志を秘めた瞳で答えた。
『幹事長は、大いに喜んでおられます。「獣がスーツを着て交渉のテーブルに着くなら、こちらも最高のエリートを送って、骨の髄までしゃぶり尽くしてやれ」と』
輝夜は、手元のタブレットを置き、画面越しにキャルルたちを見つめた。
『——私が行きます。日本国政府(筆頭株主)の全権代表として、私が異世界へ赴き、アーサー王とのトップ会談に臨みます』
「輝夜が……ここに来るのか!?」
信長が、驚きと喜びに声を上げる。
『はい。……若林幹事長からは、こう言われています。「もしこの交渉で、日本が損をするような提携を結べば、お前をクビにした上で特区の支援を完全に打ち切り、武力で獣人王国を制圧する」と』
その言葉に、社長室の空気が再び凍りついた。
若林幸隆の『太陽の覇道』は、一切揺らいでいない。彼はアーサー王の罠を見抜いた上で、輝夜に「全てを奪い取ってこい」と命じたのだ。
『日本だけが富を独占し、他国を搾取する太陽の交渉か。……それとも、獣人王国と日本の双方が共に豊かになれる、月のような共生の道を見つけるか。……これは、私の政治生命を懸けた戦いです』
輝夜は、深く一礼した。
『キャルル社長。力武CFO。信長警備部長。……私に、力を貸してください』
「……当たり前だろ」
信長が、真っ先に力武のパソコンの前に立ち、ニカッと笑った。
「お前は、顔も知らないこの村の連中を助けるために、自分のクビを懸けてメシを送ってくれた。……俺たちにとっちゃ、お前はもう『身内』だ」
「そうよ!」
キャルルも、ダボダボのスーツの袖を捲り上げた。
「この村の大家として、店子(日本)のピンチを見過ごすわけにはいかないわ! アーサーおじ様の無茶振り、みんなでぶっ飛ばしてやりましょ!」
力武は、呆れたようにため息をつきながらも、その口元にはファンドマネージャーとしての凶悪な笑みが戻っていた。
「……ったく。非合理極まりない連中だ。……いいぜ、輝夜さん。アンタの理想とする『共生の算盤』、俺が完璧な契約書に仕立て上げてやる。東京のエリートの意地、見せてやろうぜ」
数日後。
ポポロ特区とレオンハート獣人王国の国境地帯に位置する、巨大な中立テント。
その内部には、豪華なマホガニー材の長テーブルが置かれ、かつての血生臭い戦場とは全く異なる、極めて洗練された『重役会議』の空気が漂っていた。
「……到着されたようですな」
完璧なスリーピース・スーツを着こなしたサイラス専務が、窓の外を見て呟く。
テーブルの上座。
特注の超特大スーツに身を包み、ライオンの黄金の鬣を撫で付けたアーサー王——レオンハート・ホールディングスCEOは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出し、深く頷いた。
「迎え入れよ。……我が国を『経済』という新たな戦場へ引きずり込んだ、人間どもの代表を」
テントの入り口が開き。
黒いスーツ姿の力武義正と、警護の坂上信長。
中央には、社長用の特注スーツを着たキャルル。
そして、その先頭を静かに歩くのは。
一切の虚飾を廃した、シンプルなダークスーツに身を包んだ人間の女性。
内閣府政策統括官付補佐官・日野輝夜。
武力でもなく、陰謀でもなく。
ただ純粋な『言葉』と『数字』、そして『思想』がぶつかり合う。
異世界ファンタジーの歴史上、最も知的で、最も熱い【国境トップ会談】の幕が、今、切って落とされた。




