EP 14
大家の魂と、紙屑になった委任状
ポポロ特区、中央広場。
急遽設営された野外ステージの上で、完璧なスリーピース・スーツに身を包んだ鳥の獣人・サイラス専務は、流暢かつ冷徹なトーンで演説を打っていた。
「……以上が、我がレオンハート・ホールディングスが提示する『未来への青写真』だ。商人諸君。日本という得体の知れない巨大国家の下請けとして、薄利を貪る時代は終わった」
サイラスは、広場に集まった数百人の商人ギルドの代表たちを見下ろし、一枚の美しい羊皮紙の契約書を掲げた。
「現在の株価の5倍のプレミアム(現金)。そして、我が国の魔石鉱山の専売特権。……この『委任状』にサインし、我々に議決権を託せば、君たちは明日の朝には一生遊んで暮らせる富を手にすることになる。さあ、賢明なる判断を!」
商人たちが、ごくりと生唾を飲み込んだ。
彼らは元々、カネに敏い者たちだ。目の前に積まれた莫大な現金と、大国の利権。その圧倒的な「利益」を前に、彼らの心は完全にレオンハート側へと傾いていた。
何人かの商人が、震える手でペンを握り、委任状にサインをしようと前に進み出た。
「……やはり、サピエンスは欲に弱い。これで決まりだ」
サイラスが、勝利を確信して嘴を歪めた、その瞬間だった。
「——ちょっと待ちなさいよ、鳥のオジサン!!」
ダンッ!! と。
広場のスピーカーから、マイクを叩くような鋭い音が鳴り響いた。
群衆が振り返る。
そこに立っていたのは、ダボダボの特大スーツジャケットを羽織り、両手にダブルトンファーを握りしめたウサギの獣人——株式会社ポポロ・コミュニティ代表取締役社長、キャルルだった。
「キャルル社長……!」
「大家さん……!」
商人たちがざわめく。
サイラスは余裕の笑みを崩さず、マイク越しにキャルルを嘲笑った。
「おや。新米の社長殿が直々に引き止めに来たのかな? しかし無駄だ。君のような経営の素人に、この絶対的な『数字の差』をひっくり返すことはできない」
「……ええ。そうね。私は『ティーオービー』とか『カブシキ』なんて、難しいことは全然わかんないわよ」
キャルルは、トンファーを腰にしまい、堂々とステージへ歩み寄った。
そして、ポッケから苺ミルク飴を取り出し、口に放り込んで、ガリッと噛み砕いた。
「でもね! 『レオンハート王国が、どういう国か』は、誰よりも知ってるわ!!」
キャルルの真っ赤な瞳が、サイラスを真っ直ぐに射抜いた。
「アンタたちは『誇り』って言葉で、全部を縛り付ける! 強い者が偉くて、弱い者は見捨てられる! 国のためなら、自分の食べる麦だって燃やしちゃう……そんな『血の掟』の国じゃない!!」
キャルルは、ステージの前に集まった商人たちをぐるりと見渡した。
「みんな、よく聞いて! この鳥のオジサンに株を売れば、確かに今すぐお金持ちになれるかもしれない! でも、明日からはどうなるの!?」
キャルルの声は、拙く、洗練されたプレゼンとは程遠かった。
だが、その言葉には、血の通った『本物の熱』があった。
「アンタたちの会社は、レオンハートの物になる。……つまり、またあの『弱肉強食のジャングル』に逆戻りするってことよ! 誰かが怪我しても『弱いからだ』って見捨てられて、夜にみんなで集まって、安いお酒を飲みながらくだらない恋バナをすることもできなくなる!!」
キャルルは、自らの胸——ダボダボのスーツの胸ぐらをギュッと掴んだ。
「私は、あの息苦しい王宮から逃げ出して、この村に来たの。……ここで、みんなと一緒に笑って、日本のご飯を食べて、誰かが困ってたら助け合う……この村の『大家』になれて、本当に幸せだった!!」
「大家さん……」
商人たちの中に、数週間前の光景がフラッシュバックする。
あの時、獣人軍の矢を受けて血を流しながらも、村の子供を庇い、敵の兵士の怪我すら治そうとした、彼女の無謀で優しい姿を。
「私は、無限のお金なんて約束できない! 魔石の利権もあげられない!」
キャルルは、瞳に涙を浮かべながら、それでも満面の、太陽のような——いや、すべてを優しく包み込む『月』のような笑顔を向けた。
「でも! もしアンタたちが転んで怪我をしたら、私が血を吐いてでも全回復させてあげる!! お腹が空いたら、私の奢りで、一緒に美味しいカレーを食べるわ!!」
キャルルは、商人たちへ向けて、両手を大きく広げた。
「だから……私から、この村を奪わないで! アンタたちは、私にとって……一番大切な『店子(株主)』なんだから!!」
シン……と。
広場から、一切の音が消えた。
サイラスの提示した「完璧な利益」。
キャルルの提示した「無償の愛(非合理)」。
資本主義のルールにおいては、サイラスの勝ちだ。
だが、ここはただのウォール街ではない。土と汗と、人と人が生きる異世界の村なのだ。
ビリッ。
静寂を破ったのは、紙を破る音だった。
先ほどまでペンを握っていた初老の商人が、サイラスから渡された『委任状』を、真っ二つに引き裂いたのだ。
「……すまねえな、鳥の旦那。あんたの提示した金は、確かに魅力的だ。一生遊んで暮らせる」
初老の商人は、破った委任状を空中に放り投げた。
「でもよぉ……ウチの大家さんは、俺たちが風邪ひいた時、夜中に氷枕持ってすっ飛んで来てくれたんだ。……そんな恩人を裏切って食うメシは、いくら金積まれても不味くて喉を通らねえよ!!」
「そ、そうだ! 俺たちも、大家さんのカレーの方がいい!!」
「レオンハートの軍隊に入るなんてまっぴらだ!! ポポロ・コミュニティ万歳!!」
ビリビリビリッ!!
広場のあちこちで、サイラスの用意した何百枚もの委任状が、次々と引き裂かれ、紙吹雪となって宙を舞った。
「なっ……バカな!? 目の前の莫大な富を捨てて、あんな小娘の感情論を選ぶというのか!!」
サイラスが、信じられないものを見る目で、紙吹雪の中で歓声を上げる商人たちを見下ろした。
「……それが人間ってもんだよ、鳥のオッサン」
群衆の中から、力武義正が歩み出てきた。
その隣には、満足げに笑う坂上信長がいる。
「カネで買えないモノはない。それは真理だ。……だがな、『カネを積まれても絶対に売りたくないモノ』ってのも、この世には確かに存在するんだよ」
力武は、口の中のキャンディをガリッと噛み砕き、サイラスにトドメを刺した。
「委任状争奪戦は、ウチの社長の『完全勝利』だ。……アンタらがシャドーバンクから借金して買い集めようとした株は、一株たりとも手に入らねえ。……利子で首が回らなくなる前に、おとなしく巣に帰るんだな」
「…………ッ!!」
サイラスは、ギリッと嘴を噛み合わせ、アタッシュケースを乱暴に拾い上げた。
「……サピエンスの感情というものは、私の理解を超えている。……アーサー陛下の歴史観ですら読み切れぬ『無駄』が、この村には溢れているというのか」
サイラスは、キャルルを一度だけ深く睨みつけ、バサァッ!と白銀の翼を広げて上空へ飛び去っていった。
もはや、彼に打つ手はなかった。
『ウオォォォォォォッ!! キャルル社長、万歳!!』
『一生ついていきます、大家さーーん!!』
歓喜に沸く広場。商人たちがキャルルを胴上げしようと群がっていく。
「ちょっと! 怪我人に触らないで! ああもう、スーツが破けるぅ!」
キャルルが空を舞いながら、嬉しそうな悲鳴を上げる。
防衛司令室のモニター越しにその光景を見ていた日野輝夜は、静かに、本当に嬉しそうに微笑み、タブレットを閉じた。
彼女の信じた『共生の月』が、冷酷なカネの暴力に打ち勝った瞬間だった。
だが。
敗北を喫して王都へと帰還したサイラスを迎えたのは、意外な反応だった。
「——カッカッカッ!! 見事な敗北だ、サイラスよ!!」
玉座の間。
報告を受けた獅子王アーサーは、怒るどころか、腹の底から愉快そうに大爆笑していた。
「へ、陛下……。申し訳ありませぬ。私の至らなさ故、M&Aは失敗に……」
「謝るな。むしろ、これで良かったのだ」
アーサーは、新たに仕立てさせた極上のスリーピース・スーツの襟を正し、黄金の瞳をギラリと光らせた。
「人間の『資本主義』というものは、実に恐ろしい。もしあの時、我々がカネの力で彼らをねじ伏せていれば、我々もまた『カネの亡者』に成り下がり、いずれ内部から腐敗していただろう」
アーサーは、窓の外の月を見上げた。
「だが、あのウサギの娘は、カネの暴力を『無償の愛』という名の非合理で見事に跳ね除けた。……つまり、人間社会のルールにも、我らの『血の掟』にも通じる【誇り】が存在するということだ」
アーサーは、巨大な拳を握りしめた。
「あの娘がトップにいる限り、ポポロ・コミュニティは腐らん。……ならば、我々レオンハート・ホールディングスが次にやるべきことは一つだ」
「次、ですか……?」
「ああ。敵対的買収は取りやめだ。……次なる盤面は、対等な『業務提携』による、大日本帝国からの【富の逆搾取】だ」
王のスーツ姿から放たれる、恐るべき知性と野性の融合。
アーサー王の『歴史観』は、敗北すらも養分にして、さらなる高みへと進化を遂げていた。
日本のタヌキ(若林)と、異世界の獅子。
本当の「化かし合い」は、ここからが本番だった。




