EP 12
獣たちの背広と、敵対的買収(TOB)
「……あーもうっ! なんなのよこの紙の山は! 剣振ってる方が百倍マシよ!!」
株式会社ポポロ・コミュニティ、真新しい本社オフィス(プレハブ2階建て)。
その「社長室」で、代表取締役社長に就任したキャルルは、デスクに積み上げられた決裁書類の山を前に、ウサギの耳をぐったりと垂れ下げていた。
手にはダブルトンファーではなく、重厚な「代表取締役印」。
ポッケの苺ミルク飴をガリガリと噛み砕きながら、彼女は半ばヤケクソ気味に書類にハンコを乱れ打ちしている。
「おいコラ、新米社長。中身も見ずにハンコ捺すバカがどこにいる。それはルナミス帝国の魔導具ギルドからの『関税引き下げ要求書』だぞ。捺したらウチの利益が3%飛ぶ」
傍らで、タブレットを操作しながら冷たく突っ込んだのは、真新しいスーツを着こなした力武義正だった。彼は現在、この会社の『CFO(最高財務責任者)』として、特区の莫大なカネの流れを全て管理している。
「うっ……! だって、文字ばっかりで全然わかんないんだもん……」
「分からなくても読め。アンタは今、この村の『大家』から『経営トップ』になったんだ。アンタのハンコ一つで、村の連中の明日のメシが消し飛ぶんだぜ」
力武の容赦ない言葉に、キャルルは涙目で書類を読み直し始めた。
「……あーあ。俺もなんでこんな窮屈なモン着なきゃなんねえんだよ」
部屋の入り口では、坂上信長がネクタイを乱暴に緩めながらボヤいていた。彼は現在、『警備統括部長』という肩書きを与えられている。
「我慢しろ、信長。これも『株式会社』としての信用だ。……これからは、武力じゃなくて『契約』と『数字』でこの村を守るんだ」
力武がブラックコーヒーを啜りながら答える。
平和で、しかし胃の痛くなるような新会社の日常。
だが、そんな彼らのオフィスに、かつてない「異質のプレッシャー」が静かに忍び寄っていた。
コンコン、と。
社長室のドアが、極めて洗練されたマナーでノックされた。
「……入れ」
力武が鋭く応じると、ドアが開き、一人の男が入ってきた。
「失礼するよ。株式会社ポポロ・コミュニティの諸君」
その姿を見た瞬間、信長は思わず腰の警棒に手をかけ、キャルルは息を呑んだ。
そこに立っていたのは、鳥の獣人・サイラスだった。
しかし、かつての白銀の軍服ではない。彼は今、地球のサヴィル・ロウで仕立てられたような、完璧なシルエットの『スリーピース・スーツ』を身に纏い、手には高級なアタッシュケースを提げていた。
「サ、サイラス……! アンタ、その格好……!」
キャルルが目を丸くする。
獣の鋭い眼光と、洗練された資本主義の鎧。
その二つが融合したサイラスの姿は、以前の「内務官」の時よりも、はるかに底知れぬ気味の悪さと威圧感を放っていた。
「驚くことはない。我々も『君たちのルール』を学ばせてもらっただけだよ」
サイラスは、胸ポケットから一枚のカードを取り出し、力武の前にスッと差し出した。
純金で縁取られた、分厚い名刺だ。
『レオンハート・ホールディングス 代表取締役専務 サイラス』
「……ホールディングス、だと?」
力武が名刺を弾き、目を細める。
「いかにも。我がレオンハート王国は、国家の全資産を統合し、国営の持株会社を設立した。アーサー陛下がCEO(最高経営責任者)だ」
サイラスは、悪びれもせず、極めて冷酷なビジネスマンの笑みを浮かべた。
「さて、CFOの力武くん。今日は武力による『カチコミ』ではなく、極めて平和的かつ合法的な『ビジネスの提案』を持ってきた」
サイラスはアタッシュケースをカチャリと開け、分厚い書類の束をデスクに叩きつけた。
「——我々レオンハート・ホールディングスは、本日付けで、君たち株式会社ポポロ・コミュニティに対し、【敵対的買収(TOB)】を宣言する」
「なっ……!?」
力武の顔色が変わる。
「て、敵対的……なに?」
キャルルがオロオロと信長と力武の顔を交互に見る。
「TOB(株式公開買付)だ。……簡単に言えば、合法的にお前の会社を乗っ取るってことだよ」
力武が、ギリッと奥歯を噛み締めながら説明する。
「その通り」
サイラスは、書類の一枚を指差した。
「君たちの会社は、日本、アバロン、ルナミスが株を保有していると言ったね。だが、特区に出入りする無数の『中小商人ギルド』にも、議決権のない少額の株式(浮動株)がばら撒かれているはずだ」
サイラスの言葉に、力武の背筋に冷たい汗が流れた。
特区の流動性を高めるため、確かに一部の株は市場に開放していた。
「我々は、王国の保有する『全ての魔石鉱山の採掘権』を担保に、大陸中の闇金融から莫大な軍資金を調達した」
サイラスの眼が、鷹のように鋭く力武を射抜く。
「その圧倒的な資金力で、市場に出回るポポロ株を、現在の市場価格の【5倍】で全て買い占める。……さらに、ルナミス帝国の開発銀行の幹部を裏で買収し、彼らの持つ議決権を我々に委任させた。……これで、我々は君たちの会社の『51%(過半数)』の権利を握ることになる」
「……ッ!!」
「過半数を握ればどうなるか。……力武くん、君なら分かるね?」
サイラスが、残忍な笑みを深める。
「株主総会を開き、現在の経営陣……つまり、キャルル社長を『合法的に解任』にする。そして我々の息のかかった役員を送り込み、このポポロ・コミュニティをレオンハートの子会社として吸収合併する。……一滴の血も流さず、法律に乗っ取って、この村を完全に手に入れるというわけだ」
沈黙が、社長室を支配した。
武力も魔法も使わない。だが、それはかつてのハガルの大剣よりも、はるかに鋭く、絶対に躱すことのできない「資本の刃」だった。
「……ふざけんじゃないわよ!!」
キャルルが、バンッ! とデスクを叩いて立ち上がった。
「カネの力で、この村を奪う気!? 私は絶対に社長を辞めないわ!!」
「辞める辞めないは、君の意志ではない。資本主義の『ルール(多数決)』が決めることだ」
サイラスは冷淡に言い捨てた。
「アーサー王は仰った。『人間のルールは残酷で美しい。弱肉強食のジャングル(血の掟)を、見事に帳簿の上で再現している』とね。……君たち人間の武器で、君たちを喰い殺してあげよう」
サイラスは、アタッシュケースを閉じ、優雅に一礼してドアへ向かった。
「TOBの期限は2週間後だ。……それまでに防衛策でも何でも用意するといい。もっとも、我々の圧倒的な資金力の前には、無意味だろうがね」
バタン、と。
社長室のドアが閉まる。
「……力武。どうすんだよ、これ。俺の剣じゃ、株なんて斬れねえぞ」
信長が、青ざめた顔で力武を見た。
力武は、デスクに置かれたTOBの宣告書をじっと見つめていた。
その手は微かに震えている。恐怖ではない。相手の「進化の速度」に対する、武者震いだ。
彼はおもむろにポケットから新しいハードキャンディを取り出し、口に放り込んだ。
——ガリッ!!!
極めて鋭い、噛み砕く音が響く。
「……上等だ。ライオンのオッサン。俺たちのルール(土俵)に上がってきたこと、後悔させてやる」
力武の眼に、かつて商社時代に数多の企業を葬ってきた「血に飢えたファンドマネージャー」の凶光が宿った。
「信長、キャルル。ビビる必要はねえ。……資本主義ってのはな、カネを持ってる奴が勝つんじゃない。【一番性格が悪い奴(ルールを悪用できる奴)】が勝つんだよ」
力武は、ノートパソコンのモニターを開き、東京の霞が関へ直通の暗号通信を繋いだ。
「輝夜さんに繋げ!! レオンハートの野郎どもに、本物の『ウォール街の地獄』を教えてやる!!」
異世界の獣たちが仕掛けてきた、誇りと生存を懸けたM&A(企業買収戦争)。
これに対し、力武義正の狂った算盤と、日野輝夜の霞が関の頭脳が、反撃の狼煙を上げる。
武力無用、血で血を洗う【株式会社防衛戦】が、今、幕を開けた!




