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EP 11

新米社長の目覚めと、獣たちの資本論

「……ん、ぅ……」

ポポロ特区、旧村長室を改装したプレハブの医務室。

消毒液と、なぜか微かに漂うカレースパイスの匂いの中で、キャルルはゆっくりと重い瞼を開けた。

「……気がついたか、大家さん。いや、これからは『社長』って呼ぶべきか」

ベッドの横のパイプ椅子で、ボロボロのスーツを着た力武義正が、ブラックコーヒーを啜りながら声をかけた。

その隣では、上半身に何重にも包帯を巻かれた坂上信長が、簡易コンロでレトルトカレーを温めている。

「……りき、たけ……のぶなが……」

キャルルは痛む背中を庇いながら、ウサギの耳をピクッと動かした。

「私、どうなったの……? アーサーおじ様は……獣人の軍隊は……」

「帰ったよ。アンタの故郷の連中は、誰も死なずに、一発の銃弾も撃ち込まれずに国へ引き返していった。……ウチのダチ(輝夜)が、東京からとんでもない『魔法』を使ってな」

信長が、温まったカレーの皿をテーブルに置きながら笑う。

キャルルはホッと息を吐き、それから首を傾げた。

「魔法……? それより力武、さっき私を『社長』って……?」

「ああ。アンタが寝てる間に、このポポロ特区は日本政府とアバロン皇国、ルナミス帝国の共同出資による『株式会社ポポロ・コミュニティ』って組織に生まれ変わったんだ」

力武は、手元のタブレットを操作し、登記簿のデータをキャルルに見せた。

「アンタはそこの代表取締役社長。……つまり、世界の三大超大国を株主に持つ、超巨大多国籍企業メガコーポのトップに就任したってわけだ。おめでとう」

「…………は?」

キャルルは、全く意味が分からず目を白黒させた。

「しゃ、社長……? 私が? え、お給料は? 苺ミルク飴、いっぱい買えるの?」

「アホか。給料どころか、アンタの肩にはこれから『三国への莫大な配当金』と『特区のインフラ維持費』っていう、天文学的な責任(負債)がのしかかってくるんだよ。……株主スポンサーの期待を裏切って赤字を出せば、即刻クビ(解体)だ」

力武の言葉に、キャルルの長い耳がへなへなと萎れた。

「な、なによそれ……! 私はただ、この村で平和に大家さんをやりたかっただけなのに! なんでそんな、胃が痛くなりそうな役職に……!」

「文句は東京にいる『月のお姫様(輝夜)』に言え。……だがな」

力武は、コーヒーの紙コップを置き、ベッドに横たわるキャルルを真っ直ぐに見つめた。

「あのライオンのオッサン(アーサー)から、血を流さずにこの村を守り抜くには、この架空のフィクションが必要だった。……アンタが自分の血を吐いてでも村を守ろうとした『無償の愛』のツジツマを合わせるには、これしかなかったんだよ」

力武の口調はぶっきらぼうだったが、その瞳には、かつて彼が切り捨ててきた「計算外の優しさ」に対する、不器用な敬意が滲んでいた。

「……そっか。アンタたち、私のために、そんな無茶苦茶な算盤を弾いてくれたのね」

キャルルは、少しだけ照れくさそうに笑い、信長の作ったカレーの匂いへ鼻をクンクンと向けた。

「社長就任祝いに、そのカレー、大盛りでお願い。……食べたら、いっぱい働いて借金返すわよ!」

「おう。特盛りにしてやるよ、社長」

信長が、嬉しそうにスプーンを差し出した。

同時刻。地球、東京・総理官邸。

「——というわけで、事後報告になりますが。株式会社ポポロ・コミュニティの設立、および日本国政府による株式引き受けの決裁、完了いたしました」

日野輝夜は、若林幹事長のデスクに、分厚いファイルの束を静かに置いた。

若林は、ピースの煙を吐き出しながら、そのファイルをパラパラと捲り、ニヤリと老狸の笑みを浮かべた。

「カッカッカ! 事後報告もクソもあるか。お前が勝手にハンコを押して、世界中に『既成事実』を作ってしもうたんじゃからな」

若林は立ち上がり、東京のビル群を見下ろす大きな窓の前に立った。

「見事なカウンターじゃったよ、輝夜。……じゃが、お前も官僚の端くれなら分かるじゃろう。『会社を創る』ということは、ゴールではない。始まりじゃ」

若林の背中から、再び「国益の覇王」としての底知れぬプレッシャーが放たれる。

「株式会社とは、利益カネを生み出してなんぼのシステムじゃ。……お前の創ったポポロ・コミュニティが、日本国に十分な『富』をもたらすなら、ワシは最大の後ろスポンサーとして特区を守ってやろう。……じゃが」

若林は振り返り、輝夜を冷酷に睨み据えた。

「もし、お前の『共生の理想(月)』がビジネスとして成り立たず、特区が赤字を垂れ流すようなら……ワシは容赦なくその会社を解体し、資産を差し押さえ、当初の予定通り特区を火の海(地獄)に沈める。……それが、資本主義というルールの残酷さじゃ。覚悟はできとるんじゃろうな?」

「……はい」

輝夜は、一切の迷いなく頷いた。

「太陽のように一方的に奪うのではなく、皆で豊かになるビジネスモデルを、必ず構築してみせます。……私たちの『月』の算盤が、貴方の覇道を上回る利益を出すことを証明します」

「言うようになったのう。……楽しみにしとるぞ、新米株主殿」

若林は、最恐の敵であり、同時に最大の出資者としての恐ろしい笑みを深めた。

そして、その頃。

遥か西方、レオンハート獣人王国の王都。

巨大な石造りの城の奥深くにある、円形闘技場を改装した王の間。

「……ハァ、ハァ……。陛下、ご報告申し上げます。日本経由で取り寄せた『専門書』の翻訳、および概念の抽出が完了いたしました……」

王の間に、フラフラと覚束ない足取りで入ってきたのは、鳥の獣人・内務官サイラスだった。

彼の手には、地球から極秘に輸入し、魔導翻訳機にかけられた分厚い本の束が抱えられている。

玉座に座る獅子王アーサーは、黄金の瞳を輝かせて身を乗り出した。

「ご苦労だった、サイラス。……で? 人間どもの最大の武器、『株式会社』とやらの正体は掴めたか」

「は、はい。……恐るべきシステムです。血縁や種族の繋がりではなく、『利益の追求』というただ一点のみを目的として、見ず知らずの他人が資金を出し合い、巨大な集団(組織)を形成する……。いわば、カネの力で結ばれた『架空の群れ』です」

サイラスは、震える手で一冊の翻訳書——表紙には『近代株式会社の歴史と構造』と書かれている——をアーサーの前に差し出した。

「個人の寿命を超えて永遠に存続し、失敗の責任を出資額に限定(有限責任)することで、無限の挑戦と拡張を可能にする。……この『法人』という虚構の盾があったからこそ、人間は自衛隊や魔法を使わずして、我らの剣を止めることができたのです」

アーサーは、その分厚い本を手に取り、パラパラとページを捲った。

彼の優れた知性は、かつて食糧を燃やしてでも誇りを守ろうとした野性の直感と見事に融合し、人間の生み出した「資本の論理」を瞬時に理解していく。

「……なるほど。武力で領土を奪うのではなく、カネ会社シマを乗っ取る。剣で血を流すのではなく、帳簿の数字で敵を干上がらせる。……実に洗練された、非情な闘争の形だ」

アーサーは、立ち上がった。

そして、彼は自らの着ていた重厚な王の甲冑を、ガシャン、と音を立てて脱ぎ捨てた。

「へ、陛下?」

ハガルやサイラスが驚く中、アーサーは傍らに控えていた侍従に命じた。

「人間の商人どもが着ていた『戦闘服』……スウツ、とやらを用意せよ。我が巨体に合うよう、最高級の布で特注しろ」

「ス、スーツですか!?」

「いかにも。……人間どもが『会社』という新たな戦場を用意したのなら、我らもまた、そのルールに則って戦うまでだ」

アーサーは、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろし、獰猛な笑みを浮かべた。

「我らレオンハートの誇りは、形を変えて進化する。……これより、我が国を挙げての国営企業【レオンハート・ホールディングス】を設立する!」

獅子王の咆哮が、王の間に響き渡る。

「剣を捨て、ペンを握れ! 血の掟を、契約書に書き換えよ! 人間どもの『資本主義』というゲームを食い破り、世界の富を我ら獣の手に取り戻すのだ!!」

誇り高き獣の戦士たちが、スーツを着こなし、経済という名の新たな地獄(戦場)へと足を踏み入れる。

ポポロ特区を巡る戦いは、第三のフェーズ——血で血を洗う【異世界・企業買収戦争(M&A)】へと、その姿を変えようとしていた。

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