EP 10
月光の結界と、無敵の架空存在
「アァァァァァッ!!」
紫電を纏ったキャルルの体が、夜の闇を切り裂く一筋の雷光となってアーサー王へと迫る。
その速度、音速超え。残された全生命力を振り絞った、月兎族の極限の一撃。
だが、獅子王アーサーは、その場から一歩も動かなかった。
彼は抜いていた巨大な宝剣を静かに地面に突き立て、己の腕を十字に交差させただけだった。
「——王の盾」
ドゴォォォォォォォンッ!!
キャルルの『超電光流星脚』がアーサーの剛腕に直撃し、凄まじい閃光と爆発がポポロ特区の広場を飲み込んだ。
周囲の石畳がクレーター状に吹き飛び、土煙が天高く舞い上がる。
「……キャルル!!」
瓦礫の陰から、肋骨を押さえて立ち上がった信長が叫ぶ。
土煙が晴れた後。
そこに立っていたのは、腕の装甲に僅かな焦げ跡をつけただけの、無傷のアーサー王だった。
そして彼の手には、力尽き、意識を失って気を失ったキャルルが、首根っこを掴まれて力なくぶら下がっていた。
「……見事な一撃だ。我が姪よ」
アーサーは、気を失ったキャルルを肩に担ぎ上げ、冷酷な目で広場を見渡した。
「兵糧攻め(ダンピング)という小賢しい盤面は、我が手でひっくり返した。王族も回収した。……我らレオンハートの誇りは守られた。全軍、撤退する」
アーサーが踵を返そうとした、その時だった。
「……待てよ、デカブツ」
土埃を払いながら、ヨレヨレのスーツ姿の男——力武義正が、アーサーの前にフラフラと歩み出た。
彼の右手には、画面が激しく点滅しているスマートフォンが握られている。
「人間の商人よ。これ以上、私を失望させるな。貴様の『経済封鎖』など、誇り高き獣には通じぬと言ったはずだ」
アーサーが、面倒そうに黄金の瞳を向ける。
「ああ。アンタの『数百年先を見据える歴史観』は立派だよ。食糧庫を焼いてでも独立を保つって覚悟もな。……だが、俺のダチ(輝夜)が今しがた、東京の霞が関から『最高の盤面』を書き換えやがった」
力武は、血まみれの口元を歪め、ニヤリと笑った。
「獅子王アーサー。アンタは今、このポポロ村で【国際的な大犯罪】を犯そうとしている。……誘拐と、重大な器物損壊。そして、多国籍企業に対する『宣戦布告』だ」
「……何?」
アーサーの眉が、ピクリと動いた。
数分前。地球、東京・総理官邸。
「……輝夜。お前、今何を承認した?」
若林幸隆幹事長は、自分のタブレットに届いた『内閣府・特区法制局』からの緊急通知を見て、目を丸くしていた。
「ポポロ特区の『法人化』です。幹事長」
日野輝夜は、キーボードから手を離し、静かに答えた。
「私は先ほど、超法規的措置を用いて、ポポロ特区の全領土およびインフラを、日本国法務局に『株式会社ポポロ・コミュニティ』として登記しました。……そして、その【代表取締役社長】に、キャルル村長を就任させました」
「なっ……! 異世界の村を丸ごと株式会社にじゃと!?」
防衛省の官僚たちが悲鳴を上げる。
「それだけではありません。私はこの株式会社の『優先株式』を、超高速アルゴリズムで三分割し、発行しました」
輝夜は、モニターに三つの巨大な国家のエンブレムを映し出した。
「一つは、我が日本国政府が購入。
一つは、アバロン皇国・魔王ラスティア陛下の『個人資産ファンド』が購入。
最後の一つは、ルナミス帝国の『国家開発銀行』に強制的に買わせました」
輝夜の言葉の意味を理解し、若林の背筋に、政治家としての巨大な戦慄が走った。
「つまり……あのウサギの娘は今や、三大超大国の資本が入り組んだ『多国籍共同企業体』のトップ……合法的な【国際共有財産】になったということか……ッ!」
「はい。その通りです」
輝夜は、かつて全国の農村を歩き回り、地方の限界集落を『コミュニティ・デザイン』の手法で蘇らせてきた。
上からの押し付け(施し)ではなく、皆が等しく出資し、互いに依存し合う「連帯の網」を作ること。それこそが、彼女が信じる『共生(月)』の力だった。
「アーサー王が自国の食糧を燃やして『孤立』を選ぶなら、私は世界中を巻き込んだ『最強の連帯』を作ります。……今、キャルル社長を誘拐することは、日本、アバロン皇国、ルナミス帝国という世界の三大資本への『同時テロ行為』とみなされます」
輝夜は、真っ直ぐに若林を見据えた。
「太陽のように一方的に支配するのではなく、重力で互いを引き合い、バランスを保つ月のネットワーク。……若林先生。貴方の国益の算盤は、私の作った『絆の算盤』が完全に上書きしました」
「…………」
若林は、手にしたタバコの灰が落ちるのも忘れ、目の前の若き官僚を見つめていた。
「……カ、カカッ……カッカッカッカッ!!!」
若林は、机に突っ伏して、呼吸ができなくなるほどの大爆笑を放った。
「やりおった! この小娘、霞が関の法規と金融システムを逆手にとって、世界規模の『人質交換』を構築しよった!!」
若林は笑い涙を拭いながら、立ち上がった。その顔は、敗北の怒りではなく、自分を上回る怪物(後継者)を見つけた極上の歓喜に満ちていた。
「見事じゃ、輝夜!! 国家の覇道を、法と共同体のフィクションで絡め捕るとは!! これぞまさに現代社会の生み出した『最強の結界』じゃ!!」
ポポロ特区。
「——というわけだ、ライオンのオッサン」
力武は、スマホの画面に表示された『株式会社ポポロ・コミュニティ・登記簿謄本』を、アーサーの目の前に突きつけた。
「アンタの肩に担がれてるそのウサギは、もうアンタの国の『姫』じゃねえ。日本とアバロンとルナミスのカネと権利を背負った『代表取締役社長』だ。……今すぐ社長を下ろしてこの村から立ち去らないと、明日には、魔王ラスティアのブラックホールと、日本のイージス艦と、ルナミスの魔法軍が、アンタの国を【債権回収】のために更地にするぜ」
「…………」
アーサーは、力武の突きつけた画面をじっと見つめた。
文字は読めなくとも、力武が放つ「言葉の重み」と、背後にある巨大な世界のうねり(システム)を、覇王の勘が正確に読み取っていた。
武器や暴力による脅しではない。
人間の生み出した『法人』という架空の存在、そして『法律』と『契約』という見えざる網が、王の剣の軌道を完全に封じ込めたのだ。
(……サピエンス(人類)の最大の武器は、暴力ではない。「虚構」を共有し、無数の他人と協力できることだというのか)
アーサーは、ふっと、その厳つい口元に微かな笑みを浮かべた。
「……見事な手だ。人間の商人よ。そして、遥か遠くでこの盤面を描いたという、姿見えぬ『月』の知将よ」
アーサーは、肩に担いでいたキャルルをゆっくりと下ろし、力武の前にそっと寝かせた。
「物理的な兵糧攻めを退け、歴史の理をも『架空の網(法律)』で縛り上げるか。……私がこれ以上剣を振るえば、我が国は誇りを保つ前に、世界を敵に回して物理的に消滅するというわけだな」
「そういうことだ。お引き取り願いましょうか、陛下」
力武が、冷や汗を拭いながら不敵に笑う。
「よかろう。今日のところは、貴様らの『虚構』の勝利だ」
アーサーは踵を返し、五千の軍勢に向かって低く、よく通る声で命じた。
「全軍、退け! 誇り高きレオンハートの戦士たちよ、我らはこれより『新たな歴史』への準備を始める!」
『ハッ!!』
ハガルをはじめとする獣人兵たちが、一糸乱れぬ動きで立ち上がり、踵を返す。
上空にいたサイラスも、忌々しげに力武を睨みつけながら、王の背中を追って飛び去っていった。
地鳴りのような足音と共に、獣人王国軍がポポロ特区から完全に撤退していく。
「……終わった、のか」
信長が、砕けた肋骨を押さえながら、その場に仰向けに倒れ込んだ。
「ああ。俺たちの……いや、輝夜の算盤の『完全勝利』だ」
力武は、地面に寝かされたキャルルの側に膝をつき、彼女の泥だらけの顔についた土を、不器用に指で拭った。
その口の中には、もう噛み砕く飴玉は残っていなかった。ただ、極限の死線を越えた後の、奇妙な安堵感だけがあった。
かくして。
レオンハート獣人王国の「カチコミ」は、自衛隊の不殺の覚悟と、現代経済の「法人化」という超絶技巧によって、一人の死者も出さずに終結した。
だが、撤退していく獅子王アーサーの背中は、決して「敗北者」のそれ力ではなかった。
「……サイラスよ」
歩きながら、アーサーが上空を飛ぶ内務官に声をかける。
「ハッ。ここに」
「国へ戻り次第、大至急『特命機関』を立ち上げよ」
「特命機関、ですか? 新たな軍団を編成し、特区を急襲するのですか?」
サイラスの問いに、アーサーは黄金の瞳を三日月に細め、歴史の先を行く覇王の笑みを浮かべた。
「違う。人間の恐ろしさは、剣でも魔法でもなく、あの『契約』とかいう目に見えぬ武器にある。……ならば、我らもそれを学ぶまでだ」
獅子王は、夜空を見上げ、楽しげに喉を鳴らした。
「サイラス。我が国にも……『株式会社』とやらを創るぞ。人間のルールを食い破るための、獣の商会をな」
第三章【レオンハート獣人王国編:太陽の覇道と、月の反逆】。
それは単なる軍事衝突の終わりではなく、異世界に「経済と法律」という新たな概念がもたらされた、歴史的な夜明けの瞬間であった。




