EP 9
覇王の『歴史』と、砕け散った算盤
「……申し訳、ありませぬ……! 陛下……ッ!!」
ポポロ特区の広場。
温かい豚汁の入った紙コップを握りしめたまま、近衛騎士団長ハガルは、地面に額を擦り付けて血の涙を流していた。
その後ろでは、つい先ほどまで食事に貪りついていた五千の獣人兵たちが、己の不甲斐なさに震えながら、一斉に平伏している。
絶対君主、獅子王アーサー。
黄金の鬣を揺らし、悠然と歩みを進める彼の足音だけが、静まり返った広場に響いていた。
「顔を上げよ、ハガル。そして皆の者も」
アーサーの低く、地鳴りのような声が響く。
そこには、怒りも、失望もなかった。あるのは、すべてを俯瞰するような、恐ろしいほどの『理解』だけだった。
「己を恥じる必要はない。……腹が減ればメシを食う。それは我ら獣だけでなく、あらゆる生命が逃れられぬ『生物学的絶対の理』だ。……人間の用意した小麦と肉(兵站)が、我らの誇りの許容量を超えた。ただそれだけのこと」
アーサーは、ハガルの肩にそっと巨大な手を置き、立ち上がらせた。
その寛大すぎる処置に、ハガルはさらに号泣する。
「さて。人間の商人よ」
アーサーの黄金の瞳が、コンテナの上に立つ力武義正を真っ直ぐに射抜いた。
力武は、背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒を感じながらも、必死に商社マンのポーカーフェイスを保ち、ネクタイを緩めた。
「……お初にお目にかかるぜ、獅子王サマ。ウチの『炊き出し』はお口に合いそうかな? アンタが頷けば、アンタの国の7000万の民に、未来永劫、この極上のメシと豊かな暮らしを約束してやるぜ。ウチの国(日本)の資本力なら、造作もないことだ」
力武は、ハッタリではない、本物の数字(算盤)を盾にして交渉に出た。
だが、アーサーは微かに鼻で笑った。
「未来永劫、だと? ……浅いな。人間の歴史とは、かくも短絡的か」
アーサーは、広場に積まれた支援物資の山を一瞥し、重々しく口を開いた。
「自国で泥に塗れて麦を育てることを放棄し、他国の『支援』で腹を満たし始めた国家が、その後どうなるか。……私は、数多の文明の興亡(歴史)を読んで知っている」
アーサーから放たれる知性の圧が、力武のロジックを押し潰しにかかる。
「最初は感謝するだろう。だが数世代も経てば、民は他国からの施しを『当然の権利』と錯覚し、自ら牙を研ぐことを忘れる。そして、いざ貴様らの国が支援を打ち切った時……我が国は、一滴の血も流さずに内部から腐り落ち、完全に貴様らの『奴隷』となる」
「……ッ!!」
力武の顔から、完全に血の気が引いた。
(こいつ……ただの筋肉ダルマの王様じゃねえ……! 経済支配による国家の『ソフトな侵略(属国化)』のプロセスを、完全に、歴史的マクロの視点から理解してやがる……!!)
力武の描いていた『第三の経済条約(ウィンウィンの関係)』すら、アーサーの数百年先を見据えた「歴史観」の前では、ただの毒まんじゅうに過ぎなかった。
「平和と飽食は、種を弱体化させる。……我々がジャングルの掟(血の掟)を重んじるのは、弱肉強食という残酷なルールこそが、種族を最も長く存続させる唯一の真理だからだ。……貴様らの甘い『毒(資本主義)』で、我が国を腐らせるわけにはいかんのだよ」
アーサーは、腰に帯びた巨大な宝剣をゆっくりと抜き放った。
ただそれだけで、特区の空気が重力異常を起こしたように軋む。
「……やべえ。信長、退がれ! こいつは俺たちの手におえる『変数』じゃねえ!」
力武が叫ぶ。
「退がれるかよ! 俺はこの村を血で汚さないって決めたんだ!!」
信長が、折れかけた小太刀を構えてアーサーの前に立ち塞がる。
だが。
「……若き人間の番犬よ。貴様の不殺の覚悟、見事であった」
アーサーは、信長に向かって剣を振り下ろすことなく、ただ『一歩』、ドンッ!と強く足を踏み鳴らしただけだった。
ズドォォォォォォンッ!!
王の踏み込みから生じた物理的な衝撃波と、圧倒的な覇気が、暴風となって信長を直撃した。
「ガァッ……!?」
信長は、一撃も受けていないにも関わらず、防弾チョッキごと肋骨を砕かれ、数十メートル吹き飛ばされてテントの残骸に叩きつけられた。
「信長!!」
力武が悲鳴を上げる。
不殺の技も、経済の算盤も、全てを粉砕する「真の覇王の理不尽」。
アーサーは、倒れた信長を一瞥することもなく、血まみれで座り込むキャルルの前へと歩み寄った。
「迎えに来たぞ、我が血族よ。……国を捨て、掟を破った罪は重い。だが、貴様のその『癒やしの力』は、これからの王国には不可欠だ」
アーサーが見下ろす先。
キャルルは、震える足に力を込め、ウサギの耳をピンと立てて、立ち上がった。
背中の矢傷から血が滴り落ちている。
「……アーサーおじ様。相変わらず、理屈っぽくて頭が固いわね」
キャルルは、ポケットに残っていた最後の『苺ミルク飴』を口に放り込み、ガリッと噛み砕いた。
その瞬間、彼女の瞳が、月光のような銀色に輝き始める。
「私はもう、アンタたちの便利な『回復タンク』じゃない。……このポポロ村の、みんなの『大家』なの」
キャルルは、両手のダブルトンファーを強く握りしめ、特注の靴に仕込まれた『雷竜石』の最後の出力を解放した。
「大家が、自分の村をぶっ壊そうとする不良店子を……黙って見過ごすわけには、いかないのよ!!」
同時刻。地球、東京・総理官邸。
「……カッカッカッ!! 素晴らしい! 素晴らしいぞ、獣の王よ!!」
地下会議室のモニター越しに、アーサー王の演説と圧倒的な覇気を見た若林幸隆は、歓喜のあまり立ち上がり、拍手喝采を送っていた。
「見事な歴史観じゃ! 目先の利益に飛びつかず、国家の数百年先を見据えて自ら毒(支援)を拒絶する。……あやつは、ワシと同じ『国を背負う怪物(本物)』じゃ!!」
若林のその姿は、政治家というよりも、戦場で好敵手を見つけた武将のようだった。
彼にとって、アーサー王の存在は脅威ではなく、極上の「ゲームの相手」に他ならなかった。
「……幹事長。特区の防衛線は完全に崩壊しました。キャルル村長は限界を超えており、信長一尉も戦闘不能です」
防衛省の官僚が、青ざめた顔で報告する。
「放っておけ。本物同士のぶつかり合いじゃ。……輝夜! お前の『月』の支援物資も、獣の王の歴史観の前には通用せんかったのう!」
若林が、勝利を確信したように輝夜を振り返る。
だが、日野輝夜は。
一切の絶望を見せず、モニターの中で雷光を纏うキャルルの姿と、地に這いつくばりながらもまだ諦めていない力武の姿を、静かに見つめていた。
「……幹事長。太陽の光が強ければ強いほど、月の光もまた、その真価を問われるのです」
輝夜は、手元のタブレットを開き、ある「一つの決裁書類」のパスワードを解除した。
それは、彼女が「最後の切り札」として用意していた、霞が関の限界を超えた【超法規的措置】のプログラム。
「……若林先生。貴方と獅子王が『国家の数百年』を語るなら。私は、今ここで泣いている『たった一人の明日』を救うための政策を実行します」
霞が関の暗闇の中で、最も静かで、最も強烈な月の反逆が、異世界の戦場(ポポロ特区)のシステムを根底から書き換えようとしていた。




