EP 5
鬼提督の密かなる「手抜き」と、極限の防衛線
「……あーあ。やられちゃった。私の可愛い戦術AIちゃんが、物理的じゃなく『商流(カネの力)』でハッキングされるなんてね」
東京・総理官邸の地下会議室。
特A級AIエンジニアの早乙女蘭が、チュッパチャプスをコロコロと転がしながら、ハデに警告灯を鳴らすモニターを見つめていた。
「ポポロ・ネットの決済システムにバックドアを開けて、ドローンと民間タレットの制御権を強引に『購入』したみたい。……元商社エースの力武義正。彼、自分のオフショア口座の全財産と、ゴルド商会の不良債権を担保にして、たった一人で特区の防衛網を買い取っちゃったわ」
「カッカッカ! 傑作じゃ!!」
若林幸隆幹事長は、腹を抱えて大爆笑した。
自国の若きフィクサーが、国家の意志に反逆してまで一人の少女(大家)を守ろうとしている。その青臭くも強烈な「意地」が、政治の妖怪にとってはたまらなく面白かったのだ。
「……じゃが、太陽(国益)の前に立ち塞がるというなら、容赦はせんぞ。遊びは終わりじゃ」
若林は笑いをピタリと収め、灰皿に『ピース』を押し付けた。その瞳は、瞬時に「覇王」の冷徹なものへと切り替わった。
「シン。出雲艦隊の海兵隊をヘリで特区へ急行させろ。防衛システムを物理的に沈黙させ、キャルルを獣人どもに引き渡せ。……反逆した信長と力武は、国家反逆罪で拘束じゃ」
「……了解」
壁際で控えていた坂上真一提督は、短く敬礼すると、踵を返して会議室を出た。
だが。
分厚い防音扉が閉まり、若林の視線から外れた瞬間。
坂上は胸ポケットから『ハイライト』を取り出し、カチリとジッポライターで火をつけた。
そして、首筋のインカムのスイッチを入れ、出雲艦隊の旗艦で待機する副官へ向けて、極めて低い——生粋の「広島弁」で通信を入れた。
『——おう。ワシじゃ。今から特区へ海兵隊を飛ばせ。……じゃがな』
坂上は、紫煙を深く吸い込み、ニヤリと猛禽類のような笑みを浮かべた。
『どうにも今日は「天候」が悪いようじゃのう。ヘリのエンジンも、なぜか「原因不明のトラブル」を起こしとる。……修理と安全確認に、きっちり【60分】はかけんといけんなぁ』
通信の向こうで、歴戦の副官が一瞬息を呑み、即座に全てを察した声で応じた。
『……了解いたしました、司令! 当機は現在、深刻な計器異常に見舞われており、離陸には最低でも60分を要します!!』
「カッカッカ、ええ部下を持ったわい」
坂上はインカムを切り、官邸の薄暗い廊下の窓から、夜空に浮かぶ白い「月」を見上げた。
「……ワシは、国民に『地獄』を見せんために、兵士は地獄を歩かねばならんと教えられてきた。じゃが……」
脳裏に浮かぶのは、長野の限界集落からやってきた、無口だが芯の強い内閣府の娘(輝夜)の言葉だ。
『みんなが夜に笑って酒を飲める世界にしたい』。
「……見せてみい、信長。お前たちの目指す『月の世界』が、机上の空論じゃなく、本物の地獄(戦場)を乗り越えられるだけの強さを持っとるんか。……親父として、60分だけ時間をくれてやる」
表向きは若林に従うフリをしつつ、裏で艦隊の足を止め、若者たちの可能性に賭ける。
鬼提督による、国家の命令すら無視した、最大級の「親心(手抜き)」だった。
一方、ポポロ特区の防衛司令室。
「……クソッ! 弾薬の残量が30%を切った! ドローンのバッテリーも限界だぞ!!」
力武義正が、血走った目でモニターを睨みつけながら叫んだ。
広場では、信長が単身、ハガル率いる獣人兵の猛攻を凌いでいた。
力武が買い取った全自動タレットの援護射撃があるとはいえ、相手は死を恐れぬ五千の精鋭。徐々に距離を詰められ、防衛線は崩壊の危機に瀕していた。
「ニャングル! 追加の弾薬は買えないのか!」
『無理や! ゴルド商会の在庫もスッカラカンやで! これ以上は、金積んでも物理的に弾が出ん!』
「チィッ……! 俺の算盤でも、物理法則(弾切れ)だけはどうにもならねえか……!」
力武がギリッと奥歯を噛む。
広場に響いていたタレットの銃声が、パラパラと疎らになり始めた。
「……鉄の鳥の矢が尽きたか」
ハガルが、飛来する銃弾の密度が薄れたのを察知し、長剣を高く掲げた。
「これより、力尽くで姫を奪還する! 邪魔な日本の番犬を排除せよ!!」
『ウオォォォォォッ!!』
獣人兵たちが、タレットの死角を掻き潜り、怒涛の勢いで信長とキャルルへ向かって殺到する。
「……来るか」
信長は、刃こぼれした小太刀とサバイバルナイフを構え直し、深く、深く息を吐き出した。
(親父の言う通りだ。戦場は地獄だ。……でも、俺はこの背中の大家を、絶対に血で汚さない)
信長は、迫り来る三人の獣人兵の槍を極限のステップで見切ると、懐に潜り込み、柄の部分で正確に鳩尾と顎を打ち抜いた。
「一人! 二人! 三人ッ!」
骨を折らず、命を奪わず、ただ「意識」だけを刈り取る。
北辰一刀流の極意たる『気』のコントロールと、米軍レンジャーのCQBが完全に融合した、究極の「不殺の武力」。
だが、多勢に無勢。
背後から襲いかかってきた豹の獣人の蹴りが、信長の脇腹にクリーンヒットした。
「ガハッ……!」
肋骨が軋む音と共に、信長が数メートル吹き飛ばされ、地面を転がる。
「信長!!」
力武が司令室のモニター越しに叫ぶ。
「そこまでだ、番犬」
ハガルが、倒れた信長の首筋に冷たい長剣の切っ先を突きつけた。
「貴様の腕は賞賛に値する。……だが、殺意を持たぬ剣では、我ら獣の『誇り』は砕けん。眠れ」
ハガルが剣を振り下ろそうとした、その瞬間だった。
「——待ちなさい!!」
広場に、鈴を転がすような、しかし凛とした声が響いた。
ハガルの剣がピタリと止まる。
信長を庇うようにフラフラと立ち上がったのは、背中に矢の傷を負い、顔面を蒼白にしたキャルルだった。
「キャ、キャルル姫……! お下がりください! その傷では……」
ハガルが動揺を見せる。
キャルルは、ポッケから泥だらけになった『苺ミルク飴』を取り出し、ペロリと舐めた。
「……ハガル。アンタたち、私の店子(信長)に手を出したわね。……大家として、これ以上好き勝手はさせないわよ」
キャルルの体から、これまでとは全く異質の、圧倒的で暴力的な『紫電の雷光』がバチバチと弾け始めた。
特注の靴に仕込まれた『雷竜石』が、彼女の怒りに呼応して限界突破の出力を上げているのだ。
「なっ……姫!? まさか、その怪我で『アレ』を放つつもりですか!? 命に関わりますぞ!!」
ハガルが驚愕の声を上げる。
「アンタたちが帰らないなら、私が全員……ぶっ飛ばして、全回復させてあげるわ!!」
月兎族の直系血族にして、冒険者たちから『雷神』と恐れられた彼女の真の力。
日本の軍事力が沈黙した今、異世界最強の家出娘による「天国と地獄のヤキ入れ」が、レオンハートの軍勢に牙を剥こうとしていた。




