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EP 9

スタジアムの熱狂と、絶対君主の『推し活(聖域)』

——その少し前。福岡PayPayドーム、アリーナVIP席。

約五万人の観客の熱気が渦巻く巨大空間は、重低音と色とりどりのレーザー光線に支配されていた。

「アァァァァァッ!! 月人きゅぅぅぅんッ!! こっち見てぇぇぇッ!!」

アリーナの最前列ど真ん中。

絶世の美貌を持つアバロンの絶対魔王・ラスティアは、両手に三本ずつ(計六本)のペンライトを指に挟み、千手観音のような恐るべき速度で天高く振り乱していた。

頭には『月人推し』と書かれたハチマキ。手にはルーベンスに作らせた『確定ファンサして・ブラックホール撃つぞ』の特製うちわ。

「……信長。俺、もう帰っていいかな。あのババ……いや、魔王様、テンション上がるたびに漏れ出す魔力オーラで、周囲の空間がミシミシ歪んでるんだけど」

彼女の数メートル後ろでSPとして控えている平上雪之丞は、冷や汗をダラダラと流しながらインカムを押さえた。

実際、ラスティアが「キャァァッ!」と叫ぶたびに、彼女の周囲だけ重力が異常に重くなり、空中に浮かぶ紙吹雪がパリンッとガラスのように砕け散っているのだ。

「耐えろ、雪之丞! 俺たちの任務は、この『祭典』を何事もなく終わらせることだ!」

坂上信長は、ブラックスーツの下の筋肉をパンパンに張らせながら、周囲を鋭く警戒していた。

そんな彼らのインカムに、突如として父・坂上提督の怒声が叩き込まれた。

『——信長! 雪之丞! 聞こえるか!! ルナミス帝国の暗部が飼い慣らしている「死蟲王サルバロス」の擬態工作員どもが、ドームの次元防壁を食い破って侵入した!!』

「なっ……テロリストだと!?」

信長の顔に緊張が走る。

『奴らの狙いは、ドームに集まった5万人の観客の「魂(贄)」と、手薄になった魔王様の暗殺じゃ!! ええかお前ら、絶対に、絶対に魔王様に気付かせるな!! もしライブが中止にでもなったら……』

「……フクオカが、文字通り地図から消し飛びますね」

インカムの向こうから、胃痛で死にそうな声を出している軍師ルーベンスの呟きが聞こえた。

ただでさえ限界オタクと化している絶対君主から「推しとの尊い時間」を奪えば、怒り狂った彼女の無意識の重力魔法で、博多の街は一瞬にしてブラックホールに飲み込まれるだろう。

『俺たちも今からそっちへ向かう! それまで、お前らの手でドームの裏側を守り抜け!!』

通信が切れる。

信長と雪之丞は、顔を見合わせた。

「……雪之丞。お前はドームの上空へ向かえ。死蟲の航空部隊が必ず来る。俺はバックヤードに侵入したネズミどもを狩る」

「はぁ〜、最悪だ。俺の愛する中洲のキャバ嬢たちが住む街を、キモい虫どもに荒らされてたまるかよ」

雪之丞はネクタイを緩め、『カラマーゾフの兄弟』のイワンのごとく、人間の業と狂気を嘲笑うような冷たい目を細めた。

「神も悪魔も、結局はオタク(俗物)だ。……なら、俗物の娯楽エンタメを邪魔する無粋な輩には、現代兵器の地獄を見せてやるよ」

雪之丞が足早にドーム外へ向かうのと同時に、信長もまた、関係者専用のバックヤードへと音もなく姿を消した。

ドーム裏、機材搬入用通路。

薄暗いコンクリートの廊下を、警備員に擬態したルナミスの工作員(死蟲の化身)たちが、不気味な複眼を光らせながらアリーナへと向かっていた。

彼らの手には、観客の魂を吸い取るための禍々しい魔導器が握られている。

「……まずは電源車を破壊し、会場を暗闇に包む。パニックに乗じて、魂を……」

工作員のリーダーが仲間に指示を出そうとした、その瞬間。

シュッ。

暗闇から伸びた屈強な腕が、リーダーの口を背後から完全に塞ぎ、同時に首の頸動脈をピンポイントで締め上げた。

「……グッ、ガ……!?」

「静かにしろ。表で歌っているアイドルの声が聞こえなくなるだろうが」

背後から声を発したのは、スーツ姿の信長だった。

米陸軍レンジャー部隊で叩き込まれた、完璧なCQB(近接戦闘)とサイレント・キリングの技術。

さらに、彼の根底にある『五輪の書』の「くうの巻」の教えが、自身の殺気すら完全にゼロに消し去っていた。

「バッ……貴様、何者……!」

他の工作員たちが一斉に魔力で形成した刃を構える。

だが、信長は腰に忍ばせていた特殊合金のサバイバルナイフを逆手に構え、極限まで姿勢を低くした。

「俺はただの番犬だ。だが、大家(魔王)の機嫌を損ねる害虫には、容赦はしない!」

ダンッ! と、コンクリートを砕くほどの踏み込み。

信長は、魔法を詠唱しようとした工作員の懐に瞬時に潜り込み、顎の下から脳天へ向けてナイフを突き立てた。

魔力による防壁など意味をなさない。発動する前に、物理的な『急所』を破壊する。

「一人! 二人! 三人ッ!」

血飛沫すら最小限に抑える、極めて事務的で冷酷な殺戮。

信長の動きに無駄はない。彼はただ、数メートル先の扉の向こうで『推し活』に夢中になっている魔王の耳に、一切のノイズを届けまいと、完全なる無音の世界で刃を振るい続けた。

一方、その頃。

ドームのさらに上空、高度1万メートルの夜空。

『こちら雪之丞。……キモい羽虫(死蟲機)の編隊、レーダーで捕捉した。数は50ってとこか』

福岡空港の緊急用滑走路から飛び立ったF-35Bのコックピットで、雪之丞はヘルメットのバイザー越しに、ドームへ急降下しようとする敵の群れをロックオンした。

相手は魔法による光学迷彩を展開しているが、地球の赤外線探知と熱源センサーの前では丸裸同然だった。

『……人間の幸福ってのはな、金曜の夜に酒を飲んだり、アイドルのライブで叫んだりする、そういう「どうしようもない俗っぽさ」の中にこそあるんだよ』

雪之丞は、操縦桿のトリガーに指をかけた。

『ドストエフスキーも言ってたぜ。そういう小さな幸福を奪う権利は、誰にもねえってな!』

カチッ。

F-35Bから、数十発の空対空ミサイルが一斉に火を噴いた。

音速を超える破壊の槍が、夜空に隠れていた死蟲機たちを次々と貫き、空中で音のない花火(爆炎)を次々と咲かせていく。

地上では信長の『点(CQB)』の暴力が。

上空では雪之丞の『面(航空支援)』の暴力が。

観客たちが熱狂するドームの薄皮一枚隔てた裏側で、日本の自衛隊は「限界オタクの魔王」の平和(オタ活)を守るため、ルナミスのテロリストたちを文字通り「一方的にミンチ」にしていた。

「——よっしゃ! バックヤードのネズミは片付けたぞ!」

返り血ひとつ浴びていない信長が、インカムで報告する。

『こちらも空の掃除は完了。……まったく、俺たちの給料、魔王のチケット代(転売価格)より安いんじゃねえの?』

雪之丞が上空からぼやく。

だが、彼らが安堵の息を吐きかけた、まさにその時だった。

『——ワアァァァァァッ!!』

ドームの内部から、割れんばかりの大歓声が湧き上がった。

信長が慌ててアリーナの扉の隙間から覗き込むと、ステージ上の朝倉月人が、マイクを握りしめてスポットライトを浴びていた。

「みんなー! 今日は来てくれてありがとう! 次の曲は、俺の大切な恩人『L』さんが作ってくれた、今一番熱いこの曲だ!! 聴いてくれ! 『降臨!聖獣機神ガオガオン』!!」

ドォォォンッ!! と、ステージ上で派手な火柱が上がる。

そして、イントロの重厚なブラス音が鳴り響いた瞬間。

「…………ッ!!」

VIP席の魔王ラスティアの動きが、ピタリと止まった。

(マズい……! ラスティア様が「ガオガオン」の生歌唱で、テンションの限界を突破してしまう……!!)

通信機越しに、タクシーで駆けつけようとしている軍師ルーベンスの悲鳴が聞こえた。

信長は全身の毛穴がぶわっと開くのを感じた。

テロリストは片付けた。だが、最大の『爆弾』は、今まさに客席のど真ん中で起爆しようとしていたのである。

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