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EP 7

魔王、博多に降臨す(と、胃痛の軍師の休息)

翌日の昼下がり。福岡市・天神の地下街。

「陛下……お願いですから、少し落ち着いてください。周囲の人間サルどもが、ジロジロとこちらを見ております」

変装用の黒スーツに身を包んだアバロン皇国の天才軍師ルーベンスは、胃の辺りを押さえながら悲鳴に近い声を出していた。

彼の両手には、朝から並んで買い集めた『朝倉月人・5大ドームツアー限定グッズ』の紙袋が、これでもかとぶら下がっている。

「何言ってるのよ、ルーベンス! この『ご当地限定アクリルキーホルダー(明太子ver)』の可愛さが分からないの!? さすが月人きゅん、どんな被り物でも完璧なビジュアルだわ……!」

変装用のキャップを深々と被った魔王ラスティアは、両手に握りしめたグッズを見つめ、完全に「限界突破したオタク」の顔になっていた。

彼女の放つ絶世の美貌と、無意識に漏れ出す高位の魔力オーラは、どれだけ変装しようとも隠しきれるものではない。すれ違う通行人たちが、男女問わず魅入られたように振り返っている。

「(……いかん。このままでは目立ちすぎる。日本の諜報機関に目をつけられるのも時間の問題だ……)」

ルーベンスが周囲への警戒レベルを最大まで引き上げた、その時だった。

「——ようこそ、大日本帝国・フクオカへ。アバロンの誇る絶対君主殿」

地下街の喧騒の中、全く殺気を感じさせない、だが恐ろしく通る低い声が響いた。

ルーベンスが弾かれたように振り返ると、そこには仕立ての良いスーツを着こなし、葉巻のようなタバコ(ハイライト)の匂いを漂わせた初老の男——出雲艦隊打撃軍・総司令官の坂上真一が立っていた。

少し離れた柱の陰には、私服姿の信長と雪之丞が、周囲の一般人を自然に遠ざけるように立っている。

「……ッ! 貴様、日本の軍属か!」

ルーベンスの足元の影が、刃のように鋭く形を変える。

だが、坂上は両手を上げて「降参」のポーズをとり、人懐っこい笑みを浮かべた。

「待て待て、軍師殿。物騒な魔力を練るのはやめてくれ。俺たちは『敵』として来たんじゃない。……遠路遥々お越しいただいたVIP(お得意様)を、最高のエスコートでお迎えに上がったんじゃ」

坂上はそう言うと、背後に控えていた信長に顎で合図をした。

信長が恭しく差し出したのは、重厚な装丁の『朝倉月人・プレミアム写真集(直筆サイン入り)』と、関係者しか手に入らない『ツアースタッフ専用ジャンパー』だった。

「——ッ!! そ、それは……ファンクラブのポイント抽選でしか手に入らない、超レアアイテム……!?」

ラスティアの瞳が、限界まで見開かれた。

絶対的な闇の魔力が、一瞬にして「キラキラとした乙女の歓喜」へと変換される。

「お気に召したかな? 我が国からの、ささやかな『歓迎の印』じゃ。……さあ、こんな地下街で立ち話もなんだ。静かで、極上のメシが食える場所を用意してある。今夜の『祭典ライブ』に向けて、英気を養っていただこう」

坂上がニヤリと笑う。

武力による威圧でも、経済による牽制でもない。相手の最も深い『欲(推し活)』を完全に掌握した、圧倒的な「おもてなし(兵站)」。

指揮官としての坂上の決断は、魔王の警戒心を1秒で粉砕した。

「……行くわ。案内しなさい、日本のオジサン」

「へ、陛下!? 敵の罠かもしれませんぞ!」

「月人きゅんの直筆サインをダシに使うような国に、悪い奴はいないわ」

ラスティアはサイン入り写真集を胸に抱きしめ、ウキウキとした足取りで坂上の後についていく。

ルーベンスは、己の主君のあまりのチョロさに、もはや言葉を失い、天を仰ぐことしかできなかった。

数十分後。博多区にある高級料亭の完全個室。

「……美味い。なんだこの『モツ鍋』という料理は……! 濃厚なスープに、この絶妙な歯応えの臓物。悪魔的な背徳感ジャンクさがありながら、いくらでも食べられるわ!」

ラスティアは、目の前に用意された最高級の和牛モツ鍋を、それこそブラックホールのような勢いで平らげていた。傍らには、先ほど貰ったサイン入り写真集が、汚れがつかないよう透明なケースに入れられて飾られている。

「カッカッカ! 気に入っていただけて何よりじゃ。シメには『ちゃんぽん麺』という魔法の炭水化物があるけえ、腹を空かせておいてくだされ」

坂上が鍋の火加減を調整しながら、豪快に笑う。

その和やかな光景から少し離れた、個室の縁側。

庭園の池を見下ろす場所で、ルーベンスは一人、深い深いため息をついていた。

「……どうした軍師殿。飯が喉を通らんか?」

坂上が、ハイライトを咥えながら縁側へ歩み出てきた。

ルーベンスは、警戒を解かないまま冷たい視線を向ける。

「……日本のトップは、恐ろしい男のようだな。私の経済工作を無力化しただけでなく、我が主君の『最大の弱点』をこうも容易く握るとは」

「弱点? 違うのう。俺たちにとって、魔王様の推し活は『最大のビジネスチャンス』じゃ」

坂上は煙を吐き出し、胸ポケットから一つの小冊子を取り出した。

それは、日本の『競馬新聞(専門誌)』だった。

「……ん?」

ルーベンスの目が、その紙面に釘付けになる。

「さっき、地下街で案内を待っとる時、あんたがスマホでアバロンの『ワイバーン・レース』の出馬表を見とるのが見えてな。……どうじゃ、日本の馬も見てみるか? 今週末は大きなG1レース(祭典)があるんじゃ」

坂上が競馬新聞を差し出す。

ルーベンスは一瞬躊躇したが、その「オッサン共通の誘惑」に抗えず、スッと新聞を受け取った。

「……ほほう。日本の『馬』は、翼もないのにこれほどの速度で走るのか。この『逃げ馬』の血統、なかなか興味深い。だが、このオッズは少々過大評価ではないか?」

「カッカッカ! 分かるか軍師殿! 俺もそう思っとったんじゃ! この馬は前走でスタミナを使いすぎとる。狙うならこっちの『差し馬』じゃ!」

坂上が赤ペンで印をつけながら熱く語る。

いつしか、アバロンの天才軍師と、出雲艦隊の鬼提督は、縁側で肩を並べて競馬新聞を覗き込むという、ひどくシュールな光景を作り出していた。

ルーベンスは、懐から取り出した安煙草に火をつけ、深く吸い込んだ。

「……恐ろしい国だ。武器を向けられれば、どれほど強大な軍隊であろうと私は知略で打ち破る自信があった。……だが、美味い飯と、趣味の娯楽、そして極上の『気遣い』で来られると……毒を抜かれる」

ルーベンスの言葉に、坂上はニヤリと笑った。

「それが、我が大日本帝国の『専守防衛(やり方)』じゃ。……アンタも胃痛持ちで苦労しとるようじゃが、ウチと組めば、少なくともアンタの主君は『推し』の供給で大人しくなる。悪い話じゃあるまい?」

「……確かに。私の胃の平穏のためには、悪くない取引かもしれないな」

ルーベンスは、初めて軍師としての仮面を外し、ただの一人の疲れた中年男として、小さく笑った。

だが、この奇妙な友情と平穏が、そのまま終わるはずがない。

夜のPayPayドームで、彼らを巻き込む「最大の狂乱」が、すぐそこまで迫っていた。

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