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EP 3

アバロンの監視者と、ため息の軍師

アバロン皇国、帝都の地下深くに位置する「戦略魔導院」。

氷のように冷たい輝きを放つ無数の水晶球(監視モニター)に囲まれた部屋には、不釣り合いなほど香ばしい深煎り珈琲と、紫煙の匂いが充満していた。

「……見事な『創造的破壊』だな。我々の魔導通信網が、完全に別次元のルールで上書きされている」

アバロン皇国の天才軍師、ルーベンス。

彼はヨレヨレの黒いローブの胸元を開け、片手に使い込まれた競馬新聞を、もう片方の手には安煙草を挟みながら、ひどく重いため息を吐き出した。

目の前の水晶球は、かつてポポロ村周辺の魔力波長を隅々まで監視していた。しかし今、そこに映るのはノイズばかりだ。日本が構築した『ポポロ・ネット』は、アバロンの監視網を一切寄せ付けない「情報のビッグ・ブラザー」として機能していた。

「イノベーション(新結合)とは、常に外部からやってきて古い秩序を破壊する。……海の向こうの老狸は、一発の魔法も撃たず、情報統制と関税の壁でこの大陸を経済から支配する気か」

ルーベンスは、テーブルに置かれた『経済発展の理論』のページをパラパラと捲りながら、鋭い目を細めた。

圧倒的な生産力を持つ日本の資本が入り込めば、大陸の職人ギルドや農業ギルドは価格競争に敗れ、瞬く間に崩壊する。そして気づいた時には、大陸中の民が日本の製品なしでは生きられない奴隷へと成り下がるのだ。

「物理的な侵略ではなく、情報と経済による『非対称戦』。……上等だ。ならば、貴様らのその鉄壁の『関税システム』を、内側から食い破ってやろう」

ルーベンスは煙草を灰皿に押し付けると、足元の影に向かって低く呟いた。

「——シャドウよ。ルナミス国境付近の隠し工房を動かせ。極めて純度の高い『偽造魔石』を大量に精製し、ポポロ村の市場へ流し込むのだ」

ルーベンスの足元の影が蠢き、音もなく広がっていく。

闇魔法による超遠隔の指示。彼は日本の関税システムに対し、偽造通貨による「ハイパーインフレ(経済攪乱)」という毒を仕掛ける決断を下したのだ。

「さあ、日本の商人ども。我々の古代錬金術で作った偽造魔石を見破り、市場の崩壊を防げるか? 手並みを拝見させてもらおう」

ルーベンスは、ニヤリと軍師らしい冷酷な笑みを浮かべた。

……が。

その直後、彼の胃の奥底が「キリッ」と鋭く痛み、顔をしかめた。

「……くそっ。日本の経済侵略などより、よほど『深刻な問題』が上には控えているというのに……」

ルーベンスは胃薬を水で流し込むと、重い足取りで戦略魔導院を出て、絶対的な主君が待つ白亜の玉座へと向かった。

帝都の最上層、玉座の間。

そこは、入室しただけで凍りつくような、凄まじい威圧感と魔力に満ちていた。空間そのものが、玉座に座る「ただ一人の存在」の重力魔法によって歪んでいるのだ。

魔王ラスティア。

アバロン皇国を統べる絶対君主にして、次元すら切り裂く力を持つ絶世の美女。

彼女の哲学の根底にあるのは『ツァラトゥストラはこう語った』における「超人」の思想。群衆の価値観や矮小な国のルールなどには縛られず、ただ己の意志と快楽のみで世界を裁く絶対者である。

「——という次第です、陛下。日本国は、武器ではなく『経済』と『情報の遮断』で我々の首を絞めに来ています。早急に……」

ルーベンスが恭しく頭を下げ、日本の脅威と自身の対抗策(経済攪乱)について報告を上げる。

だが。

「……ねえ、ルーベンス」

玉座に寝そべるように寄りかかっていた魔王ラスティアは、ルーベンスの深刻な報告を完全に「上の空」で聞き流していた。

彼女の手には、親友であるコタツの女神・ルチアナが地球から持ち込んだ「スマートフォン」が握りしめられている。

「この『FCファンクラブ先行抽選』っていうのは、なんでこんなに当たらないの? 私、国庫から特別予算を組んで名義を50個くらい増やしたはずなんだけど」

「…………は?」

ルーベンスの思考が、一瞬完全に停止した。

魔王のスマホの画面には、日本の大人気イケメンアイドル『朝倉月人』の眩しい笑顔と、「チケットご用意できませんでした」という無慈悲な文字が映し出されている。

「へ、陛下。今、国庫の特別予算とおっしゃいましたか?」

「ええ。月人きゅんの5大ドームツアー、フクオカ公演よ。アリーナ最前列のVIP席を狙ってるんだけど、地球の抽選システムっていうのは随分と強固ね。私の重力魔法でも確率を曲げられないわ」

ラスティアは、信じられないほど美しい顔で、信じられないほど俗物的な愚痴をこぼした。

(……このババア、また国の予算を横領してアイドルのファンクラブにつぎ込みやがったのか!!)

ルーベンスの胃痛がマッハで加速する。

日本の経済侵略よりも何よりも、アバロン皇国の財政を一番圧迫しているのは、他でもないこの「限界オタクの女帝」の推し活費用だった。

「へ、陛下! 今はそれどころでは……! 海の向こうの強大な国家が、我々のすぐ足元まで迫っているのですよ!」

「だから何だと言うの、ルーベンス。そんな下界の『蟻の行列(経済)』など、私がブラックホールを一つ落とせば済む話でしょう?」

ラスティアは退屈そうに銀色の髪を払い、絶対者の冷気を漂わせた。

「それよりも大問題よ。ルチアナの奴、月人きゅんのために書いた新曲の印税で、地球の『高級カニ缶』を箱買いして自慢してきたの。調停者のくせに生意気ね……」

彼女はスマホの画面をスワイプしながら、ギラギラとした猟犬のような目で立ち上がった。

「決めたわ。チケットが当たらないなら、直接『日本フクオカ』に乗り込むまでよ。次元の扉を開きなさい、ルーベンス。……私が直々に、地球のうどんとラーメンを平らげ、月人きゅんの『入り待ち』をしてやるわ」

「……正気ですか!? 一国の主が、敵国のど真ん中へお忍びで乗り込むなど……!」

「私の意志が、世界のルールよ。行くわよ」

絶対魔王の暴走(オタ活)は、もはや誰にも止められない。

かくして、日本の妖怪(若林)が仕掛けた経済戦争の裏側で、アバロン皇国の首脳陣は「アイドルのライブ遠征」という、あまりにもふざけた、しかし致命的な理由で日本本土へと向かうことになったのである。

ルーベンスは、玉座の間で独り、三回目となる深い深いため息を吐き出し、胃薬の瓶を丸ごと飲み込んだ。

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