冒険者の一夜。
部屋に入ると、中は真っ暗だった。
窓のカーテンの隙間から、月明かりがわずかに差し込んでいるだけだ。家具の輪郭がぼんやりと浮かび上がっているものの、部屋の隅までは見通せない。
「こっちだよ、アンナ」
レイは彼女の手を優しく引いた。
暗闇の中、アンナは少し緊張した面持ちで、導かれるままに椅子へ腰を下ろす。
「ちょっと待っていてくれるかい?」
そう言うと、レイはアンナの上着に手をかけた。
「……っ」
不意に肩へ触れられ、アンナの身体がぴくりと跳ねる。
「ごめん。驚かせたかな?」
「い、いえ……大丈夫です」
アンナは恥ずかしそうに答えた。
レイは微笑み、脱がせた上着を手に取る。自分の上着と一緒に、部屋の端にある衣服掛けへと丁寧に掛けた。
それから、テーブルの上に置かれた燭台へ歩み寄る。
カチリ、と火打ち石の音がして、小さな炎が灯った。
柔らかな橙色の光が、ゆっくりと部屋を照らしていく。
レイの黒髪と整った顔立ちが浮かび上がり、アンナの赤らんだ頬にも、淡い光が差した。
「暗い部屋ですまないね。普段は明かりをつけずに過ごすことが多くてさ」
「ううん、平気です」
アンナは首を横に振った。
「これくらいのほうが、実家みたいで落ち着きます」
「そうか」
レイはくすりと微笑んだ。
「落ち着けるなら、なによりだよ」
そう言って、彼女の向かいに腰を下ろす。
しばらく、二人の間に穏やかな沈黙が流れた。
アンナは膝の上で両手を握り合わせている。酒場ではあれほど自然に話せていたのに、今は何を話せばいいのかさえ分からなかった。
そんな彼女の様子を、レイは静かに見つめていた。
「……緊張してる?」
「は、はい」
アンナは正直に頷いた。
「その……二人きりで、こういうふうに過ごすのは初めてで……」
「なるほどね」
レイは少し考えるように目を伏せた。
そして、ふと思いついたように顔を上げる。
「そうだな。こっちへ来て、アンナ」
「えっ?」
差し出された手を見つめ、アンナは瞬きをした。
レイは急かすことなく、彼女の返事を待っている。
アンナは小さく息を吸うと、その手を取った。
優しく引かれ、立ち上がる。
そのまま導かれるように歩き、アンナはベッドの端へと腰を下ろした。
柔らかな寝具が身体を受け止める。
途端に、胸の鼓動が速くなった。
――もう、始まるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、アンナは落ち着かない様子でレイを見上げた。
けれど、レイは彼女の隣に座ることもなく、穏やかな声で告げた。
ベッドの端に座るアンナを見て、レイはふっと微笑んだ。
「働いていて疲れているだろう? 靴を脱がせてあげるよ」
「えっ……?」
返事を待たず、レイはアンナの前に膝をついた。
そして、彼女の片足をそっと持ち上げ、ブーツごと自分の膝に乗せる。
「レ、レイさん! 自分でできますから!」
アンナは慌てて足を引こうとした。
けれど、レイは驚くほど落ち着いていた。
「大丈夫。俺に任せて」
「で、でも……!」
「いいから。せっかく二人きりなんだ。少しくらい、君を甘やかさせてくれないかな?」
穏やかな笑顔を向けられ、アンナはそれ以上強く言えなくなってしまった。
レイはブーツの紐に指をかける。
一本ずつ、絡まないようにゆっくりと解いていく。慣れた手つきで結び目をほどき、足首を支えながら、革のブーツを丁寧に脱がせた。
続いて、もう片方のブーツにも手を伸ばす。
アンナは恥ずかしさに耐えながら、じっとその様子を見つめていた。
酒場で一日中働き、店内を歩き回っていた足だ。
ブーツの中にこもった熱と湿気が逃げ、わずかに酸っぱい、鼻をつくような匂いが漂った。
レイはふと、手を止める。
「……少し匂うね」
「~~っ!」
アンナの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「ご、ごめんなさい! 私、ずっと働いていたから……!」
慌てて足を引っ込めようとする。
「私、清潔じゃないですよね……」
今にも泣きそうな声だった。
そんなアンナを、レイはゆっくりと見上げた。
「そんなことないよ?」
責める様子も、嫌悪する様子もない。
ただ、いつもの落ち着いた微笑みを浮かべていた。
「一日中、立ちっぱなしだったんだろう? 頑張って働いていた証拠じゃないか」
「で、でも……」
「俺は気にしないよ」
そう言って、レイは再びアンナの足に視線を落とした。
そして、彼女の足先へ顔を近づける。
「レ、レイさん……?」
アンナが戸惑う間もなく、レイはそっと匂いを確かめた。
「っ、あの……!」
アンナは耐えきれず、レイの頭に手を伸ばした。
「だ、ダメです! そんなに近づいたら……!」
ぐい、と離そうとする。
けれど、レイは顔を上げ、彼女の目を見つめた。
「嫌だった?」
不意に尋ねられ、アンナの手が止まる。
「そ、それは……」
嫌だと言い切れない自分に、アンナ自身が戸惑っていた。
レイはそんな彼女の様子を見つめ、少しだけ悪戯っぽく微笑む。
「……じゃあ、もう少しだけ」
そう囁き、彼女の足にそっと口づけた。
「ひゃっ……!」
アンナの足が、ぴくりと跳ねる。
予想もしなかった感触に、彼女は思わず息を呑んだ。
「レ、レイさん……ダメです、そんな……あっ……!」
言葉とは裏腹に、声がうまく続かない。
レイは彼女の反応を確かめるように顔を上げた。
その表情には、余裕のある微笑みが浮かんでいる。
「……アンナ」
「は、はい……」
「本当に嫌なら、ちゃんと言ってくれ。俺は、君を困らせたいわけじゃないからね」
その言葉に、アンナは唇をきゅっと結んだ。
恥ずかしい。どうしようもなく恥ずかしい。
それなのに、自分のことを少しも汚いものとして扱わないレイの優しさが、胸の奥をくすぐっていた。
「……嫌、じゃ……ないです」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
レイは一瞬だけ目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「そう。よかった」
アンナは真っ赤な顔を両手で覆った。
今夜はきっと、この人に敵いそうにない。
そんなことを思いながら。
レイは再びアンナの足元へ顔を近づけた。
足の指先に触れ、指と指のあいだへそっと舌先を滑らせる。
「……っ」
アンナの身体が、ぴくりと跳ねた。
蝋燭の頼りない炎が揺れる。薄暗い部屋に二人の影が重なり、静寂の中、アンナの押し殺した息遣いだけがかすかに響いていた。
レイは彼女の反応を確かめながら、足首からふくらはぎへと手を移していく。ゆっくりと揉みほぐす指先が、少しずつ上へと進む。
アンナは膝の上でシーツを握りしめた。
恥ずかしい。どうしたらいいのか分からない。
それなのに、目の前のレイから目を離せなかった。
レイが顔を上げる。
金色の瞳と視線がぶつかった瞬間、アンナはとうとう我慢できなくなった。
「……レイさんっ」
彼女は勢いよく身を乗り出し、レイに抱きついた。
レイは小さく目を見開いたものの、すぐに優しく微笑む。
「……ふふ」
背中をぽん、ぽん、と優しく叩く。
それからアンナの身体をそっと支え、ベッドへと横たえた。
アンナはレイの服をぎゅっと掴んだまま、潤んだ目で彼女を見上げていた。
もう、言葉はいらなかった。
アンナは両手でレイの頬を包み、夢中で唇を重ねた。
一度離れても、すぐにまた求める。
レイの反応を確かめる余裕さえなく、何度も口づけを繰り返した。
やがてアンナは、わずかに開いたレイの唇へ自分の舌をねじ入れた。
白い歯に触れ、ためらう事なく、その隙間を探る。
レイが小さく息を呑んだ。
けれど、彼女はアンナを拒まなかった。
アンナはますます夢中になり、唇を離しては重ね、名残を惜しむように口づけを深めていく。
レイは目を閉じ、されるがままに身を委ねていた。
そのあいだも、片手はアンナの背中をゆっくりと撫でている。
やがて、レイの指先が自分のシャツへ伸びた。
アンナが唇を重ねている隙に、ボタンをひとつずつ外していく。
そして最後のボタンが外れたとき、シャツが肩からはらりと滑り落ちた。
蝋燭の淡い光が、レイの白い肌を照らし出す。
アンナはようやく唇を離した。
すぐ目の前にある、レイの美しい顔。
その顔が今、自分のすぐそばにいる。
アンナは息を弾ませながら、レイを見つめた。
レイはそんな彼女の頬にそっと触れ、静かに微笑んだ。
アンナは、目の前にあるレイの上半身を見つめていた。
蝋燭の淡い光に照らされた、白く美しい身体。しなやかに引き締まった肌には、服の上からでは、
想像もつかないほどの色香があった。
けれど、その身体には、本来あるはずのないものがついていた。
布を巻き、目立たないようにしている。それでも、暗がりの中でさえ、その存在を隠しきれてはいなかった。
「え……あ……これって……」
アンナの声が震える。
レイは答えなかった。ただ、黄金色の瞳を伏せ、少し悲しそうに微笑んだ。
「……ダメかい?」
いつもの余裕は、そこにはなかった。
アンナは戸惑っていた。
目の前の光景をどう受け止めればいいのか、すぐには分からない。頭の中でいくつもの考えが巡り、言葉が出てこなかった。
そんなアンナの様子を見て、レイは小さく息を吐いた。
「……そうだよね。驚かせて、ごめん」
そう言って、ゆっくりと身体を離そうとする。
その瞬間だった。
ぎゅっと、腕を掴まれた。
「……っ」
レイが振り返る。
アンナは、レイの腕を強く握りしめていた。指先は少し震えていたが、その手が離れることはなかった。
「行かないでください……」
か細い声だった。
レイの黄金色の瞳が、わずかに見開かれる。
「私なら、大丈夫です」
アンナは言葉を探すように、いったん視線を落とした。
「少し……驚いただけ……」
まだ戸惑いは残っている。それでも、アンナはレイを引き留めていた。
レイはしばらく、彼女の顔を見つめていた。
やがて、驚きに見開かれていた瞳がゆっくりと和らぐ。
「……ありがとう、アンナ」
レイは優しく微笑んだ。
その笑顔を見て、アンナの頬が赤く染まる。
レイは彼女の頬にそっと触れ、顔を近づけた。アンナは目を閉じ、彼女を受け入れるように小さく頷く。
そしてレイは、アンナを優しくベッドへ押し倒した。
蝋燭の炎が揺れる。
二人の影が、再びひとつに重なった。
長い夜は、まだ始まったばかりであった。




