黒髪の冒険者。
迷宮都市グランゼル。
大陸各地から冒険者が集まるこの街では、朝から晩まで誰かが迷宮へ潜り、誰かが傷つき、誰かが帰らぬ人となる。
酒場には武勇伝が溢れ、冒険者ギルドには未帰還者の名前が積み重なる。
それでも人は迷宮へ向かう。
金のため。名誉のため。失ったものを取り戻すため。
あるいは、ほかに生きる術を持たないから。
「……ったく。割に合わねえ」
街の北門から戻ってきた黒髪の冒険者は、手にした革袋を揺すった。
中で鳴ったのは、わずかな硬貨の音。
漆黒の髪は耳が見えるほど短く切り揃えられ、前髪だけが少し長く額にかかっている。
黄金色の瞳は、獲物を見定める野生の猫を思わせた。
身に着けているのは、暗い灰色の上着に黒い革鎧。腰には使い込まれたロングソード。背中には小型のボウガンを固定し、膝まで届くブーツの内側には、いくつかの仕掛けを施している。
飾り気はない。
だが、装備のどこにも無駄がなかった。
黒髪の冒険者――レイは、街路を行き交う人々を眺めながら歩いていた。
武器商人の呼び込み。荷車を引く獣人。迷宮から戻ったばかりの冒険者たち。露店の前で値切り合う商人と客。
いつもと変わらない光景だ。
レイは人混みを避けるように路地へ入り、冒険者ギルドへ向かった。
今日の依頼は、街の外れにある廃村の魔物討伐。
村を占拠していたのは、ゴブリンの群れだった。
依頼書には八体と書かれていたが、実際には十二体。
しかも、そのうち二体は通常種よりも大きかった。
依頼の情報が古かったのか。それとも、数を少なく見積もられていたのか。
どちらにしても、依頼主に文句を言ったところで、失った時間は戻らない。
「次は受ける前に確認するか……」
独り言をこぼし、レイはギルドの扉を押し開けた。
冒険者ギルドの内部は、昼前だというのに騒がしかった。
依頼書が並ぶ掲示板の前には人だかりができ、受付では報酬の受け取りや新規登録の手続きが行われている。
奥の酒場では、すでに酒を飲んでいる者までいた。
レイは人混みをすり抜け、討伐報告の受付へ向かう。
「討伐依頼の報告だ」
「お帰りなさい、レイさん。依頼書をお願いします」
受付嬢に依頼書を渡す。
彼女は内容を確認し、眉を寄せた。
「……十二体ですか?」
「ああ。依頼書には八体とあったが、実際にはもっといた。巣穴も見つけたから、そこも潰しておいた」
「それは助かります。確認できれば、追加報酬を申請できると思います」
「頼む」
レイは討伐証明となる魔石と、持ち帰った証拠品をカウンターへ置いた。
受付嬢が手続きを進める間、レイは背後の気配に意識を向ける。
誰かが近づいてきていた。
「よう、レイ。今日も一人か?」
振り返ると、見覚えのある男が立っていた。
年齢は三十前後。頑丈そうな鎧を着込み、腰には幅広の剣を吊っている。
名前は覚えている。
スマルグ。以前、何度か依頼を共にした冒険者だ。
だが、親しく付き合いたい相手ではなかった。
「見りゃ分かるだろ」
「相変わらず愛想がねえな。そんなんじゃ、いつか死ぬぞ」
「お前に心配される筋合いはない」
「つれねえなあ」
男は笑いながら、レイの肩に腕を回そうとした。
レイは半歩ずれた。
男の腕が空を切る。
「……触るな」
声が低くなる。
男は一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑顔を取り繕った。
「悪かったよ。そう怒るなって」
「用がないなら、どいてくれ」
「用ならあるぜ。明後日、ちょっとした探索に行くんだ。お前も来ないか?」
「場所は?」
「北東の廃坑だ。最近、奥で迷宮と繋がっているのが発見されたって話で、珍しい魔石が見つかったらしい」
「誰が見つけた?」
「さあな。噂だよ、噂」
「報酬は?」
「悪くないぜ」
「人数は?」
「俺を含めて四人。お前が入れば五人だ」
レイは黙った。
情報が曖昧すぎる。
廃坑の奥で珍しい魔石が見つかったというのに、発見者の名前も、出現する魔物の種類も、危険度も分からない。
そんな話を鵜呑みにして迷宮へ入るほど、レイは甘くなかった。
「断る」
「おいおい、まだ詳しい話もしてねえだろ」
「その詳しい話がないから断ってるんだ」
「慎重すぎるんじゃねえか?」
「慎重だから、今も生きてるんだよ」
男の笑みが消えた。
ほんの一瞬。
だが、レイは見逃さなかった。
「……そうかよ。まあ、気が変わったら声をかけてくれ」
男はそれだけ言うと、仲間らしき冒険者たちのもとへ戻っていった。
レイはその背中を見送った。
嫌な感じがする。
だが、根拠のない疑いだけで動くつもりもなかった。
「レイさん、報酬の手続きが終わりました」
受付嬢の声で意識を戻す。
提示された金額を確認し、硬貨を革袋へしまう。
これで今日の仕事は終わりだ。
宿へ戻り、装備を整備して、明日の依頼を探す。
いつもどおりの一日。
そのはずだった。
◇
夜。
レイは安宿の一室で、ロングソードの手入れをしていた。
布に染み込ませた油を刃に薄く伸ばし、刃こぼれがないか確かめる。
次にボウガンを取り出し、弦の張りと機構を確認する。
最後に、ブーツの内側に仕込んだナイフの動作を確かめた。
足首をわずかに動かす。
つま先から、細い刃が滑り出す。
レイは刃を戻し、ブーツの留め具を締め直した。
武器の整備を終えると、窓の外を見た。
街の明かりが揺れている。
この街には、いくらでも冒険者がいる。
仲間を探すこともできるし、誰かと組んで大きな依頼を受けることもできる。
それでもレイは、滅多に固定のパーティーを組まなかった。
人間関係は面倒だ。
余計な詮索をされるのも、馴れ合いを求められるのも好きではない。
何より、自分のことを知られるのが嫌だった。
レイは上着を脱ぎ、椅子の背に掛けた。
鏡に映った自分の姿を見つめる。
短い黒髪。鋭い黄金色の目。鍛えられた身体。
見慣れた姿だ。
少なくとも、服を着ている限りは。
レイは無言で自分の胸元に目を落とした。
革鎧の下に着ていたシャツには、身体の線を目立たなくするための工夫が施されている。普段から窮屈なほど身体に巻きつけているせいで、脱いだ後には薄く跡が残ることもあった。
面倒な話だ。
冒険者として生きていくうえで、余計な面倒を避けるために始めたことだった。
それが今では、息をするのと同じくらい当たり前になっている。
レイはシャツの襟元を整え、鏡から目を逸らした。
「……寝るか」
灯りを消す。
明後日の廃坑の話は断った。
明日は別の依頼を探すつもりだった。
その判断が正しかったのか、間違っていたのか。
レイが知るのは、もう少し先のことになる。




